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生死の難に遭い、大法のおかげで助かった


文/中国の大法弟子 李慧

(明慧日本) 私は1996年に法輪大法を修煉し始めた大法弟子です。十数年の修煉を経て、今日まで修煉できたのは、すべて師父のご加護のおかげです。師父は私の一家のためにたくさんの難を受けてくださり、私の家族は何度も生死の難に遭って、無事に乗り越えました。師と法を信じて、師父にお願いすれば奇跡が現れることもあり得ます。
 
 医者が驚嘆
 
 2004年正月7日、一家3人が銭湯に行って帰る途中、信号機の付近まで来た時、近くにレンガをいっぱい積んでいるトラクターが走ってきました。主人と息子が渡って、私も3分の2くらいまで進んだところではねられました。前と後ろの車輪が相次いで私の身体を踏んで、もうすぐ後ろの車体が迫って来るとき、私は「師父、助けてください」と一念を発しました。私の背中が車体のタイヤに当たったところで一筋の力によって、私はさらに車輪に当たりましたが、トラクターが止まりました。ドライバーがあっと叫んで、降りて慌てて私を引っ張りました。私は、引っ張らないで、自分から出ますと言いながらゆっくり移動しました。少し車輪から離れたところで動けなくなり、全身が震えていました。
 
 主人と息子がびっくりして、救急車を呼んで病院に運びました。検査の結果、肋骨が3本折れて、脚の3つの骨、脊椎骨3か所が短くなり、胸が痛くて吐き気、熱があって、危篤の状態でした。3日後に、骨が治りました。医者は「奇跡だ、こんなに早く治るなんで不思議です」と言いました。「実は、数日前に同じ状況の人がいて、肋骨が内臓に刺さって、亡くなりました。あなたの場合は、車に轢かれて、肋骨が蓮華のように咲いていたので、内臓に向いていなかった。奇跡だ、こういう例は見たことがない」と補足しました。
 
 外で泣き声が聞こえたため、私はどうしたのと尋ねました。実は、ドライバー夫婦が外で跪いて泣いたのです。私は一銭も請求しないし、揺すりをもしないので、ご安心くださいと家族の人に伝えました。夫婦は天地に感謝して、これだけの良い人に出会えるなんて、と感慨しました。交通整理の警察が事故を処理する時に、主人がそのドライバーの代わりに100元の駐車代を払いました。ドライバー夫婦は感謝のあまり言葉が出なくなりました。病院で、私は絶えず師父の説法を聞いて、少し動けるようになって煉功をして、痛みをこらえて、涙が汗ともに流れました。親友や同僚たちが見舞いに来たので、私は真相を伝え、法輪大法の素晴らしさを教えました。皆は一層大法を信じて、真相を知ってから、自分も法輪功を習うと言いました。十数日の後に、私は順調に病院を後にしました。二回目の命の与えてくださった師父に感謝いたします。
 
 主人が救われた
 
 2003年の春、主人がトラックを運転していた時に、後ろから大きいトラックに追突されました。フロントガラスが割れて、主人はそのまま飛んで道路に倒れて気絶しました。顔や体中血まみれで、現地の病院に運ばれました。病院が小さいため、翌日に市の病院に転院しました。私は師父がいるので大丈夫と信じていました。主人が記憶喪失なので(頭部に深刻な損傷があったと医者に言われた)、世話をしながら、一方、師父の説法を聞かせて、大法の本を読んであげたりして、修煉の奇跡の物語を語ったりしました。「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と少しずつ言わせて、数日後に主人は普通の状態に戻りました。主人が「事故の当時、私は法輪が見えて、心の中で師父、助けてくださいと念じました」と言い、「師父が私たちを助けてくださいました。法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしいと知っているからです」と、私は涙を流しながら話しました。
 
2011年03月29日

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