日本明慧
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観念と間隔について


文/中国の大法弟子

(明慧日本)修煉を始める前、私は人との付き合いで、どうしていつも他人と衝突してしまうのか分かりませんでした。修煉を始めてやっと、私は自己に執着していたということが分かりました。人と協力する時、私はいつも他人のことを考えていませんでした。
 
 私は同修と会うことがあまりなく、交流も少なかったので、師父は慈悲心から、私に何人かの精進している弟子と協力するように按配してくださいました。私は当初、このことを悟れませんでしたが、時間が経つにつれてやっと師父の按配だと分かりました。同修たちとの協力はとても楽しいです。皆とても寛容で、度量が大きく、慈悲深く善良で、法理をはっきり理解しており、能力もあります。また、同修から協力について多くのアドバイスをもらいました。ただ時に私は、法理をはっきり理解していなかったので、しっかり行なえなくて失敗してしまったこともありました。以下は、その時の私の体験です。
 
 ある時、私は観念に妨害され、自分自身も気づかないうちに同修との協力があまり順調でなくなりました。私は同修に、自分の言いたいことをしっかり伝えたいのですが、うまく表現することができませんでした。同修も、私が何を言いたいのかがよく分からなくて困っている様子でした。そのため、私は法を多く学んで、自分が同修に信用されるようになり、邪悪に隙に乗じられることなく、同修との貴重な協力の機会を大切にしようと思いました。そして心を放下し、師父を信じ、心を静めて学法すると、いつの間にか観念を捨てることができ、頭がはっきりしてきました。私は同修に「まだ自分を良く修めることができていないので、助けてほしい」と伝えました。
 
 とても不思議なことなのですが、私は時にとても自然に、ただパソコンの前でタイプするだけで、修煉者としてふさわしい文章を書くことができます。もし文章を書くとき、焦っているとうまくいきません。特に、個人の観念を持って書いた文章はめちゃくちゃで、法理に則っていない時すらあります。私はこれらの観念に気がついた時いつも「また同修につらい思いをさせてしまった」と思い、とても後ろめたく感じます。私は、このような間違いを繰り返してしまいました。しかし、私は学法を通じて、文章を書く時は純粋な心理状態でなければならず、何らかの観念を持って文章を書いてはいけないと分かりました。うまくできない時もありますが、よく修煉し、他人のことを多く考えるべきです。師父が夢の中で、私に文章を書く智慧を与えて下さったこともありました。そのようなとき私は、目が覚めた後にすぐ文章を書き始めます。このような時、私の文章の出来栄えは素晴らしく、私は書いた文章を見て、胸に熱いものが込み上げてきて、師父の偉大さと慈悲を感じました。そして、私はしっかり精進すべきだと思いました。
 
 私の体験ですが、同修と協力するは常に法を師にし、大法の法理ですべてをはかり、他人のことを第一に考えて、分からないところがあったら修煉に精進し、多く学法し、内に向って探し、誤りを修正すれば、道は開かれ、全体の協調も良くなるのです。このようにすることができれば、私たちにできないことはないのです。
 
 少しの体験ですが、不足な部分は同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
 
2011年04月05日

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