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私が経験した奇跡の脱出劇(三)

(明慧日本)11日目に、私は頭上から「あなたは、ここを出られるよ」という声が聞こえて、何度も聞こえました。師父は私が自信をなくしているのが分かって、ここを出られる自信を強めてくださいました。私は両足を動かしてみれば、こわばっていた足が動けるようになって、体も動けるようになりました。周囲を観察すると、ドアに鍵をかけられ、屋外に見張り役がいて、窓から出るしかないと考えました。窓に太い鉄の柵が何本も固定されています。ある日、私は夢を見ました。夢の中で、自分は道路の真ん中に立って、どこに行けばいいかが分からず、両側に警官が道を塞いでいます。目が覚めると、私はこの夢を否定して、師父は「ここを出られる」と教えてくださったので、私は絶対出て行く、と決心しました。窓の手すりは鉄製で、間隔は10センチしかありません。私は何も思わずに、その間隔に首を突っ込みました。すると、手すりがうどんのように柔らかいと感じて、私の体が抜け出ました! その時は夜で、私は方向が分からず、明け方にトウモロコシの畑に入りました。
 
 午前7時ごろ、朝出勤のラッシュアワーで、私は畑から出て、タクシーに乗ろうとしましたが、その辺りは辺鄙なところなのでタクシーはほとんど来ません。自転車に乗って出勤する女性が私の前に止まって、自転車の後ろに座らないかと聞いてくれましたが、私は自分の服装(上下とも厚手の下着)は警官に見つかりやすいと心配して、彼女の好意を断りました。後になって、それは師父が苦心して按排してくださった脱出の機会だ、私は頭の中の観念に阻止されてこの機会を逃した、と分かりました。
 
 午前、私はずっとトウモロコシ畑に座っていました。しっかり発正念をしていなかったため、邪悪は私の思想業力を強化して、私はますますお腹が空いてのども渇いて、食事の美味しさを思い出しました。夢の中の啓示(周りに危険がある)を忘れて、私は畑から出て、歩くのが遅いため、道端で作業をする男性にタクシーを呼ぶのを手伝ってもらいました。しかし、その人はちょうど政府の公務員で、彼は私を怪しんでタクシーを呼んだ後、私を留置場に連行しました。下車する時、中庭に立った警官らは緊張した表情でひそひそ会話をしていました。厳密な監視のもとで、私がどうやってその窓から脱走したかを想像していたのです。
 
 今回は、私に対する監視を厳重にして、私の手に手錠を、両足に大きな足かせをはめました。彼らはまだ心配し、当日に私を留置場に連れて行きました。健康診断の時、私のケガがひどいため留置場は収容を拒みましたが、警官は職員にごちそうしたり贈り物をしたりして、私を無理やり留置場に入れました。
 
 留置場で私は更なる迫害に遭いました。私の両手と両足は一本の縄に縛られて、腰をまっすぐにすることができず、トイレに行く時も誰かに手伝ってもらわないといけません。断食をするため、警官の指示を受けた麻薬中毒患者、殺人犯など多くの囚人が、私の腕と足を踏んで、髪の毛を引っ張って、私の口をこじ開けて食物を入れたりしました。彼女たちの不法行為に協力しないため、私の歯と唇はぼろぼろになって、髪の毛と服に食物と血がいっぱいついていました。私の全身に疥癬が出て、体はとても弱まりました。ある日、灌食する時、7、8人が囲んできて私の歯をこじ開けようとした時、私は意志を固めて、彼らの迫害を遂行させないようにと師父のご加持を願いました。最も耐え難い時、「動揺しない人なら、業を滅することができます」(『転法輪』)が脳裏に現れました。そうですね、「動揺しない」 迫害を否定している自分の出発点が歪んでいるのを発見しました。労働教養所に送られたくない、「転向」されたくない目的を抱いています。大法弟子が邪悪に協力しないのは、法輪大法を実証して衆生を救い済度することを唯一の目的にすべきです。
 
 私が自分の信念を固くした時に、転機もやってきました。翌日、留置場は責任を取れないと言って、私を現地の「610弁公室」に移送しました。私の体が快復したら労働教養所に移送しようと企んでいた「610弁公室」のリーダーは、自分の計画が失敗したと分かって激怒し、「私の計画を邪魔するのなら、おまえをやっつけてやる!」と私を罵倒しました。彼らは私の両手をベッドの両サイドに手錠で固定して、足に大きな足かせをつけました。私が脱走するのを恐れて、また私の足かせをベッドの足に縛りました。3人が一日中私を監視して、夕方になると病院の扉を施錠しました。
 
 (続く)
 
 (明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
 
2011年03月25日

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