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大学の試験を通して心性の難関を乗り越えた


文/中国大法弟子

(明慧日本)先日心性に対する難関に当たって新たに体験を得たので、皆さんと交流したいと思います。
 
 私は去年の9月から某大学院文系学科に入学しました。第一学期の期末試験が行われました。10数年の大法修煉を経て、あまり精進できたとは言えませんが、師父の慈悲なるご加護によって、智慧を頂き、成績はずっと良い方でした。しかし、今回の試験は非常に悪い結果がでました。
 
 成績の問題に関して、私は自然に任せる態度を取って、結果を追求しません。それでも結果的によい成績を取っています。第一学期のテストについて、よりよい成績を取って助成金の取得に有利になるため受験生は誰もが一生懸命勉強しました。私は、「これだけの同級生がいて、私はせいぜい真ん中のレベルに過ぎず、助成金なんて他の人と競争する必要はない、各学科がちゃんと合格すればよい」との念が生じました。実はこの念が間違っています。師父は「こういう状況で、さらに社会と常人の中にある自分の姿をも考慮しなければなりません。大法弟子はどこにおいても良い人なので」(『二〇〇四年復活祭ニューヨーク法会での説法』)と仰いました。学生として、私は学校の中で勉強し、よい成績を取るべきだと感じました。しかも法を正す時期の私たちは将来の人のために道を敷いていますので、私のように良くない様子ではどうやって将来の人に習わせるのでしょうか。とても後悔しています。
 
 まさにこのよくない念があったため、旧勢力に隙に乗じられました。試験のために私も真面目に復習し、暗記したりしましたが、100パーセントの力は出せませんでした。試験中に、自分の回答するスピートが人より遅い、字が綺麗ではないかつ小さいため回答が非常に少なく見えます。ほかの受験生の答えはあまり変わりませんが、私がいかに頑張っても見た目が悪く見えます。しかし、自分が大法弟子であるから、成績にこだわる必要はないと思いました。しかしその結果、テストの成績は30人のクラス中27位になりました。最初はこの点数が計算違いではないかと思いましたが、よく確認したら間違っていません。泣きたくても泣けない、本当につらかったです。その時、名利心や、メンツを重んじる心、嫉妬心や、不平に思う心などが一斉に生じ、初めて絶望感を覚えました。
 
 翌朝、私は同修である母親に電話をかけて試験のことについて話しました。そして母に偶然はないから内に向けて探してみなさいと言われました。家に帰って私は母と一緒に交流して、自分の不足と執着を探しました。そうしていると、次第に冷静になっていきました。根本的な原因は自分のよくない念によるものです。法を正す時期の大法弟子であるにもかかわらず、自分の役を分からずにいつも常人の理に陥って、自然に任せると言う言葉を極端に考えて、旧勢力に隙に乗じられました。そして、最近自分が三つのことに対して怠っており、自分の名利心、嫉妬心などがあることに気づきました。そこで私は静かに正念を発して、旧勢力が按排したすべての妨害を否定して、すべては師父に任せます。そして、自分のよくない執着心を解体し、今回の失敗を銘記し、執着を放下し、今からよくなるように努力します。
 
 今回のことを通して、大法の厳粛さを再度感じました。大法弟子にとって、この法を正す時期の最後の段階で自分のすべての考えを厳しく律し、自分の考えが大法から離れないようにしなければなならないと感じました。今回は師父のご加護のもとで、この程度で収まりましたが、もし自分が続けてだらだらしたら本当に怖いことになりかねません。この体験談を書いて、自分のよくない執着心を曝けだして今後しっかりしていきたいと思います。同時に、あまり精進していない同修は、自分と衆生のために責任を持って、悔いなく精進するようにがんばりましょう。
 
2011年05月09日

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