日本明慧
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修煉して、苦去りて楽来たる(一)

(明慧日本)師父の60歳のお誕生日に、文書の形で師父にお祝いを申し上げます。またすべての縁のある人が法輪大法を理解し、私のように大法のすばらしさを感じ、大法の中で恩恵を受けてください。
 
 一、苦しい家庭
 
  私は今年47歳で、中国の東北の普通の農家に生まれ、姉妹兄弟が6人います。小さい頃から、父母の代わりに弟と妹の面倒を見てきましたので、友達と遊ぶ時間がありませんでした。父は酒が好きで、酔った後よく母を殴っていました。私は長年の苦しい生活で、精神的に弱くなり、いつも青空に向かって泣いていました。私は家庭環境から内向的で短気な性格になり、闘争心と嫉妬心が強く、何かうまくいかないときは、いつも死のうと思っていました。また、結婚すれば苦しい家庭から逃れられると思っていましたが、違いました。
 
 二、嫁ぎ先での恩讐
 
 夫の家は6人兄弟で、夫は末っ子です。義姉の1人は離婚しています。結婚した後、夫が賭博をする人であることを知りました。毎日、夫は遅く帰ってきます。私の母が一生暴力を受け続けてきたので、私は絶対にそうなってはいけないと思い、いかなることでも夫と争いましたが、そのせいで身体が病気だらけになり、不眠症になりました。私は二人の娘を産みましたが、夫との関係は徐々に悪化し、夫の両親は私を嫌い始めました。義姉はいつも姑と私が口喧嘩をするよう挑発し、さらに私と離婚するよう夫を説得していました。
 
 1999年8月、次女が生後8カ月の頃、夫はバイクで交通事故に遭い、下半身麻痺になりました。しかし、夫の親族は何もしてくれず、私は夫を看護し、大小便を片付けていました。また、義姉に子供の面倒を見てもらっていましたので、毎月義姉にお金を払っていました。そのため、徐々にお金が無くなりましたが、義父はお金を貸してくれませんでした。たまに子供を見に行くと、子供の服はとても汚れていて、近所の人の話によると、義姉はいつも賭博に明け暮れて、子供の面倒は全く見ていないそうでした。しかたなく、私は教師の仕事を辞め、夫と子供二人の面倒を見ることにしました。
 
 生きていくために、私は義父の小さな飲食店を手伝いました。義父は「食事はただで食べさせるが、夫の治療費をまだ返してもらってないので、給料はださない」と言いました。夫の姉3人は、飲食店のホールで働き、給料を貰っていました。またこの頃から、私は夫の親戚たちからも批判されるようになり、毎日、精神と肉体に重圧を受け、とても苦しい日々を送っていました。私は、いつも子供を殴り、うっぷんを晴らしていました。あるとき、起き上がることができなくなるまで2人の子供を殴ったことがあり、その後、二人を抱いて大泣きしました。
 
 (続く)
 
2011年05月19日

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