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束縛を突破し、真に修める弟子になる(一)

(明慧日本)私は青年大法弟子です。1998年、私は母の勧めの下で法輪大法の修煉を始めました。当時23歳だった私はいつも、退職した年寄りたちと共に法を学び煉功をしていました。私は、簡単に本を読み、動作をして健康になるのが目的ではなく、神への修煉の道であると分かりました。
 
 当時は、朝5時ごろに皆と公園で朝の煉功をしていました。美しい音楽に合わせて目を閉じて煉功すると、目の前に和やかな赤い光を感じ、内心は非常に静かで穏やかになりました。しばらく経つと、この光の色は、紫に変わりました。それらの色は現実の世界では見られない色でした。ある日、私はソファに座って一日中学法しました。ふと頭を上げて天井を見ると、法輪が天井で回転していました。私は非常に興奮して、回転している法輪を見てから歓喜心が起きてはならないと、法輪を気にせず続けて本を読みました。
 
 1999年7月、私はいつも煉功していた場所に行きましたが、人影が見えませんでした。中共による法輪功に対する迫害が始まりました。それから、私は自由に煉功し、集団で学法する環境を失ってしまいました。私はニュースに無頓着で、「4.25」の一万人平和陳情のことも知りませんでした。その日の夜、姉と外で散歩していると、外の画面は全て、大法を誹謗中傷する報道がなされていて、私は見たくも聞きたくもありませんでした。私は平常心を失い、姉に「こんなことはない!」と言いました。
 
 その2カ月後、私は慌しく結婚しました。結婚する前、私は彼に法輪功を修煉していると告げ、彼は支持すると話してくれました。しかし、世間の形勢はどんどん厳しくなり、夫も修煉に反対し始めました。そしてその後、私も一歩一歩旧勢力が按配した道を歩み始めました。共産党の天地を覆うほどの誹謗中傷の下で、人々は法輪功のことを口に出せば軽蔑し、無知だと馬鹿にしました。私は恐れる心によって、自分が法輪功を修煉していることを公開せず、夫は私に大法の本を見させませんでした。私は常人の考えで、とりあえず口では見ないと答えておいて、隠れて見ればいいと思いました。
 
 あの時の口約束が、旧勢力の迫害の口実になるのとは思いませんでした。その後、私は悪いことをするように陰でこそこそと法を学び、これは夫が私を迫害する口実になりました。夫は私の本を隠し、いつも私を馬鹿にして、怒り出しました。後に、母がやっていた学法拠点が迫害され、母は当局に逮捕されました。数日後、母は修煉をしない旨の保証書に署名して家に戻りました。それから母は邪悟となり、修煉しなくなりました。以前は、姉、父、夫が私の修煉に反対したとき、母はかばってくれていましたが、その後、母はだんだん黙り始め、最後は一緒になって私の修煉に反対するようになりました。
 
 大法から離れた日々は毎日が苦しく、世界が縮小したように感じ、何の希望も、生きていく目的も生き甲斐も感じませんでした。子供は多くの病を患い、私の体の調子も悪く、常に無気力で階段を昇るときですら歯を食いしばる程でした。昼間は仕事、夜は多病の息子の面倒を見なければならず、私は顔色が悪く痩せこけていました。家事などは夫が積極的に手伝ってくれ、私の面倒も見てくれました。実家にいたとき、私は末っ子で子供の時から体が弱かったため、家族みんなが私に気を配ってくれ、ちやほやされて育ちました。これで私の依頼心は重くなり、無意識の中で、家族のみんなが私を愛し、面倒を見てくれ、私は彼らの話すことに従うべきだという意識が生じました。長年、私は無意識に他人の意見に従う、不自由な生活を送りました。
 
 私は再び、学法し煉功したい気持ちでいっぱいで、生命は法の中でこそ喜びも答えも見つかると思いました。師父は、私が再び大法を学びたいという願望を見られ、私を助けてくださいました。2005年、夫に他地区で働く仕事が回ってきました。私は夫が他地区で働き、修煉が自由にできるようになると、とても喜びました。
 
 (続く) 
 
2011年07月18日

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