日本明慧
■印刷版   

束縛を突破し、真に修める弟子になる(二)

(明慧日本)2005年、私は再び真に修煉を始めました。私が本を読み、煉功をしてから体もだんだん好転し、子供も健康になりました。私は息子に『転法輪』の「論語」を暗記させ、息子に結印を教えた時、息子は「法輪が見えます」と感動していました。集団学法するとき、息子は同修の一人一人が鶴の上に乗っていて、空中を飛んでいると話しました。あるとき子どもは、私と一緒に集団学法に行く予定でしたが、行く前に遊びに夢中になって行きたくないと言い出しました。私は「師父に聞いてみたら」と言いました。息子は合掌してから、しばらくたって「師父が学法に行きなさいとおっしゃいました」と言いました。
 
 環境がよくなっても、私はまだ正々堂々ではありませんでした。夫が家に戻ってくると、私は朝の煉功も学法もしませんでした。私はこの状態が正しくないと分かり、本心ではない承諾が、旧勢力が夫を操り私を妨害する理由だと分かりました。夫は私の両親を集めて、一緒に私を説得しましたが私は聞き入れませんでした。後に彼らも根負けして、「修煉はしてもよいが他人に話してはならない」と言いました。私が彼らに道理を話しても、彼らは聞いてくれませんでした。夫は一回一回、離婚で私を脅かしましたが、私は同意しませんでした。
 
 師父は説法の中で、大法弟子の使命は個人の円満成就だけではなく、衆生を救うべきだと教えてくださりました。この歴史の特殊な時期に、中共(中国共産党)に騙された生命には未来がなく、私たちは大法の美しさを世の人々に知らせ、何が本当の善悪なのかを分かってもらうべきです。そのため、私たちは大法の真相を伝えるべきです。
 
 私はずっと、旧勢力の按配の中で修煉していました。ある日、私は知り合いに神韻のCDをあげました。その人はふとした拍子に、このことを私の夫に漏らし、このことが後に私たちの離婚へとつながりました。夫は「再び修煉しないと約束するか、離婚するか、この二つの選択肢しかない」と実家の両親を集めて話しました。私は夫に、法も学びたいが家も守りたいと話しました。旧勢力が私が大法の中で精進しているのを見て、私を引きずり降ろそうとしていると分かっていました。私は再び大法から離れるわけにはいきませんでした。あの大法から離れた数年で、希望のない苦しみを痛いほど感じたからです。
 
 夫は「私は弁護士に依頼し、裏工作をしてでもお前から子供と家を奪い、刑務所に送る」と脅かしました。私は少し恐怖心を感じました。子供は大法小弟子ですが、私から離れてしまえばどうなるか、分かっていました。この巨大な圧力の前で、私は呼吸することすら難しいとを感じました。また、姉は私のところに来て泣きながら「あなたの夫は外に女がいるかもしれないから、とりあえず修煉しないと答えて、様子を見よう」と話しました。私は応じませんでした。私は昔、この間違いを犯し、これが何を意味するものかも分かっていました。
 
 私は夫から離れたくありませんでした。夫が私から離れてしまえば、大法に対して犯した罪がもっと大きくなり、将来償わなければなりません。大法を修煉し始めてから。私は夫と揉めずに彼に合わせ続け、彼が破産し人生の谷底に落ちたときも励まし、10年間の婚姻を続けてきました。しかし、結局彼を救いきれず、かえって自分が死にかけていると分かりました。私は他人に引っ張られて、このように死んではいけないと思い、離婚の手続きをしました。しかし後で考えてみると、離婚は旧勢力が按配した道でした。内に向かって探してみると、私には怖がる心があり学法をよくせず、肝心なときに正念が足りませんでした。
 
 離婚してから、私はよく涙を流しました。私は落ち込みましたが、毎日出勤し、同僚にも家族にも笑顔を見せようとしました。私はこのことで大法にマイナスの影響を及ぼしてしまうのが一番怖かったのです。私は友達と家族に、「私が大法を修煉していなくても、離婚した可能性はあります。しかしその時、今のように楽観的にはなれません。師父は『転法輪』で『返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です』とおっしゃいました。家庭も、子供も生活の中で重要な一部分ではありますが、すべてではありません。人は真に自分の人生の目的を持って、恵まれた環境でも、不遇な環境でも正々堂々と楽観的に生きていくべきです。私が大法を修煉していなければ、これらの道理を知らずに、堕落したかもしれません」と告げ、彼らも頷いていました。
 
 私は自分で自分を主宰するようになり、自分の主人になりました。外で真相を伝え、最初、第三者の角度から話し始め、自然に笑みをたたえながら、自分は法輪功修煉者だと話し始めます。私は常に子供を励まし、目の前の魔難を重く見ず、私たちの実家は天国にあるから、世間の得と失を重く見ないようにと教えました。子供の悟性も高く、一定の時間を経てからすぐ明るくなり、常に大法の法理で自分に要求し、友達とは争わず譲ってあげることを学びました。
 
 自分の修煉の道を顧みると、本当に紆余曲折でした。私の主要な問題は、法をしっかり学ばず、正念が足りず、怖がる心が重いことでした。昔、私は占い師から私が離婚すると言われたことがあります。修煉してからも私はその言葉を忘れることができず、たまに自分が離婚してからの状況を想像したりしていました。これは自ら求めたのではありませんか。師父は「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します。」(『二〇〇三年旧正月での説法』)とおっしゃいました。私は口先ではなく実際の行いで、正々堂々と何も怖がっていなければ、この魔難は発生するはずがありません。これは旧勢力が按配したもので、このような修煉方式で私の修煉を放棄させようとしたわけです。
 
 私は少しずつ旧勢力が私に押し付けた数々の束縛を認識し、自分の本当に主人になりました。私は偉大な佛法に入り、修煉して師父の弟子になったことで、いつも感謝の気持ちを抱いています。しかし人々は世間の中にいながら天国に戻る道があることを知らず、中国という社会がこれほど特殊であることも知りません。私はいつも、彼らの迷っている魂を目覚めさせることが出来れば幸いだと思っています。
 
 (完) 
 
2011年07月19日

■関連文章
束縛を突破し、真に修める弟子になる(一)