日本明慧
■印刷版   

人心に対する執着を放下し、師父の按排された修煉の道を歩む(一)

文/中国河北省の大法弟子

師父は経文 『考えをはっきりせよ』の中で、私たちに「学習者として、師父の要求に従って行っていなければ、これは小さい問題ではないはずです。旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按排しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行っていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行ってしまったことになります。旧勢力は実質上、法を正す中で大法弟子が出てこられるかどうかに対して、いつも皆さんのそばにある巨大な関と難です」と教えてくださいました。

 旧勢力は中共を利用して、法輪功を迫害し、大法弟子に巨大な魔難を与えました。この数年間、法を実証しながら修煉する中で、私自身も一部の魔難を体験しました。魔難に直面して、私は師父を信じ、大法を信じ、確固たる信念を持って、師父の要求どおり行ってきました。師父のご加護の下で、人心に対する執着を放下し、旧勢力の按排したいろいろな魔難を打ち破り、全力を尽くして、三つのことをしっかり行ってきました。

一、 犬に噛まれて脚を怪我しても恐れることなく、真相を伝え、人を救う

 2007年10月のある日、私は通常通り、真相を伝えるために出かけました。道を歩いているとき、後ろから歩いて来る音が聞こえたため、誰が歩いているか、その人に真相を伝えられるかどうかを判断しようとして、振り向いたとき、突然一匹の犬が道の辺の林から飛び出し、私の右脚を噛もうとしました。最初私はそれを避けることができ、噛まれませんでしたが、それはまた飛びかかってきて、私の脚を噛みました。今度は避けることができず、ズボンの上から酷ひどく噛まれました。当時、私はそこまで痛く感じることなく、ただ脚が思い通りにならないと思っただけで、依然として、真相を伝えました。しかし、帰宅してから、脚は痛いばかりでなく、重く感じられ、また右の腕まで重くなり、痛くなりました。家族は私に、早く病院へ行って、犬の疫病注射をするように催促しました。家族が言うには、犬の口は特に汚いから、毒性が大きいということでした。私は心が動じることなく、ただ、その毒性がいくら大きいとしても、大法弟子に対してはいかなる作用も働かないと答えました。

 煉功者に対して、いかなることも偶然ではなく、必ずその発生原因があるため、私は法理に基づいて、しっかり考えてみました。

 私が外に出て真相を伝えることは、師父の要求されたことであり、人を救うこと自体は絶対に間違っていません。しかし、この過程で、犬に脚を噛まれてしまい、外に出て真相を伝えることが阻まれるのは、明らかに共産邪悪に邪魔されており、これは旧勢力の按排だと思いました。私はまず、必ずそれを否定して認めず、邪魔された原因を探さなければならないと悟りました。師父は『転法輪』の中で、「煉功の時にあれこれと妨害が現われてきた場合、まず自分自身から原因を捜し、まだ何か捨てなければならないものがあるのではないかと考えるべきです」と説かれました。師父の説法から、この邪魔は自分が真相を伝えるときの心理状態のどこかに正しくないところがあって、旧勢力に隙に乗じられてしまったと悟りました。

 心理状態が正しくないというのは、まさに人心に執着していることではないでしょうか? 私は内に向けて探しました。自分のどこに、どんな正しくない心があるか探しました。まずは分別する心があり、慈悲心が足りませんでした。真相を伝えるときは、ほかでもなく、慈悲心を持って、正念をもつべきです。これが基本です。しかし、私は常に人心を持って、相手を量り、人を選んで真相を伝えていました。この人の顔はやさしそうに見えるが、もしかして邪党のある部門で仕事をしているかもしれない、などなど。なんと言っても、自分が話しやすいと思われる人に声をかけ、そうでない人には声をかけにくかったのです。今回はまさに振り向いて、後ろから歩いてくる人がどんな人か、声をかけやすいかどうか判断しようとしたところで、犬に噛まれました。

 どうして私にこれほど強い分別の心があるのか、更に深く探してみると、それは恐れる心でした。説得しにくい人に出会って、自分に何かトラブルをもたらすことを恐れていました。純粋で、慈悲の心で人を救っておらず、人心を持って、自分を護り、他人のためではなく、自分のために行っていました。

 一度、私が脱退させたリストを見て、ある同修が、これほど多く脱退させたのですか、と言いました。私はそれを聞き、これはまだ多いとは言えませんと答えました。その意味はほかでもなく、私がよく脱退させることができたということでした。当時、この話をした後、どこか正しくないと感じましたが、実際それはなんと強い顕示心だったでしょうか。

 時には、真相を伝えるとき、脱退がうまくいくと、うきうきして、得意気でした。師父は「顕示心にさらに歓喜心が加わると、魔の心に最も利用されやすいのです」(『精進要旨』「定論」)と説かれました。

 こうして内に向けて探してみると、私はびっくりしました。私は目覚めました。私は脚の痛みや、重さをまったく気にしなくなりました。それは私にとって、重要ではありません。重要なのは、早く人心を取り除き、執着を放下し、自我を放下し、純粋で慈悲な心と修煉者の正念を持って、改めて表に出て、真相を伝え、人々を脱退させ、彼らを救うことです。脚を噛まれて、怪我をしましたが、それに阻まれることなく、私の心にそれがなければ、旧勢力が私の修煉の道のりに按排した障碍もなくなります。こうして、私はすばやく心の負担をなくし、毎日表に出て真相を伝え、知らないうちに脚の痛みも消え、足が軽くなって、早く歩けるようになりました。

(続く)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/12/243825.html)
関連文章