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黒竜江省:法輪功修煉者の夫婦 共に迫害される

  黒竜江省双城(そうじょう)市に在住の法輪功修煉者・王桂華さん(44歳女性)は、法輪功を修煉しているという理由で、中共(中国共産党)当局に何度も迫害され、かつて労働教養所に2度拘禁されたことがある。夫・趙広喜さんも法輪功修煉者で、迫害され無念な思いを晴らせないまま死亡した。以下は王さん自らの叙述である。

  私と夫は1995年に法輪大法の修煉を始め、大法を得た気持ちを、言葉では言い表すことができないほど喜んだ。体は健康になり、家庭はむつまじく、毎日が楽しい日々だった。

  1999年7.20、江沢民集団と中共は互いに結託し、法輪功修煉者に対して迫害を開始した。テレビや、ラジオの放送は終日、法輪大法と師父を誹謗中傷し、デマを流した。私の家族も、幸福で楽しかった日々の生活を失った。

  1999年8月、各村の全ての法輪功修煉者は騙されて洗脳班に連行された。党委員会書記・任久成は、皆に大法の先生と決裂し、きっぱりと関係を断つよう強制した。私と夫は返答しなかったが、午後に釈放された。その数日後、村の幹部と派出所の警官らが私の家に侵入し、法輪功の関連書籍を捜索した。捜索の際、家具は壊され、外の土の山さえも掘っていた。

  1999年8月、夫は村の1人の同修と北京へ陳情に行き、北京のバス停で強制連行された。尋問された後、やっと自宅に戻ってきた。家に戻った夫は、 国保(国家安全保衛)大隊の書記・王常富らに強制連行され、双城第2留置場に拘禁された。夫は留置場の中で手錠をはめられて窓にかけられ、迫害された。私が3千元の保釈金を支払った後、夫は釈放された。      

  2000年1月5日、北京へ陳情に行く途中、私と夫は私服警官に強制連行された。暴行を受けた後、双城第2留置場第9監号に拘禁された。第9監号には多くの法輪功修煉者が拘禁されていた。私は46日間拘禁され、400元の食費を払ってやっと家に戻った。

  夫は第1留置場に移送されたが、そこは暗くて湿っぽいため、夫は全身に疥癬(かいせん、皮膚感染症)がたくさん発生した。夫は700元の保釈金を支払った上でやっと家に戻れた。ほとんどの畑が没収されたため、同修からの米、小麦粉、油などの支援により、生活の苦難を乗り越えることができた。

  2000年4月、春の耕作時期の忙しい中で、郷の党委員会書記・呉沢林と派出所の所長・許東昇らは、各村の法輪功修煉者を郷政府まで強制連行した。彼らは、「そろそろ世界法輪大法デーになる」という口実で、12日間拘留した後、1人60元(食費として)をゆすり取った。

  2000年7月ある日の夜中、私と村のもう1人の同修は派出所に強制連行され、数日間、拘禁された。

  2001年12月5日、私と数人の同修は再度北京へ陳情に行ったが、天安門広場で強制連行され、5日間拘留された。そして、双城留置場に55日間拘禁された後、万家労働教養所に移送されて拘禁された。

  この間、夫も子供を連れて北京へ陳情に行ったが、ハルビン市の警官に強制連行された。夜は眠ることを許されず、蛇口の下で頭を流す、靴底で首を殴るなどの迫害を受けた。20数日間拘禁された後、長林子労働教養所に拘禁され、引き続き迫害された。夫は迫害により全身に疥癬がたくさん発生し、肺気腫も患い、夜は寝られず、頭と顔が大きく腫れて変形した。監獄の医者の検査の結果、余命3カ月と宣告され、双城市に送還された。家に帰された夫は、学法と煉功を通じて健康を取り戻した。

  2005年1月15日、私は数人の同修と杏山鎮で真相を伝えたため、杏山派出所所長・劉宏同ら警官により、双城留置場に強制連行された。20日間拘留された後、610弁公室のリーダー・トウ会群、金婉智らにより万家労働教養所に移送され、引き続き迫害された。施設で、三書を書くように強制され、書かないと、針で手と体を刺され、毎日、苛酷な強制労働、超過労働を強制される。夜、帰ってきて、また大法と大法の師父を罵ることを強制され、従わなければ、上大掛(足が地面に着かないように吊るし上げる)、革靴で蹴る、警棒を使って殴るなどの迫害を加えられた。体には血がにじんで黒紫色の傷跡ができた。

  2007年、私は家に帰って分かったのだが、私が不当に労働教養を強いられたため、夫は持病が再発し、すでに、この世を去っていた。中共は、私達が良い人になることを放棄しないことを理由に、私達を迫害し一家離散に追い込んだ。私は、死亡した夫と会うこともできなかった。家に残された未成年の息子の世話をする人もいなかった。迫害されている数年間に、政府人員、警官が何度も私の家に嫌がらせに来たが、もう覚えていない。中共は私の親族にも悩みと苦痛をもたらした。

  (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/8/10/245153.html)
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