日本明慧
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積極的な態度で大法を実証し、互いに協力し合う(一)
文/ブラジルの大法弟子
同修のみなさん、私は大法を修煉する中で体験した大法のすばらしさについて、みなさんと一緒に交流したいと思います。
最初から私は自ら積極的に修煉しました。このことは私が大法を学ぶうえで、強固な基礎を築いてくれました。私は5年前にブラジルの大都市、リオデジャネイロで大法に出会いました。当時、リオデジャネイロには2人の学習者しかいませんでした。また新唐人、大紀元、神韻のような大法のプロジェクトもありませんでし た。そのため、すべてのことにおいて私たちは協調しなければならず、協力しないわけにはいかなかったのです。
私はいつも、この数人だけで、どうやって、数百万人を救い済度し、私たちの誓約を全うできるのか、と考えていました。みたところ、これは不可能なことでした。周辺の都市とブラジルのほかの都市にも学習者はいませんでした。ブラジルには、全国に20数人の学習者がいました。私は、自分もほかの地区のために責任を負わなければならないと思いました。問題を考えるときに、常にどうやってさらに多くの人を救い済度できるかを考えていました。
私は自分が住んでいるところに煉功場を作りました。また作るだけではなく、堅持しなければならないことに気付きました。私は煉功場に行くことを続けなければならず、たとえ、消業のとき、家族の集まり、コミュニティ活動などが、煉功場へ行くことと重なっても、やはり煉功場に行かなければなりませんでした。多くの場合、私が何らかの事情で、煉功場に行かれそうにないときに限って、大法を学びたい人がいたのでした。
毎日大法の動作を学ぶ人が少なかったため、煉功場で輔導員の役割を果たすだけでは足りませんでした。私はコミュニティ活動や、集会、文化フォーラム、 大学の活動などに参加しはじめ、一度に多くの人に煉功を教えることができました。これらの活動に参加している人の中には、常に縁のある人がいました。一度に数十人、数百人、1千人以上の人に資料を配り、法輪功が中国で迫害されている真相を伝えることができました。
その後、私たちは中国領事館で毎週、真相を伝えることを決め、中国語の資料を作成しました。なぜなら、中国人を救い済度することが第一だからです。街で中国人に会うと、追いかけていき、資料や新聞を渡しました。
しかし、いくらやっても、まだまだとても限られていて、数百万人には至りませんでした。一度、学法するときに、私は、大法弟子が経営しているマスメディアを、ブラジルをはじめ各国で立ち上げるべきだと悟りました。そして、私は心が軽くなりました、大法弟子の運営するマスメディアさえあれば、私の地区の人は救い済度されるのです。
突然私は、もしここで大紀元と新唐人を立ち上げる場合、誰が行うのか、ということに気づきました。私ではないのか、と思い付き、私は喜ぶと同時に、心配しはじめました。なんとか方法を尽くして、この地区で大法弟子のマスメディアを立ち上げなければなりません。けれども私はすでにとても忙しく、私には無理でした。
私はサンパウロで、真相を伝えることについての討論会議を開きました。ブラジルの学習者はサンパウロにわりに多くいますので、ほかの地区の学習者を呼んでくることにしました。私はすべての学習者に電話をかけ、彼らがこの会議に参加するよう説得しました。一部の人はとても説得が難しかったのですが、私は会議の詳細を再び按排し、彼らが参加できるようにしました。一部の人はとても快よく承諾して、協調しやすかったのです。私は会議で、ブラジルで新唐人と大紀元 を立ち上げる計画を提出しました。みな行うことに同意はしましたが、どうやって行うかわかりませんでした。人数がこんなにも少ないうえ、多くの努力が必要で、効率よく協力しなければなりませんでした。
私は当時、ニューヨーク大紀元に原稿を提供していましたが、ほかの学習者にも原稿を提供するように呼びかけました。これがスタートでした。ほかの国のプロジェクトに参加して、経験を持てば、そのプロジェクトをわが国に導入することがやりやすくなります。ブラジルの1人の同修はニューヨークへ引越し、大紀元で仕事を始めました。私はますますこのことはできると感じました。新聞社に原稿を提供することは難しくありません。もし、ほかの国の同修と協調できれば、 新聞を翻訳し、印刷することもできます。私は南米の大紀元チームと連絡を取りました。私はブラジルの大紀元時報がそろそろできあがると感じました。
新聞は進行中でしたが、テレビ局を立ち上げることにはやはり恐怖感を覚えました。これはどうやって行えばよいのか? また撮影カメラ、ライト、プロの撮影室も必要です。私は新聞だけでよいと説得しました。ある日、私はニューヨーク新唐人本部が人を募集しているという情報を入手しました。このチャンスは悪くありませんでした。私はそちらに行くべきです。仕事の要求を見ると、私には一つの資格もありませんでした。しかし、私はやはり申請をすることにしました。最も簡単な、初級編集者に申し込みました。幸いに、彼らはリモートトレーニングを提供してくれました。私はほかの同修にも申請するように伝えまし た。最後に一部の人は放棄し、一部の人は拒否されました。私は唯一受け入れられたのです。私は日常生活のすべてを終わらせ、ニューヨークへ行く準備をしました。
私はもう1人の同修に煉功場の協調人と大紀元の仕事を任せ、彼に、私はどうすればよいか分からないが、最終的に新唐人をブラジルに導入したいと伝えました。私はまたニューヨークの多言語の協調人にも伝えました。彼らはこのやり方に同意し、私ともう1人のアルゼンチンにいるブラジルの学習者を、新唐人のポルトガルプロジェクトの協調人に決めました。私たちはメンバーのいない司令官になりました。このプロジェクトには私たち2人しかいませんでした。すべてはゼロから始まりました。
(続く)
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