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寧夏回族自治区:8年間監禁された修煉者 再び3年の懲役刑

 寧夏回族自治区呉忠市中級裁判所(翻訳者注:日本の高裁にあたる)は、2011年6月下旬、秘密裁判を行い、法輪功修煉者・馬智武さん(41歳)に対して懲役3年の刑を言い渡した。馬さんはすでに寧夏銀川刑務所の所属する河東れんが工場に移送された。

 呉忠市中級裁判所で秘密裏に行われた2次裁判の後、馬さんの家族は裁判長・艾進春を訪ねて、裁定書を請求した。その際、艾進春は「裁定書を提出する必要はない。しかし内容を教えることはできる。判決は前回と同じだ」と述べた。
 
 馬さんは1999年7月20日、北京へ陳情に行ったという理由で、寧夏第1労働教養所と呉忠刑務所に8年余り拘禁され、残酷な迫害を受けた。馬さんは九死に一生を得て、2008年の初めにようやく釈放された。
 
馬さんが連行され、判決を下されるまでの経過   
 
 2010年9月12日、馬さんは塩池県花馬池派出所の警官によって不当に連行され、塩池県留置場に拘禁され、借りていた車も没収された。その後、寧夏の610弁公室・派出所の警官らは、何度も馬さんの家に嫌がらせを行った。馬さんの家族と車の持ち主は、何度も公安局・検察院・裁判所を訪れ、馬さんの釈放と車の返却を求めたが、各部門は互いに責任をなすりつけて、訴えを拒絶した。
 
 2011年4月、馬さんの家族は3月31日に塩池県裁判所が、馬さんに対して3年6カ月の懲役刑を下していたことを知った。
 
馬さんが上訴した後、呉忠市中級裁判所は茶番劇を演じる
 
 1回目の裁判が終わった後、馬さんは上訴した。呉忠裁判所は馬さんの妻が法廷に出て馬さんを弁護することを承諾した上で、『弁護通知書』を交付し、馬さんの家族に5月18日に2次裁判があることを知らせた。
 
 開廷する日が近づくと、呉忠裁判所の役人が家族に「裁判長・艾進春は足を怪我したので、期限どおりに開廷することができない」と通知した。翌日、艾進春は電話で「高血圧病が再発し、体の調子が悪いため開廷を取り消す。期日は改めて決める」と伝えた。引き続き、裁判所の人員は馬さんの妻を裁判所まで呼び出した。
 
 馬さんの妻と2人の親友は、『弁護通知書』を持って呉忠裁判所に入る時、身体検査をされた。裁判所の役人は、偽善的な顔を装って、『弁護通知書』を馬さんの妻から騙し取った後、すぐに態度を変えて『弁護通知書』を回収し、馬さんの妻の弁護資格を取り消した。彼らは「もし弁護士を頼むならば、今日中に限る。2次裁判の時間は追って知らせる」と述べた。結局、2次裁判は秘密裏に行われ、家族には知らされなかった。
 
秘密の2次裁判 呉忠市中級裁判所は法律を無視  
 
 6月8日午前9時過ぎ、馬さんを裁判所に移送するため、1台のパトカーがこっそりと塩池県留置場に到着した。その時、ちょうど馬さんの家族が留置場にいたため、警察側は落着かない様子で、数人の警官を呼んだ。馬さんは塩池県裁判所に連行され、大勢の警官と私服警官が、馬さんの家族を外に追い出した。その後、秘密裁判が行われたが、裁判はすべて寧夏610弁公室にコントロールされた。
 
 裁判所は厳かな場所であるはずだが、現実では、裁判所は『弁護通知書』を回収し、国民の合法的な権利をもてあそんだ。『刑事訴訟法』では、公開裁判に関する定めがある。しかし中国大陸の裁判所は、法輪功修煉者に対する裁判の大部分をこっそりと行った。
 
馬さんと家族が更に受けた迫害  
 
 中国共産党が1999年に法輪功を迫害し始めてから、馬さんは北京へ陳情に行ったが、銀川市留置場に拘禁され、3年の労働教養を強いられた。馬さんは白土岡子労働教養所で、繰り返し暴行を受け、野蛮な灌食や、死ぬことよりも恐ろしい数々の拷問を受け続けた。馬さんは断食を行い迫害に抗議したため、犯罪の証拠を捏造された上、さらに6年の刑罰を下された。
 
 2002年4月、馬さんは呉忠刑務所に移送れた。服役期間中、警官らは受刑者たちに命じて馬さんを虐待させた。受刑者たちは馬さんを任意に殴り、連続10数日間眠らせず、「飛行機姿勢」・「闘争会姿勢」(両腕をきつく背中まで回し、更に縄で縛る)を保つように強制した。
 
 ある時期、馬さんは「死人ベッド」に40数日間固定された。この拷問の苦痛は耐え難いものであるが、警官らはさらに、馬さんを「死人ベッド」に縛る前に、濁った水に数種類の薬物を混ぜて、馬さんに灌食を行った。馬さんは体が、まるで火が燃えるように感じ、それから半年間歩くことも立つこともできなくなった。また、移動する時はすべて受刑者に支えなければならなかった。
 
 馬さんが不当に連行された時、馬さんの妻はちょうど妊娠中であったが、1人で日々の生活を支えざるを得ず、娘が生まれた後は、更に多くの苦労を経験した。馬さんの服役期間中、寧夏の610弁公室の警官らは、馬さんの家にたびたび嫌がらせを行い、家族が馬さんと面会することも許さなかった。2001年、警官らは馬さんの妻に修煉を放棄させるため、2歳の娘を連行して馬さんの妻を脅迫した。馬さんの父は、一連の圧力に耐えきれず、2001年に亡くなった。
 
 2008年2月に馬さんが釈放された時、娘はすでに8歳になっていた。今回、馬さん一家は再び離散してしまった。  
 
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/7/15/243956.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/7/31/127124.html)
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