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甘粛省:夫が迫害され死亡 妻は労働教養を強いられる

 甘粛省慶陽市・西峰区公安支局の警官は2011年7月2日、法輪功修煉者・常秀玲さん(48歳女性)の家に行き、常さんを連行して、不当に家財を差し押さえ、コンピュータなどを没収した。常さんは不当に1年の労働教養を宣告され、7月31日、甘粛省の柳溝河女子労働教養所に移送された。常さんの夫・劉志栄さんは、迫害されて2006年に死亡した。現在、家には2人の未成年の息子と娘が残されている。

 常さん一家は、1996年に法輪功の修煉を始め、日常生活のいたる所で「真・善・忍」の基本理念に基づき、良い人になるように努力するようになった。法輪大法は、家族の道徳的理念を変えた。以前、姑と嫁はよく仲たがいすることが多かったが、修煉を始めてから、互いに得失で言い争わなくなり、法輪大法の教えに従って、他人の長所を見て、自分に厳しく要求するようになった。家族全員の調和がよく取れて、本当に生活の楽しさを感じるようになった。

 しかし、幸せな時間は長く続かなかった。1999年7.20、中共(中国共産党)の江沢民グループは、法輪功に対して迫害を開始した。

夫は迫害されて死に至る

 1999年12月4日、常さんの夫・劉さんは、法輪功の真相を伝えるために北京へ行った。劉さんは北京から帰った後、西峰区公安支局の警官に強制連行されて暴力を振るわれ、顔がひどく腫れ上がった。警官は足で手錠を踏みつけ、劉さんの腕の筋骨を断ち切らせた。さらに、劉さんは電柱に手錠で吊り上げられ、1日中晒された。その後、劉さんは西峰留置場に移送され、70数日間拘禁された。

 2000年4月10日、警官は劉さんを騙し、勤務先の学校から西峰区の派出所まで連行し、その後、西峰の麻薬中毒回復所に拘禁した。劉さんが拘禁されていた間、公安支局、裁判所、検察院などの部門は、法輪功修煉者に対して「批判会」を行い、劉さんと他の法輪功修煉者をトラックに乗せて、首に侮辱の言葉を書いた看板を掛けさせ、街中を引き回して、見せしめにした。4月25日、劉さんは不当に1年3カ月の労働教養を宣告され、蘭州市平安台の第1労働教養所に拘禁された。その後、2001年7月1日に劉さんは家に戻った。

 2002年4月28日、20数人の警官らは劉さんが勤務する学校へ行き、用意した書面に拇印を押すよう脅迫したが、劉さんはこれを拒否した。警官らは学校の規律を顧みず、大勢の教師、学生の目の前で、むやみに劉さんを蹴ったり、踏みつけたり、警棒を振り回して、劉さんの頭を殴った。警官らは、聞くに堪えがたいほど罵りながら、劉さんをパトカーに押し込んで、不当に西峰区公安支局に拘禁した。そして、警官らは劉さんの家に直行し、数個の鍵をこじ開けて、家中をひっくり返した。 

 4月30日午後、警官は劉さんを西峰区留置場まで連行した。劉さんは「私は犯罪者ではない」と言って、留置場に入ることを拒絶したため、滅多打ちにされ、留置場に引きずり込まれた。劉さんは、断食をして迫害に抗議したため、何度も卒倒したが、依然として釈放されなかった。その後、劉さんは西峰区の麻薬中毒回復所に移送された。劉さんは再び抗議したため、また暴力を振るわれ、独房に担ぎ込まれた。しばらくして、劉さんは脱走することに成功したが、路頭に迷い、2002年7月28日午後、北京で再び連行された。 

 2002年10月末、蘭州市城関区裁判所は、「法輪功の真相DVDの製作及びケーブルテレビを利用して放送した」という理由で、7人の法輪功修煉者に対して、懲役10~20年を宣告した。劉さんは、不当に懲役15年を宣告された。2003年10月末、劉さんは蘭州麻薬中毒回復所から蘭州市大沙坪刑務所へ移送され、滅多打ちにされた。同年12月25日、また定西刑務所へ移送されて、引き続き迫害された。

 2005年末、劉さん・徐鋒さんなど7人の法輪功修煉者は、定西刑務所から天水市第3刑務所に移送された。劉さんは、天水市刑務所に拘禁されてすぐに「三書」を書くように強要されたが、劉さんはこれを拒絶した。警官らは劉さんに対して、トイレを制限したり、眠ることを許さなかったり、長時間立つ姿勢・座る姿勢を強制したり、縛り付けてベッドの下に詰め込むなど、各種の拷問を加えた。警官らは、いつも受刑者に劉さんを滅多打ちするように指示し、警官らは、いつも劉さんに対してひどい暴行を加えた。このようにして、劉さんは天水市刑務所に拘禁されてから1カ月も経たない2006年1月9日に、無残にも殴り殺された。

 劉さんが死亡した後の検査の結果、頚部に傷跡があり、耳の根元には、刃物で切った傷口があった。劉さんの遺体は血の海の中に浸され、現場を片付ける受刑者は手がつけられず、水道の水で何度も流して、やっとの思いで片付けた。現場を洗い流した受刑者は、数日間食事が喉を通らず、吐き気がして、あの場面を思い出すとぞっとした。刑務所は迫害を覆い隠すため、内部の者に口止めをし、外部との情報を封鎖して、「自殺」と公言した。妻・常さんが刑務所に着いた時には、現場はすでに片付け終わっており、常さんが目にした劉さんの遺体は、目のあたりが青紫色になっていて、頚部の傷跡と耳の傷口がはっきりと見え、顔の様子はすっかり変わり果て、体も変形していた。刑務所側は、遺体を強制火葬した。

 常秀玲さんは労働教養を強いられる    

 1999年7.20、江沢民グループが法輪功に対する迫害を開始して以来、常さんの家は、1日たりとも穏やかな日がなかった。2001年4月、常さんは人々に法輪功の真相を伝えたため、西峰留置場まで連行され、1カ月間拘禁された。 

 劉さんを迫害すると同時に、西峰区公安支局・西峰区南街派出所の警官は、いつも常さんに対して監視して、嫌がらせをした。数年来、中共(中国共産党)政府の敏感日には、警官は必ず常さんのところに嫌がらせに来た。2006年の清明節(旧暦の24節気の1つ)に、常さんは現地の習慣により、劉さんの骨灰を埋葬する際、親戚と劉さんの生前の親友に知らせた。その日、西峰区の警官は監視に来て、嫌がらせを行った。2008年のオリンピック開催時に、常さんはいわゆる「談話」の形で、監視され、恐喝された。 

 2011年7月1日、常さんは実家の親族を訪問をしていた際、西峰区公安支局の警官に寧県留置場まで連行され、不法に1年の労働教養を宣告され、7月31日の夜、蘭州市平安台労働教養所に移送された。

 現在、常さんの家には姑(70代)と学校に通っている2人の子供が残っており、世話をする人はいない。中共政府が法輪功に対する迫害を開始して以来、12年間の間に、多くの家族が分散して肉親を失い、多くの子供が両親を失って、孤児になった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/11/246538.html) (English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/9/20/128233.html)
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