文/中国の大法弟子 如真
(明慧日本)学校の活動などで金曜の夜に家に帰れない時、私はすぐにつらく感じ、お母さん(同修)に電話をかけて、泣きながら家に帰ることができないことを訴えました。このあと私はある現象に気づきました。それは金曜になり休み前になると、必ず学校で何か活動が行われるということです。私は我慢できなくなりました。学校からお母さんに電話をかけて、学校がいかに良くないのかを伝えました。このような状態が長い間続きました。私は法理から悟ることができませんでした。お母さんは私に「自分を探しなさい。法と相反することをしてはなりません」と言いました。私は心のなかで、「家に帰ることも間違っているのでしょうか」と思いました。しかも私の家に対する執着は、自分自身を妨害したのみならず、同級生の間からも理解されなくなりました。同時に私は自分が他の人と一緒といられなくなったかのように感じました。いつも一人ぼっちになり、人と一緒にいたくなくなりました。
―― 文章の作者より
師父こんにちは! 同修の皆さんこんにちは!
得難い交流体験の機会を頂き、これを無駄にはしたくありませんでした。修煉を始めて16年目になります。私も古い大法弟子になりました。しかも青年大法弟子となりました。また師父の慈悲なるご加護の中で大学に入ることができました。今回私は、最近の修煉体験を発表したいと思います。
一、大学の環境の中で修煉する
どんな環境の中でも法を多く学ばなければならない
大学に合格したばかりの私は常人の学生と同じく、大学生活に対して好奇心と執着でいっぱいでした。しかし私はそのような生活が始まると、大学生活が始まったことを少し後悔しました。なぜなら、これは私が始めて独立して常人社会と接触することであり、身の回りにいるのは常人ばかりでした。私と一緒に世間と向き合ってくれる同修はいませんでした。私は自分が世俗の仮想の迷いの中に落ちてしまうのではないかと心配しました。この新しい環境の中でどのように振る舞うべきかわかりませんでしたが、慈悲なる師父は常に私を加護して下さり、この新しい環境の中でも法を多く学ぶよう励まして下さいました。
大学1年生の前期、私は毎日ベッドに横になりMP3プレーヤーで師父の説法を聞いていました。毎回知らず知らずのうちに説法を聞きながら寝てしまいました。これは師父に対しても法に対しても敬意が足りないことだと分かっていました。それにもかかわらず師父の慈悲により、毎朝の軍事訓練の時にも疲れを感じず、非常に楽に感じました。
半月後、私は家に帰って、法を書き写し始めました。そして書き写したものを学校に持って帰って暗記しました。しかし、時間が経つと書き写すことができなくなり、暗記だけをしても学法が足りないと気づきました。そのため私は本を学校に持っていくことに決めました。毎夜、私は人に気付かれないように布団の中で本を読んでいました。しかし学法をしようと思うと、寮の環境が非常にうるさくなり、私が横になって学法をせず、寝ようとする時になると周りが静かになりました。最初は本当に悲しくなりました。これは妨害であるとはっきりと知っていながら、何もできませんでした。正念を発して邪悪の妨害を取り除かなければいけないと分かっており、自分の内に向けて探し迫害を否定しようとしてもやはり邪悪に常に妨害され続けているように感じました。沢山の圧力が降り掛かって来ました。私は毎日余った時間だけを使って寝室で法を学ぶことにしました。大法だけが自分の支えだと感じました。大学1年生の前期、私はこのような圧力の中で法を学ぶことができました。
大学1年生の後期になって、環境にしても周りの人々にしても大きな変化がありました。昼も夜も、私が寝室で学法を始めるとただちに周りの環境が静かになりました。誰がここで最も重要な人物なのか、私にはわかりました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)