佐々木さんの修煉の奇縁(写真)
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 (明慧日本2024年3月22日)19988月、佐々木節子さんの生活に思いもよらない変化が起こりました。

 佐々木さんを10数年苦しめていた病気はいつの間にか良くなりました。しかもほとんど字が読めなかった佐々木さんは字が読めるようになり、家の中は喜びの声で満ちました。佐々木さんは会った人にこう言いました。「法輪功がこれらのすべてを持ってきてくれたのです。縁ある人がみな法輪功を修煉することを希望します。そうすればたくさんのもろを得ることできます」


佐々木さん夫婦

一人ぼっちの幼少時代、生活も苦しい

 日中戦争の時期、日本の関東軍は中東北地方を侵略し満州国を建国しました。その際、一部の日本国民中国東北地方へ移住しました。幼かった佐々木節子さん家族とともに中国へ渡りました。日本の敗戦後、満州国に住んでいた日本人が中国から引き上げた際一部の人は幼少の子供を置いていき、中国人に育ててくれるよう頼みました。その子供たちは中国残留孤児と称されています。佐々木節子さんは善意ある中国の養父母に引き取られました。しかし、その養父母の家庭は子供が多かったため生活が困難でした。それでも節子さんは生き抜きました。しかし養父母の家は貧しく、佐々木さんは教育を受ける事ができませんでした。佐々木さんは16歳でもう出稼ぎに出て、各種の苦しい肉体労働を経験しました。ひいては屈強な若者も耐えられないようなの積み下ろし労働もしました。

  前世紀の80年代、日本政府は当時すでに中高年になっていた孤児およびその家族が日本に帰国して生活することを認めました。政府は孤児と家族たちに合法的な身分を与え、日本国民として対処したのです。そうして、佐々木さんはついに日本戻りました。佐々木節子さんには家族がおり、数人の子供を養育していましたが生活の重圧と苦労により、すでに佐々木節子さんは多くの疾病を患っていました。肺結核、軽い肝硬変、胃の病気、関節炎、脊椎湾曲など症状の重い病気でした。

  佐々木さんは毎朝目が覚めてからマッサージをしなければ起き上がることができず、ご飯も作れませんでした。佐々木節子さん自身の言葉を借りると、五臓六腑がみな良くなかったのだそうです。病気の苦しみで佐々木さんは怒りっぽい性格になりました。子供たちはみな佐々木さんを怖がり、夫は佐々木節子さんのことを心配しました。日本へ戻ったけれども、佐々木節子さんは心安らかな気持ちにはなませんでした。身体の苦痛から佐々木さんはとても悲観的になり、毎日苦しみの中で毎日を過ごしていました。佐々木さんはその時こう考えました。「私は55歳まで生きられればそれでいい。そうすれば一番下の子供が結婚する。それで私は心安らかに死んでいける」

大法を得た喜び 文字が読めるようになる

 19988月のある日、佐々木さんの長女は偶然職場の同僚の李さんに会いました。元々、李さんは身体が弱く、多くの病気を患い具合が悪かったのです。それなのにその日、李さんの血色良く顔がつやつやとし、精力がみなぎっていました。まるで別人に生まれ変わったかのようでした。そこで佐々木さんの長女はすぐに、どうしてこうも変わったのか、どうすれば李さんの身体こんなに健康になるのかと質問しました。

 李さんは「法輪功を修煉したからです」と言いました。佐々木さんの娘は宝ものでも得たかのように大喜びし、すぐにお母さんに、早く法輪功をやってみるように勧めました

 佐々木さんは李さんの紹介により法輪功の創始者・李洪志師父の説法ビデオを見ました。佐々木さんは非常に気分が良いと感じ、必ずこを修煉したいと思いました。佐々木さんはタバコを手に取ってちょっと一服し、いつものようにくつろぎたいと思いました。それなのに煙草は味気な感じ、タバコを吸いたくなくなりました。30年来タバコを吸ってきましたが、こんな風にタバコをやめられるなんてとても不思議で、佐々木さんは喜びで胸がいっぱいになりました。

 しかし、佐々木節子さんは法輪功の基本書である『轉法輪を手にした時、とても不安になりました。その本はたくさんのページありましたが、佐々木さんは字が一文字読めなかったのです。佐々木さんは思いました。「私は字が読めません。修煉するにはどうすればいいでしょう?」

 当時、既に56歳だった佐々木さんは一念を抱きました。「駄目です。私は字が読めるように勉強しなければなりません。私は師父の本を勉強したいです」佐々木節子さんは旦那さん、子供たち、友達から文字を習い、1文字1文字勉強しました。時には文字を覚えることができず、焦って涙が止まらないこともありました。

 佐々木節子さんはいつも娘さんに字の読み方を教えてもらいました。娘さんは「お母さん、修煉してるのはお母さんですか それとも私?」佐々木さんは笑って言いました。「法輪大法はすばらしいです。私は煉功して身体がよくなりました。一家全員恩恵を受けることができます」

 週末、法輪功の煉功場グループで学法しています。これは佐々木さんにとってさらに勉強のよい機会となりました。文字読み方を聞けるばかりか、字をたくさん覚えることができ、わからないことがあればすぐに聞くこともできます。知らないうちに、佐々木さんはだんだんと『轉法輪』が読めるようになっていることに気づきました。

 有る時、佐々木節子さんはについて轉法輪』を読めるようになりました。一段落ずつ順番に読む時、佐々木節子さんも一人で読めるようになりました。仲間たちは驚き、言いました。「佐々木おばさんが『轉法輪を読めるようになりました。とても不思議です佐々木さんの家族は、佐々木さんが字を覚えられるとは思っていなかったのですが、今では奇跡が起きたとを賛嘆しています。

人と会うたび法輪大法はすばらしい」と言い、共同で修煉して恩恵を受ける

 皆と一緒に煉功し学法をするうちに、70歳近くの佐々木さんの病気はいつの間にか完全になくなり、健康を取り戻し、身も心も楽になったと感じるようになりました。性格も優しくなり、かんしゃくを起こすことも少なくなりました。人付き合いも謙虚になり、進んで人を助け、何かの事情があった時はいつも自分どこが良くなかったのかを探しています。

 佐々木さんは地元の町で開催される様々な活動によく参加します。そのため佐々木さんはたくさんの友達がいます。佐々木さんは自分の身をもって体験した法輪大法はすばらしい」ということに教えています。佐々木さんは法輪功に関する資料を多くの人に送って、彼らが中共のうその宣伝をが信じてしまわないようにがんばっています。

 日本の全ての縁ある人に法輪大法はすばらしい」ということ、修煉で恩恵を受けられること知ってほしいので、佐々木さんは近所の煉功仲間たちと一緒に法輪功を紹介するのチラシを作り、ボランティアで煉功動作を教える活動をしています。このようにして、何人かの日本人も参加するようになりました

 今、佐々木さんの地元には小さ煉功場ができ、毎朝何人かが集まって一緒に煉功し、時間を見つけて一緒に学法しています。煉功場に2人の中国人がいます。彼女たちは佐々木さんと同じ境遇で小さい時に家が貧乏で教育を受ける機会がありませんでした。彼女たちは『轉法輪を読みたいけど字が読めません。佐々木さんは彼女たちの気持ちを理解し、彼女たちと一緒に学法し字を教えています。私はもともと字が読めませんでしたしかし今は他の人に文字と読書を教えて、人を助けられるようになるなんて、想像できませんでした

 佐々木さんの夫の韓さんは妻が法輪功修煉を始めた後の変化を見て、法輪功を深く信じています。1999720中共(中国共産党)が法輪功を迫害し始めてから、韓さんは法輪功の修煉を始めました。中共の宣伝はみんなうそで人を騙すものです。本当は法輪功すばらしいのです

 10数年来の法輪功の修煉を続け、修煉は彼らの生活に欠かせないものなっています。老夫婦2一緒に法を学んで修煉し、一緒に努めて精進2人はとても仲睦まじいです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/8/248876.html)
 
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