明慧法会|仕事の環境を切り開き 衆生を救い済度する(一)
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文/黒竜江省の大法弟子

 (明慧日本)これらのすべては皆、目で見たことです。ある日、同僚に「あなたはなぜ、こんなにすばらしく、こんなに親しみやすく、苦労をいとわず、憎まれても気にかけないようにできるのでしょうか?」と聞かれ、私は「法輪大法のおかげです。法輪功は人に真・善・忍に基づいて良い人になることを教えているからです」と答えました。この同僚は大法のすばらしさを信じました。新しい同僚やアルバイトが来ると、私はこれが師父の苦心の按排だと思い、積極的に付き合い、彼らに真相を伝え、三退を勧めました。あるおじさんは、「あなたたちの先生の法は最も正しいです。中国にはこのような人は1人しかいません。皆が法輪功のような人になったら、警察はいりません。あの中共邪党の法はだれも信じません。中共には腐敗した人がいっぱいいて、もうだめです」と、感想を述べました。 

                                      ――本文作者   

 慈悲かつ偉大なる師父、同修の皆さん、こんにちは!

 本日、師父にこの一年の修煉体験をご報告申し上げ、同修たちに仕事の中でどのように自分をしっかり修め、大法を実証し、衆生を救い済度してきたのかについて、分かち合いたいと思います。

 一、自分をしっかり修め、衆生を救い済度する

 私は中年の大法弟子で、主な修煉環境は会社にあります。私は大法の基準に従い、仕事の中で自分を厳しく要求し、同僚との関係を良くし、人に礼儀正しく接し、汚い仕事、疲れる仕事は私が多くやり、簡単な仕事を人に譲り、周囲の同僚をよく助け、同僚に良い人と成す理も話しました。周りの同僚は、私の人柄が良く、とても信頼できる人だと感じたようです。そこで、私は真相を伝え、三退を勧めると、同僚たちはすぐ受け入れました。ある同僚は「あなたは世界で最も良い人です」と言いました。徐々に私の会社での修煉環境がとても穏やかになり、師父が『転法輪』でおっしゃった「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」のようでした

 会社の夜勤は、夜9時に食事の時間で、皆で順番に行きます。私はいつも同僚を先に行かせ、自分は最後に行き、残ったご飯とおかず食べ、ときには何も残っておらず食べられませんでした。同僚たちは皆とても感動しました。難しい仕事が来ると、同僚たちはやりたくなくて休憩しますが、私は黙々とやりました。冬、社長は節約のため、暖炉を焼く人を雇わず、社員にやってもらいましたが、誰もやりたくないので、私は勤務につくとこれを引き受けました。だんだんと、この仕事は私の担当になり、同僚たちは私を待ち、一部の同僚はこれが不公平だと言いました。しかし、私はいつもにこにこし、文句を言わず、皆さんのために暖かくしました。会社の冬休みに、私は社長に暖炉を焼く仕事を頼まれました。この仕事を引き継ぐとき、石炭がなく、石炭のほこりがいっぱいありました。私はこの仕事を交替するとき、石炭のほこりを全部出してきれいにし、次の人のために石炭を準備しました。これらのすべては皆が目にしました。ある日、同僚に「あなたはなぜ、こんなにすばらしく、こんなに親しみやすく、苦労をいとわず、憎まれても気にかけないようにできるのでしょうか?」と聞かれ、私は「法輪大法のおかげです。法輪功は人に真・善・忍に基づいて良い人になることを教えているからです」と答えました。この同僚は大法のすばらしさを信じました。

 新しい同僚、アルバイトが来ると、私はこれが師父の苦心の按排だと思い、積極的に付き合い、彼らに真相を伝え、三退を勧めました。あるおじさんは、「あなたたちの先生の法は最も正しいです。中国にはこのような人は1人しかいません。皆が法輪功のような人になったら、警察はいりません。あの中共邪党の法はだれも信じません。中共には腐敗した人がいっぱいいて、もうだめです」と、感想を述べました。

 師父は次のようにおっしゃいました。「衆生を救い済度することをしっかり行いたいのであれば、まず自らをしっかり修めるべきです」(『ブラジル法会へ』)私が悟ったのは、大法弟子が自分をしっかり修め、高い基準で自分を要求できれば、衆生を救い済度することが、さらによりよくできます。

 二、内に向けて探し、すべての不正を正す

 今日の常人社会には不正な気風がよくあります。多くの会社では、給料日の後、皆一人一人がお金を出し、一緒にレストランに行って食事し、その後カラオケ、麻雀館などの娯楽施設で遊びます。うちの会社もこの風習があり、ときには煽情的なジョークを話し、またある同僚は上司によく密告し、同僚間の関係を緊張させました。

 これらのことを見て、私は師父の『大紀元会議での説法』を思い出しました。師父は次のようにおっしゃいました。「常人は、『相は心から生じる』という言葉に含まれているこの意味を知らないのですが、実は自分の要素が自分の環境を変えてしまうということです。自らを修め、内に向けて探す、などの話を私はとても明白に、はっきりと説きましたが、(笑)このことを重視する人は多くいません」 同修は私と交流し、私たちは衆生を救い済度するために来たので、すべての不正を正し、社会の流れのままに従わず、内に向けて執着心を探し、法に符合していないものを取り除くべきだと話しました。私はおいしいものを食べ、楽しく遊びたい心がありました。常人のときの私にこの心がすでにあり、迫害後、この機会が少なくなり、この執着心が隠されました。色情の心もあり、きれいな異性が好きで、ときには頭の中に思想業が現われました。また、嫉妬心があり、表では何も言いませんが、心の中でバランスを取れなかったときもありました。これらの心を見つけると、私は法の中で自分を正し、頭の中でまずこれらの執着心は私ではないとはっきり区別し、正念を発して取り除きました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/19/249090.html)     更新日:2011年11月27日
 
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