明慧法会|明慧の環境で成熟していく(一)
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文/吉林省の大法弟子 清純

 (明慧日本)2007年、師父のご按排のもと、私は幸運にも明慧ネットにアクセスすることが出来ました。その時を私は永遠に忘れることができません。青色の画面に「法輪大法明慧ネット」と書かれていました。師父が座っておられる写真の厳粛さは今でも覚えています。同修による理性的な交流や正念に基づいた行いなどの文章を読んで、私は自分自身と同修とのギャップに気付き、自分の不足に気付きました。その時はどういうことなのかよくわかりませんでしたが、まるで私の精神が立ち上がったようでした。

――文章の作者より    

 慈悲で偉大なる師父こんにちは。同修の皆さんこんにちは。

 1999年の迫害以降は法を正す修煉の段階です。私が真に精進し、落ち着いて修煉を続けて来られたのは、明慧ネットを閲覧できるようになってからです。

 2004年、迫害のまっただ中、私は迫害のため地元を追われ、同修との連絡がとれなくなり、修煉の環境を失いました。さらに法に対する認識の不足や、邪悪による迫害の恐怖により自分の修煉を緩め、修煉状態は良い時もあれば悪い時もありました。

 2007年、師父のご按排のもと、私は幸運にも明慧ネットにアクセスすることが出来ました。その時を私は永遠に忘れることができません。青色の画面に「法輪大法明慧ネット」と書かれていました。師父が座っておられる写真の厳粛さは今でも覚えています。同修による理性的な交流や正念に基づいた行いなどの文章を読んで、私は自分自身と同修とのギャップに気付き、自分の不足に気付きました。

 その時はどういうことなのかよくわかりませんでしたが、まるで私の精神が立ち上がったようでした。あまり出来ていなかった朝の煉功も、音楽を聞くとただちに全ての細胞が踊りだすかのように興奮し、それ以来朝の煉功を一度足りとも欠かしたことはありません。毎日早く仕事を終わらせて、学法したいとばかり思うようになりました。少し時間が経ってから、私は再び法を暗記するようになり、その時の向上は本当に早く、まるで迫害前に法を暗記していた時期に戻ったかのようでした。

 学法が追いつくと、心性の向上も追いついてきて次元も向上し、真相を伝えることができるようになりました。私はこれまでの2年間という貴重な時間を無駄にしてしまったことを後悔しています。師父は何度も説法の中で学法の重要性を強調されました。私自身としても、法をしっかり学ばなかったことで時間を無駄にしてしまったことを後悔しています。しばらくして私は明慧ネットへの投稿をはじめました。初めて自分の修煉体験が掲載された時、私は感動して涙を流していました。長期にわたる一人だけの修煉環境の中で、同修との連絡がきわめて少ない中、まるで家を見失った一羽の鳥がやっと家に戻ったかのように、私は全世界の大法弟子と繋がっていることを実感しました。

 その後私は、携帯電話を通して真相を伝える多くの同修の修煉体験を読んで、自分もやってみようと思いました。しかし、やってみると意外に難しく、できないところを同修に聞くこともできませんでした。このようなとき、私はいつも明慧ネットを読んでいました。さらに明慧ネットの交流文章を通して少しづつ勉強し、どのように真相を伝えるかなど、いずれも明慧ネットに掲載されている技術交流文章から学びました。その時期は勉強のために一晩中寝ないことすらありましたが、しかし翌日はいつもと変わらずに元気いっぱいでした。

(続く)

明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/11/248927.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/17/129530.html)     更新日:2011年12月24日
 
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