私も正法時期の大法弟子になりたい(二)
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2011年12月30日】例をあげると、私にとってパソコンは全く分からず、ゼロから習い始めました。少しずつ同修の動作を見習い、家で研究しながら、克服しました。パソコンはすでに実在の生命体で、法を実証するのに非常に助かります。以前、中国でローマ字のピンインを習いましたが、文字を打つ必要があるため、台湾の注音符号を勉強しました。大法弟子は正しく歩み、師父のご加護のもとであれば、できないことはないと深く感じました。当時、最も大きい収穫は、心性の魔難と向上でした。電話で真相を伝えることは、師父が大法弟子に切り開かれた最もはやく、直接に人心を取り除く方法です。常人の恐怖心、安閑心、闘争心、顕示心、歓喜心などがすべて暴露されます。常に気付き、毎回修めることで、常人の殻が一層一層と抜けるのをはっきりと感じました。

 最も印象深いのは、電話で真相を伝え始めたころ、恐怖心がいっぱいのときに同修の思わぬ行動に耐えられませんでした。電話しているとき、暴言を吐く人はたびたびいますが、うまく対応できないので、このとき同修が変わって受話器を取って対応します。電話を同修に渡し、表面的に耐えましたが、心では不満に思っていました。こういうことは何度もありました。ある日、感情が爆発し「明日はもう行かない、私がいなくても大丈夫だから」と思いました。しかし、すぐにこの考えはよくないと気付き、家に帰って落ち着いて内へ向かって探しました。『精進要旨』の「忍とは何か」の中で「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」とあります。この時、どんなことをしようとも、師父は各種の環境を利用して、修煉者のいろいろな人心を取り除かれます。修煉は厳しいもので、トラブルに遭ったら、自分の心がどう動くかをみるべきです。

 師父の法を思い出した時、一歩下がって考えることができました。同修の基点はよいもので、彼女は衆生が早く救われるのを望んでいるからで、私はメンツを気にしており、人を救うことを忘れてはなりません。電話をしに行かないことは責任を逃れることになり、向上の機会を失うだけではなく、全体に影響し、その損失も大きいと思いました。そして、心が落ち着いてきました。その後、どんなトラブルに遭っても、法の基準で自分を厳しく律するようにしています。こうすれば、簡単に不満を解消し、自分を正すことができます。こうして、法から授かったエネルギーや、心性が向上した気持ちを体験することができます。

 三、全世界真相電話チームに参加し、大法弟子が共に精進する貴重さが分かった

 人を救う切実さを感じた時、師父はいつも縁のある同修を按配して、手伝わせてくださいます。今年6月、同修から全世界真相電話チームを紹介されました。いろいろな国や地域からの同修が集まっています。共に競い合って修煉し、精進する環境の中で、たくさんの交流と真相電話をする機会がありました。私たちは巨大な百脈全開のエネルギーが、私たちの功が早く伸びるのを手伝っていると感じています。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/24/250959.html)     更新日:2011年12月31日
 
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