文/黒竜江省の大法弟子 実修
【明慧日本2012年1月5日】同修を助けることも、自分の助けとなります。私は病業がある同修と一緒に学法するとき、三度も病業が重く現われました。病業は同修を助けることを妨害し阻止しようとする邪悪の破壊だと思い、これは仮相だと見てすぐに解体しようと考え、学法チームへ行くことを堅持しました。当時、インフルエンザのような症状が出て辛くても、学法チームに入ると無事でした。また内に向けて探すと、これは自分の心が促したものだと分かりました。私は同修が「病」を放下せず、なかなか覚悟を決めないのを見て焦る心が生じました。同修の場がよくないのを見て、差別する心と見捨てようとする心が現われ、また寒い時、同修の家が遠いと、苦労したくない心も現われました。これは修めて取り除くべき人心と観念でした。同修を助ける中で、自分の問題が一つ一つ見え、法に従って取り除くことに注意しました。また同修を助けるには、私たちが同修に対する正念を増やし、法の中で同修を啓発し、一人一人の同修を大事にすることがその同修の背後にある巨大な生命群を大事にすることなのでした。
同修との交流の中で、私は自分の力がまだ足りず、まだ多くの同修が助けを必要としていると気がつきました。私はさらに多くの同修が早く成熟して、さらに多くの昔の同修を見つけ、彼らを全体学法に参加させ、全体が向上して昇華できるようにします。
二、内に向けて探し、真の慈悲を修める
去年の冬のある夜、ある同修が2人の同修を連れて訪ねてきました。彼女たちは私が全体をよく形成せず、発正念も統一しなかったことを責め、またある協調人が法に従わず、その人はだれか、どこに住んでいるのかなどと言いました。私は他人を責めることが好きでなく、考えも単純で、話も好きでなかったので、彼女たち3人の詰問を聞くと、心が落ち着かず、身体が薄ら寒い感じがしました。私はすぐ同修に「あなたはなぜ私が知らない人をここに連れてきたのでしょうか? 全体を形成したいなら、自分をしっかり修め、法を以て師とし、内に向けて探してください」と言いました。同修は私がこんなに怒っていると大騒ぎし、私が慈悲でなく、善でなく、法の中にいないと責めました。しかたがなく、私は彼女たちに出て行ってもらおうとしましたが、彼女たちは動かず、大声で騒ぎました。しばらくして、彼女たちは出ていきました。
翌日、私は学法から自宅に戻るとき、廊下に貼ってある2枚の真相チラシを見ました。同修は私が中共の邪悪に「指名手配」されていることをはっきり知ったのに、また「ごたごた」を造り、とても辛いことでした。恐れる心の物質がすぐ現われましたが、これは正しくなく、仮相だと悟りました。私の空間場が純粋でないため、旧勢力は私の取り除かれていない人心を用いて妨害しているのです。邪悪に隙に乗じられないように法を多く勉強し、正念を多く発し、法で自分を正そうとしました。師父は「内に向いて探すのは宝物です」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』)といわれました。。私は『精進要旨』の「境界」などを暗唱して泣きました。自分は忍が出来ておらず、さらに善も出来ていませんでした。私が同修を追い払ったのはよくありませんでした。ここで同修にお詫びします。 なぜこんなことが生じたのでしょうか? 自分には闘争心、人の批判を聞きたくない心、慈悲心が足りないため、学法をすることで、これらのよくないものを全力で取り除くようにしました。
その後、私は同修にパソコンの新しいシステムを導入する機会を通して、積極的に彼女たちに謝りました。当時、私を最も強く批判した同修は私が彼女の家に入ると、私にしきりに謝り、私も彼女に謝りました。私たちの間の隔たりは消え、また一緒に協力しました。私は彼女たちにパソコンの新しいシステムの導入を教え、彼女たちは喜んで、また他の同修に教えました。私たちは間隔を突破し、全体を形成し、手を携えて大道無形の道を歩みました。
去年の正月、迫害された同修が帰って来て伝わってきたのですが、私の写真は中共により広く出回っており、またスパイの追跡もあることを知りました。一部の同修は私に会うことを恐れ、一部の同修は私に家にいるように勧めました。これらを聞いた私は動揺せず、内に向けて探しました。これらのことが私の耳に入ったのは自分によくない物質があり、恐れる心や怨む心や面子を重んじる心、人の批判を嫌う心があると考えました。内に向けて探すことは自分を正す過程です。私が分かったのは、邪悪は私が全体を離れ、流浪して落ち着く先がないようにさせようとしているのです。私はこれらのすべてを認めず、私は家にいて、どこにも行かず、正々堂々とやるべきことをやろうと考えました。私はしっかりと学法を第一位に置き、特別な事情以外には、半日の学法チームの勉強に参加し、大法を実証することがあれば、私に対する同修の態度を気にせず積極的に協力し、結果を求めず一つ一つを完成させ、いくら遠くても文句を言いませんでした。同修も私の一つの鏡なので、同修の指摘が正しいことであれば受け入れ、正しくなければ同修を包容しました。
師父は私たちに衆生を多く済度することを要求されました。私は真相を伝えることを日常生活と仕事の中に入れ、真相資料とDVDを随時に持って配り、対面で真相を伝え、真相の手紙を送り、真相を伝える電話をかけ、近い距離から正念を発し、やるべきことをやりました。
三、携帯電話を用いて多くの衆生を救い済度する
2009年の末、私は携帯電話で真相を伝え始めました。普段、私は携帯電話を使わず、携帯のキーボードの使い方も知りませんでした。しかし、これは大法弟子が衆生を救い済度する法器ですから、師父のお話をしっかり聞き、法の実証が必要であればやり、難しくても必ずできるようになると思いました。同修の熱心な助けによって、私は携帯電話でショートメッセージを送ることを学び、全ての操作を覚えました。その後、私は同修に積極的に携帯電話を薦め、多くの同修が利用できるようにしました。私たちは学法の場所へ行く途中、真相資料を貼る以外に携帯電話でも真相を送り、僻地にいる衆生を救い済度しました。
携帯電話で真相を伝える過程で、技術を学び教えるとき、他人に頼る心と他人に教えるときの焦る心などの人心を取り除くことができました。携帯電話をかけるには費用もかかり、利益の心も取り除かなければなりません。迫害に参与している悪人に携帯電話をかけるとき、恐れる心も取り除かなければならず、罵声を浴びせられても怨む心を生じさせてはならず、真相を聞くのが好きな人に出会っても歓喜心を生じさせてはならず、これらの過程は私たちの執着心を取り除くものでした。師父がおっしゃったように「学習者の一本の電話でそれらは眠れないほど驚いてしまい、恐怖を感じています」(「各地での説法」『二〇〇三年米国中部法会での説法』)
師父の慈悲なる苦難の済度に感謝いたします。同修の誠意ある助けに感謝します。合掌!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)