明慧法会|内に向けて探すことは真の宝物(一)
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文/河北省の大法弟子 大山

 【明慧日本2012年1月9日】師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。

 法会の場を借りて、師父と同修たちに私と学法チームがどのように内に向けて探し、自分の不足を探し続、自身の執着を見つけ、そしてどのように執着を取り除き、不足を正し、徐々に師父を完全に堅く信じ、大法を堅く信じる金剛不動の正念へ昇華したかの過程を報告しま。次元限りがあるため、個人の認識不足あるところは、同修の慈悲な指摘をいただきたいと思います。

 一、法をしっかり勉強し、常に内に向けて探す堅実な基礎を築いた

 師父は多くの説法の中で私たちトラブルに遭ったら、必ず内に向けて探し他人を見内に向けて探すことは最も有効な方法です」(『二〇〇九年ワシントンDC法会での説法』)と懇々と教え諭されました。しかし、実際の関を越える中、トラブル自分の心に突き当たるとき、多くの同修は落ち着いて自分を見て探すことができず、トラブルあるいは表面の出来事に動かされ、さらに左右され、相手の足りない点ばかりを見て、自分を探してどのような心がトラブルを招いたかを考えませんでした。さらに同修から内に向けて探すよう指摘されても、人心の働きによって心が落ち着かずりながら弁明し、他人の間違いなのになぜ私に内に向けて探させるのでしょうか? という具合でした。このようなことはすべて私たちが法をしっかり勉強できていなかったからです。以前私もこのような状態で、学法するとき心の状態がよかったですが、常人社会に触れて何かに出遭うとしっかり対応できず、その後しっかりやろうと思いましたが、またよくできず、後悔の中で身動きがとれませんでした。

 師父は『妨害を排除せよ』の中で「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」とおっしゃいました。学法の重要性が分かった後、私たちはすぐ全体学法チームを回復し、決まった時間と場所で全体学法を行いました。当時、同修たちは皆向上が速いと感じました。法をしっかり勉強した同時に、内に向けて探すことも学べ、私は何かトラブルに遭っても焦燥に駆られず、他人の足りない点を見つめなくなり、また他人の足りない点を見ると、内に向けて探す美妙な境界を得ました。

 しかし、時間の流れにつれ、私を含む多くの同修は知らずに全体学法徐々に形式的になり心をこめて学法しなくなりました。この状態に対し、私たちは交流を通し、内に向けて探し、大法対照し、多くの根本な執着を見つけました。例え、正法の時間に対する執着でした。十数年来の法を正す時期において、表面において自分が想定していたような顕著な変化が見られず頭の中で大法を実証するのはゆっくりで良いと思い、まず常人の生活をしっかりやるほうが良いと考え、内心から精進の志が徐々に緩みました。利益を求める心が重くなり、多く働くようになり、稼いた金が多くなり、安逸心を求める同修が多くなったのです。しかし表面では同修たちは皆、今まで通り三つのことをやっていますが、努力の程度が落ち、問題が表面に浮かんできました。私たちは内に向けて探すことを通し、それらの執着を見つけましたが、どのようにこれらの執着を放下するかは同修の前に置かれている厳しい試練で、そして真に修めているか否かの証明なりました。

 例えば、この前ある同修は長期的に精進していない状態が続いた後、邪悪から自宅で直接的な妨害を受けました。一喝を受けたかのように、この同修は問題の厳粛さを認識しましたが、しかしこの出来事はの同修を目覚めさせることが出来ず、不精進の怠け状態を依然として突破できず、心をこめて学法できず、真相も伝えたくなく、毎朝の煉功参加できませんでした。同修たちは彼を心配し、彼自身も自分を心配し、彼の言葉で言えば、精進意欲がなかなか上がってこないようでした。実際、彼の一言で彼の学法状態がわかりました。師父は私たちに「正念は法に由来しており」(『更なる精進』)と教えられました。あなた精進の正念がなければ、私たち法をしっかり勉強していないと証明しているのです。同時内に向けて探し、学法の基点を正しく置かなければなりません。学法は学ぶために勉強するではなく、さらにこの形式を守るために勉強するではなく、学法は法に同化する過程であり、大法対照して自身の足りない点を見つけ続、不足を正し、自分の思想を洗浄し、思惟を昇華し続、正念を充実させる過程です。この関係はっきり分かった後、私たちは学法の心理状態を新たに調整し、以前のような学法量を重視する心を取り除き、学法の質を重視し、なるべく師父要求されたように念を入れて法を勉強するようにしました。師父はすでに私たちに念を入れて学法するのを要求されたから、私たちは口で読んで勉強するの留まってはならず、学法のとき、できるだけスピードを落とし、同時に同修の言ったように「三つ着き、すなわち「口が着き、目が着き、心が着く」をやり遂げ、法を心の中に入れて拝読して覚えるではなく、心を法の中に溶け込んで洗浄し、人間の中で形成された自分の各種観念と不純さを正し、自分の全ての心身をまったく保留することなく大法の中に同化するようにしました。

 ある夜の全体学法のとき、最初私は様々な思考を押さえられず、これが現われたり、あれが現われたりしました。私は師父が私たちに法の中に溶け込むように教えられたから、意識的に雑念を押さえず、自分の心身を無条件で法の中に溶け込ませることを重要視しました。心法の中に徐々に溶け込んだとき、これらのよくない私心が正されたり、大法に取り除かれたりし、瞬間に消えました。

 二、内に向けて探し、協調の中で徐々に自分昇華した

 7.20の後、正法の需要のため、私は多くの同修と同じように、同じ地区の同修協調するという正法修煉の道に入りました、初めのとき、邪悪の迫害がまだ酷く、自分の恐怖心も重かったですが、協調という修煉の道に入った後、自分に対する要求が高くなったようと突然感じました。そして責任者として、まず学法のリーダーでなければなりません。協調人しっかりしなければ問題さらに重いです。最初、私は大きなプレシャを感じ、自分がよく出来ないため、他の同修に影響を与えてしまうのを心配しました。苦労の中で、学法と心性の修煉、内に向けて探すことで、徐々に昇華していました。

 師父は「恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です」(『至難の関から抜け出す』)とおっしゃい、また、「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります」(『精進要旨(二)・最後の執着を取り除こう』)とおっしゃいました。師父の説法を繰り返して勉強したのにつれ、内に向けて恐怖心の根源がいったいどこからだろうかを探しました。恐怖心は私心なので、自身に対する執着で、自分の身体や利益や名誉の損失を怖がっているから、これあれを怖がる心が生じたのです。この方面から恐怖心を見て、常人の「名、利、情」を維持して放下していないではないでしょうか? 私たちの修煉に背馳しているではないでしょうか? この次元の法理を分かった後、頭の中に常に法を入れ、正念を保ち、恐怖心がますます薄くなりました。しかし、肝心なとき、恐怖心がまだ現われました。法を勉強し、内に向けて探すことを通し、基点の問題、すなわち師を信じ、法を信じるという問題を見つけました。恐怖心が現われたとき、邪悪の妨害に直面しているとき、私たちは邪悪の妨害の表面の表れを重く見て、それを人が人に対する迫害だと思って、師父の説法と加護遥か遠いものだと感じていました。基点法になく、師を信じ、法を信じる程度が落ち、人為的にこの邪悪な表面の表れをさらに邪悪をさせてしまいました。師父は『洪吟』「何を恐れるの中で私たちに教えられました。「汝に恐れ有らば 它はじきに抓む 念を正しくすれば 悪はじぐに崩る 修煉の人 法を持っており 正念を発すれば 爛鬼炸く 神世に在りて 法を実証す」 このように、私は法の勉強と同時に内に向て探し続け、師父を堅く信じ、大法を堅く信じる過程の中で、恐怖心がさらに薄くなりました。

 協調人としてこの数年の修煉の中、最も生じ易かったのは顕示心でした。法の勉強と内に向けて探すなかで、私は徐々に内に向けて探す習慣を形成しました。例えば私は甲同修乙同修はいかに法の中にいないのかと私に言ったことから私は逆に自分を見ました同修が迫害されたくと、私は自分の第一念法に在るか否かを洞察しましたある同修私に同修か煽情なものを見て問題を起こしたと言ったことを、自分への警告としました。

 要するに、内に向けて探すことは師父私たちに賜った修煉の宝物で、私たちはこの宝物を身につけて使い、師が法を正すことを助ける道で曲が道を少なくし、曲がり道を歩まないようにすべきです。私たちすべての同修真に内に向けて探すことができる時、私たちは脈とツボのない金剛不壊の全体を形成し堅く破壊されることがなく、邪悪自然に死滅します。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/11/249183.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/28/130370.html)     更新日:2012年1月10日
 
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