ある歯医者の体験
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 【明慧日本2012年1月10日】蔡医師は現代医学の教育を受けて育成された若手の歯医者です。2カ月前、筆者は学法場で蔡医師と知り合いました。

 立ち居振る舞いが穏やかで上品、これが蔡医師の第一印象です。しかし、想像しがたいのですが、「中学、高校時代は自分の個性に極めて剛直に固執し、オシャレを追求する今の若者と同じようにイヤリングをつけ、ローライズパンツをはき、ストリートダンスを踊ったり、車をすっ飛ばしたりしていました。また、よく仲間を集めて率先して人と衝突を起こしていました。このような異常行為はいつも父親、母親を困らせていました」と、蔡医師は言います。高校卒業後、大学の入学試験がまったく芳しくなかったことから、遊ぶ心を終わらせるべきだと悟りました。学業に集中し、2年目に蔡さんはずば抜けた成績で歯学部に入りました。大学期間中、専門領域の学習に勤しんでいる時間を除き、蔡医師は特に、衛生教育器材の開発とサークル活動に熱を入れ、長年、熱心に特許を出願し、計画書を策定し、イベントを行い、企業を訪問し、社会福祉基金の寄付を募りました。蔡医師の生活スタイルと学習は、医師という専門職としての要請に応えるための準備でした。だからこそ、かたくなな性格で、依然として家族に深い気苦労をかけていました。

 高校時代に一度、ストリートダンスを踊っていた時、思いもかけなかったことに、仲間に後頸部に激突され、そのために頸椎を傷つけられました。それが、長い間、蔡医師を苦しめました。毎回、発作の時は細長い竹片で頸部を突き刺されているかのようでした。2本の腕はこれが原因で異常なほど痺れました。その上、痛みはさらに下っていき、背中全体に広がったのです。2年前、蔡医師は兵役に服し、離島へ配属させられ、医官に就きました。歯医者が診察する時、手と体の姿勢は基本的には一定の状態に保つことができます。2人の外来患者を診ることはできますが、体はもうそれ以上耐えられませんでした。漢方医、西洋医の助けを求めましたが、効き目には限りがありました。蔡医師は意気消沈し、自分の歯科医としての生涯はあまり長くないかもしれないと思いました。

 離島での兵役半ば、蔡医師は「開業して世を救う」という理想を抱いていましたが、頸椎の問題のために、生涯の計画が厳しい試練に直面することになってしまった時、まるで定められていたかのように、蔡医師は『転法輪』を読みました。幸運の至りでした。現代医学の教育訓練が蔡医師の障害となることはありませんでした。『転法輪』に詳しく述べられていた法のすべてを蔡医師は認め、道理にかなっていると思い、修煉に入りました。

 「もし身をもって体験したことでなかったら、友人とこの2度の体験について話そうとは思いませんでした!」と、頸椎の苦痛が医療を超えた方法によって調整された経験談を話す前に、蔡医師はにこにこしながら言いました。初めはモニターの前で明慧ネットの文章を読んでいる時、その次は体を洗っている時に起こりました。優しいエネルギーが本当に柔らかい手のように、首の前面から入ってきて、皮膚、血管、喉ぼとけを突き抜け、そのエネルギーは頸椎から離れずに上下に調整していました。その時、頸椎の関節は続けて「カッカッ」という音を発しました。その時はただ「とても不思議」だと思っていただけでしたが、すでに医療の専門的な理解を超えていたのでした。顔を洗っている時に、またもや前回と同じ体験が繰り返し起こりました。数分後、エネルギーは離れていき、蔡医師に長年付きまとっていた頸椎の病気だけでなく、長期にわたって悩まされてきた鼻のアレルギーも一緒にきれいに片づけられたことに、蔡医師は気が付きました。

 蔡医師は今は実家で開業しています。修煉を始めてから1年あまりの間の体と精神の向上について、蔡医師は教えてくれました。丸1日の外来診療も問題ないそうです。頭が良くて頑なな1人の青年医師が、法輪大法を修煉してから、家族、友人、患者に対する態度にますます心がこもり、寛容になり、優しくなりました。これこそ、蔡医師の父親と母親が一番安心した事でした。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/1/251326.html)     更新日:2012年1月11日
 
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