明慧法会|編集の仕事をする中で成熟する(二)
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文/中国の大法弟子

明慧日本2012113日】

 四、師父から「神筆」を授かる

 今までの勉強の中で、私は作文を書くのが一番大変だと思っていました。学校に通っていた時、書き出せない場合は教科書以外の、既に作られた作文を書き写しました。今の編集の仕事を私はやり遂げることができるでしょうか? 私は少しも自信がありませんでした。しかし現地に適任者がおらず、もし適任者がいれば、当時の私の心性ではすぐ「どうぞ」と譲り、1秒も待たなかったでしょう。

 私が困ってい時、ある晩私は夢を見ました。夢の中で師尊は本当に若く、僅か20歳にしか見えません。私と二十数人の同修達は十二、三歳に過ぎず、みな男の子でした。みんな元気いっぱいで、誓いを固く立てました。記者になる者がいれば、新聞の編集者になる者もいました。記者達はみな手にカメラを持っていました。私の手には何もありません。

 しばらくすると師尊の声が聞こえました。喜ぶにはまだまだ早すぎる、時になると……話が終わるその途端、師尊の手から数本の万年筆が飛び出して、その中1本が私の手に落ちました。私が開いて見ると、インクを入れる部分は多くの瓢箪模様の節がつながった形で、すごく素敵でした。中にはインクと1つの瓢箪入っていました。私は壊してはいけないと思い、すぐ万年筆を置きました。

 夢から覚めて私は、私が天上から降りて来ようと決心したその時、師尊はすでに私法を実証する道を按排し、それはまさに現地の編集の仕事をよくすることであると悟りました。「神筆」はとっくにあり、私が使わなかっただけでした。私は内心深く恥じました。どれほど多くの衆生が救い済度されることを先延ばしにしてきたのか? もしかすると私が仕事をちゃんとしなかったために淘汰された衆生もいるでしょう。私はつい涙を流しました。私はやっと夢の中で師父おっしゃった言葉を思い出しました。喜ぶにはまだまだ早すぎる、時になると……そうです。師父は心配しておられました。人間世界に行って私達が期待通り行えるのでしょうか? その時すべてが未知数でした。

 自分を振り返ってみると、迫害が始まった後、真剣に学法をしなかったために、多くの回り道をし、あまりにも悲惨に転び、自分さえもうちょっとで滅んでしまうところでした。衆生の救い済度などは話にもならないところでした。私はこれ以上ためらってはいけません。まだ機会がある以上、今後の仕事をよくしようと私は決心しました。

 五、辛い編集の道

 現地の邪悪を暴露することは、現地の邪悪にとって非常に恐ろしいことです。空間の正邪大戦も非常に激しく、私は一度悪人から疑われたことがあります。ちょうど我が家の建物の後ろ車を派遣して丸2週間こちらを監視していました。私は何の仕事もせず、1日中学法をし発正念をし、家から出ませんでした。心から真の念を発しました。お前らちょうど下にいるが、お前らは建物に入って上がってくることができず、我が家の下でお前らを取り除く! 2週間後、監視していた車と警官ら消えていきました。

 空間の邪悪は虎視眈々としており、警官を操って私を迫害することができないとみると空間で私を迫害しようとしました。夢の中で警官の様子をした邪悪がよく現れて、至るところで私を追いかけ、私の襟をつかんでお前のやっている仕事をこれ以上するなと大きな声で叫びました。ある時、現地のスパイを暴く週報を仕上げていた 時、私が文章を書いている隣の部屋からスリッパをはいて歩く音が聞こえてきました。深夜なのに、身の毛がよだちました。私は文章を書きながら師尊に加持してくださるよう助けを求めると同時に発正念をしました。心の中に恐怖感がありましたがいつも師尊は全知全能であると固く信じる中で、段々消えていきました

 ある日、バイクに乗って出かける時、頭の中に突然「彼女がまさに編集者である」という言葉が入ってきました。私はそれがどういう意味かまだ反応できておらず、生活区の大門を出ると幻覚が生じました。私はもうちょっとで公共バスとぶつかりそうにな急ブレーキをかけ、私はバイクと共に地面に倒れてしまいました。再びよく見ると、公共バスは私と200mも離れたプラットホームの前に止まっていました。私は分かってきました。これはまた邪悪が背後で私を害しようとしたことに違いません。

 ある時、現地の同修が迫害によって死亡したことを暴く文章を作るため、私は2カ月かけて資料を整理しました。ちょうど私が整理し終わって明慧ネットに送ろうとした時、あまりのだるさにベッドの上で横になって休もうとしました。横になったその瞬間、私は後ろに白い服を着ている人が座っているのが見えました。どういう出来事かも分かっていないうちに、私はすぐ窒息しそうになりました。私は頭の中ですぐ師父を呼ぶと同時に、発正念をする時の口訣を念じました。邪悪が消えていき、私はやっと呼吸を戻すことができました。私はもう少しでわけも分からず死ぬところでした。普段学法を重視し、正念があり、そして師父から時々刻々慈悲に加護されているおかげです。そうしないと私は自分が何回死んだかもわからないでしょう。

 私は自分がいつも正邪大戦の激しい戦場の中にいる感じです。しかし結局邪は正に勝つことができず、最終的な勝利は私達に帰します。なぜなら私達には偉大な法があり、偉大な師父がいらっしゃり、そして私達は歴史的使命を賦与された法を正す時期の大法弟子だからです。

 六、大法弟子達は1つの全体

 私達大法弟子は1つの全体です。多くの地区が深刻な迫害を受けており、またその地区に真相資料がないことを見て、私には他の地区を助けて資料を作ろうとする考えが生じました。この考えが出ると、すぐ慈悲なる師尊から励まされました。その晩、私は自分の足から多くのペンが出て来る夢を見ました。目が覚めた後、私は師父がすでに多くの「神筆」の道を準備してくださり、自分は行だけで十分であることが分かりました。私は周辺地区の編集の仕事もやり始めました。現地の週報を含めて全部で6つの地区を担当しました。

 しばらくした後、私は非常に大きな圧力を感じ、そして週報のための情報もすぐには分からず、確認することができませんでした。それで私は週報を現地の同修に引き継いでもらおうとしました。引き継いでもらう過程に、うまく行くこともあれば、うまくいかないこともありました。仕事を引き継がず、ひいては私をスパイと疑う同修もいました。これで私はとても大き打撃を受けるようになり、一度は止めることさえ考えました……しかし心深いところでは放棄するのに忍びませんでした

 苦しい思索の中、私はそれでも現地の週報を主にし、残りの時間で周辺地区をやることにしました。周辺地区の同修が引き継いでくれればもっと良いのですが、引き継いでもらえないなら、自分の力を最大限尽くして出来る分はやろうと思っています。私は大法弟子1つの全体であることを時々刻々覚えており、誰かを迫害することは私を迫害するのと同じことで、私は一緒に迫害に反対していきます。

 終わりに

 安全上の問題もあるため、運営する中での多くの過程は話せません。しかし私達にやろうとする心だけあれば、師父は私達のために道を準備してくださり、私達の智慧を開き、見た目にはとても難しそうなとても多くの問題が簡単に解決できます。各地の知識のある同修達が自ら進んで各地の編集の仕事を担当し、現地の衆生の前に現地の邪悪をリアルタイムで暴き、迫害を抑制し、もっと多くの衆生を救い済度するよう希望します。

 師父の慈悲なる加護と運営過程参加したすべての同修達に感謝します。合掌!

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/19/249094.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/2/129815.html)     更新日:2012年1月14日
 
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