遼寧省:法輪功修煉者が生前に受けた迫害
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 【明慧日本2012年1月28日】遼寧省東港市の法輪功修煉者・高慶飛さんは、2003年に中国共産党により刑務所で飢餓、労役、洗脳などの手段で苦しめられ、心神喪失になった。2011年の初め、高さんは悲惨な状況の中で死亡した。以下は高さんの妻・周洪溶さんが、夫が生前に迫害された事実を語ったものである。

 私は周洪溶と言います。今年64歳で、夫の高慶飛は私と同じ年齢です。夫は1998年1月に法輪功の修煉を始めました。修煉する前は彼は元気でしたが、性格は良くありませんでした。夫はしばらく修煉してから、すべて変わりました。毎日心を静めて学法し、どんな事でも「真・善・忍」の基準で考え、怒らなくなり、善の心で人を助けて、常に良い人になるように努力し、体は更に健康になりました。それから、私の家庭は睦まじくなり、私は「夫は本当に生まれ変わった」とよく言っていました。 

 夫の大きな変化により、私は法輪大法の不思議さを実感しました。1998年4月、私も法輪大法の修煉を始め、間もなくして、私の気管炎、リューマチ関節炎などの疾病はすべてなくなりました。法輪大法は私達の体を浄化し、絶えず私達の心をもきれいに洗ってくれました。当時、私の家族は毎日、法輪大法の恩恵を受けていました。 

 しかし、私達が修煉して1年あまり、中国共産党が天地を覆い隠すように法輪功を迫害し始めました。 

 1999年7.20、中国共産党がマスコミを統制してデマを飛ばし、法輪功を誹謗中傷した時、私と夫の心は少しも動かず、彼らのでっち上げた虚言に左右されず、修煉を放棄しませんでした。毎日、通常通り法を学んで煉功し、大法をいつも頭の中に覚えていました。 

 2000年7月、小甸子鎮派出所の警官は村幹部に指示し、私と夫を小甸子派出所まで騙しました。派出所の警官は夫に「今日『修煉しない』とだけ言えば、お前を家に帰らせる」と修煉を放棄するように強制しましたが、夫は固く「修煉する!」と答えました。警官はすぐ夫を東港の留置場に監禁し、半月拘留しました。さらに、東港留置場に400元をゆすり取られました。家に帰った夫と私は依然として修煉を続けていました。 

 2003年5月28日午後5時頃、警官がある人を通じて夫に「小甸子派出所まで来るように」と言いました。夫は派出所に行った後、警官に法輪功を修煉するかと問い詰められて、「修煉します!」と答えた途端、数人の警官によって、もう1人の法輪功修煉者・陳喜平さんと共に派出所で一夜拘禁されました。翌日の朝、雷鳴と稲光が交錯して、大雨にもかかわらず、夫と陳喜平さんはパトカーに引きずり込まれ、東港留置場に送られ、13日間拘禁された後、また東港留置場に移送されました。 

 留置場に着いて、警官は受刑者に2人を暴力するように指図しました。その中で「小東港」と呼ばれる受刑者は、夫に「靴を脱げ」と命じて、脱ぐのが遅いという口実で夫を連続してビンタしました。夫はまた虚言で強制洗脳され、留置場の規則を暗記させられましたが、夫は拒否しました。 

 1週間以降、夫は労役(プラスチックの造花)を強制させられました。品質の悪いプラスチックは毒があって、ひどい臭いがして、朝から晩9、10時まで働かされ、頭が張るように痛くて吐き気がし、耐え難い辛さでした。しかもノルマが終わらなければ夜中の1、2時まで残業させ、更に暴行を加えられます。  

酷刑演示:毒打

拷問の実演:暴行

 夫は靴の鉄かかとで蹴られたため、夫の椎骨当たりがすべて腫れて、大きい水ぶくれができました。夫はこれほどにまで苦しめられ、また寝させないように受刑者に監視されていました。 

 陳喜平さんは警官の残忍さを見るに耐えられず、「あなたの父と同じ年ぐらいでしょう、なぜこのように殴るのですか?」と警官に聞くと、警官は憎々しげに「黙れ」と言いながら、また夫と陳喜平さんを滅多打ちし、夫は起きられなくなりました。このような迫害が何度も繰り返されました。食事の時、夫の食事はいつも受刑者に奪われて、空腹で作業をしていました。肉体も精神も苦しめられ、ますますやつれていきました。 

 2003年8月中旬、夫はすでに痩せこけて、意識がもうろうとした状況下で、東港市公安局によって強行して丹東教養院に送られ、署名するように強制されました。 

 2003年8月31日朝、夫と他の20数人の法輪功修煉者は皆、本渓威寧営労働教養所へ移送されました。当時の夫はすでに精神喪失になり、血圧は280に達して、心臓病の発作が頻繁に発症しました。教養所側から家族に迎えの許可が出されました。家族は多額の旅費を費やして、11月末に夫を迎えに行きました。家に帰った後、体調と精神状態は少し好転しましたが、12月に教養所はまた強制入所させ、夫は再度ショックを受けて、血圧が再び高く上がり、心臓病が再度現れ、教養所への入所拒否となりました。 

 夫は完全に精神喪失になり、記憶を失い、血圧は280に達し、いつも外でぼんやりして、臨終の状態が7年続きました。 

 2011年の初め、夫は無実が晴れないまま死亡しました。享年63歳でした。夫が受けた迫害で、家族にもたらした苦痛は言葉で表現できません。 

 2003年5月末から2011年の初めまで、私の家族の直接的な経済損失は、少なくとも5万元に上りました。  

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/5/251492.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/26/130965.html)     更新日:2012年1月29日
 
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