【明慧日本2012年1月20日】遼寧省大連市に住む法輪功修煉者・趙飛さんは、3度にわたって不法に労働教養を強いられ、不当拘禁、洗脳班での迫害の末、馬三家労働教養所で迫害を受け危篤に陥り、その後、一度帰宅したが監視を続けられた。さらに、2010年9月から迫害から逃れるため各地をさすらうようになり、このような圧力のもとで、2011年12月31日に54歳で亡くなった。
趙飛さん
趙さんの妻・何春燕さんも何度も不法に身柄を拘束され、そのため精神状態が異常になった。夫の趙さんが迫害を受けるたび病状も悪化し、連日食事しない日もあれば、正常に言動することがない日も見られる。趙さんの息子・趙元さんは1999年の年にまだ小学生であったが、両親共に迫害により逮捕され、家財を没収され、さらに学校ではいじめに遭い、性格が暗くなった。学校でいじめに遭うと、帰宅したら両親に対して暴力を振るうようになるなど、家庭環境がずっと悪化していた。
1999年11月2日、趙さんは正当な理由もなく家財を没収され、その後、不法に1年の労働教養を強いられた。その間、趙さんは転向政策に反したため暴力を受け、洗脳を強いられた。また、趙さんは奴隷的苦役を強いられ、50キロの豆入りの袋を毎日600袋も運ぶことを強いられ、レンガを毎日5万枚運ぶことを強いられるなど、肉体的な迫害が甚大であった。
2007年夏、大連開発区で仕事中の趙さんは3度目に不法に身柄を拘束され、大連市の留置場を経て洗脳班に移送された。趙さんは法輪功の修煉を放棄しないとして、その後9月24日に馬三家労働教養所に連行された。
迫害の実演:電気ショックを加えられる
10月はじめ、昼夜を問わず、趙さんは残酷な迫害を受けた。鉄製の椅子に縛られ、電気ショック及びめった打ちなどの暴行を受けたため、趙さんは両足の感覚を失い、半身不随となった。迫害のため趙さんは意識不明となったが、それにもかかわらず警官は引き続きスタンガンで趙さんの体中に電気ショックを加えた。その後、病院で緊急治療を受けたが、医療費を支払えない趙さんの家族は毎日のように趙さんを引き取るように要求された。
帰宅した趙さんはやせこけており、体中に電気ショックによる外傷が見られた。傷口から化膿した液体が流れ、尾骨が露呈するほどの傷跡もあった。完全に労働能力を失った趙さんはその後も監視され続け、脅迫を受け続けていた。警官らによる迫害から逃れるため自宅を離れた趙さんは、圧力及び体の傷のため、2011年12月31日夜6時に亡くなった。