韓国社会のエリート「宿願の師父とついに出会えた」(一)(写真)
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 【明慧日本2012年2月5日】趙さんは嬉しそうにノートを取り出し、ゆっくりと、そして、きっちりとした中国語を書き始めました。漢字のそばには小文字の韓国語でその意味と発音を記しました。このノートは、趙さんが中国語の大法書籍を読む際の分からない単語の記録でもあります。趙さんがとても真面目な人であることが分かります。話を聞いてみると、趙さんは20年間、裁判官を務めた後、退職後は米国・ロサンゼルスで弁護士の職務に2年間つきました。2002年に韓国に帰国し、国際的な弁護士事務所で働きながら、同時に、タンザニアの原石発掘会社の理事長も兼任しています。

 韓国出身の趙連浩さんは今年5月末に台湾師範大学で中国語を勉強し始めました。「大法をもっと理解したいからです。李洪志先生は中国の方ですから、すべての大法の書籍の原作は中国語で書かれています。台湾の大学で中国語を学びながら、台湾の同修と一緒に大法を修煉したいのです」と、趙さんは台湾に来た理由を述べました。趙さんは中国語の勉強に精を出したため、わずか数カ月間で大きな進歩が見られ、リスニング、リーディング、会話、作文までできるようになりました。趙さんは「韓国語、日本語、英語をすべて話せますが、中国語が最も難しい言語だと思います。一つの漢字に異なる読み方と意味があるので、中国語は学ぶほどに、とても奥深いと感じます」と言います。

 趙さんの2人の子供は裕福な家庭に生まれて育ち、米国の名門校で勉強しました。娘はボストンのウェルズリー大学(WELLESLEY COLLEGE)を卒業し、息子はマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究所を卒業しました。すべてが順調だった趙さんは、なぜ修煉の道に入ったのでしょうか? まるですべてが予め按排されたかのように、縁によって返本帰真への道が結ばれ、今や家族4人全員が大法弟子となりました。

趙さん一家

趙さん一家

 探し続け、やっと大法に出会う

 趙さんの父親は生前に寺を建て、趙さんは両親と一緒によく寺に行っていましたので、心の奥深くに修煉したいという願望を持っていました。しかし、両親が病気により死亡したため、さらに今の仏教への失望から(父は毎日朝4時に自分で建てた寺に参っていましたが、最後には病気になり極めて苦しみながら死亡した。決して安らかにこの世を去ったのではない)、趙さんはずっと本当の高徳の大法を探し続けていました。「1年前(2010年11月)のことですが、ある寺に悟りを開いた僧侶がいると聞きつけ、会いたかったのですがすでに亡くなっていました。そこを訪れ、あちこち見て回っていると、厨房に料理を担当する居士がいました。なぜここに来たのかと聞かれ、法を探しに来たと答えると、ここには説くべき法はないと、これまで10年以上にわたって高徳の僧侶の運転手を勤めていたこの居士は話しました」と趙さんは言いました。

 趙さんはさらに「その高徳の僧侶は入山する前は検察官でした。ある事件のために、彼は断食をして、自殺をしようと決意しました。しかしある日、ある出家した道士が自殺しないように、道を伝えました。苦痛に満ちた修煉により僧侶は悟りを開き、出山してこの寺の住職となりました。それ以後、一気に有名になり、大統領、政府の首脳、芸能人などが毎日のように彼を訪れるようになりました」と話しました。

 「居士の話によると、僧侶は低次元で悟りを開いたので、取るに足らないもので、説くべき法もありませんでした。そこで居士は僧侶を連れて、ある漢方の医者を紹介しました。この漢方医は以前は僧侶でしたが、10年前から法輪功を修煉し、その後漢方医となりました。この居士も彼を通して大法を得たそうです」

 その後、医者は趙さんに法輪大法を紹介し、五式の功法を教え、そして一冊の『転法輪』を贈りました。趙さんによると「あの日は今でも忘れません。一晩中、寝ずに本を読み通しました。あの時の感動は今でも夢に見ることがしばしばあります。これまでの30年間、私は裁判官と弁護士を勤めてきましたが、『法」とは一体なんだろうと自問してきました。『法』はもちろん、人間社会の法ではなく、真理なのです。そしてこの真理はすべて『転法輪』の中にあります」と言います。

 趙さんの体も非常に敏感でした。趙さんが学法煉功すると、前方に常に法輪が回転しているのが見えたそうです。「毎日学法や煉功すると、体の周りに常に法輪が回転します。体が常に調整されています。修煉に入り1週間経ってから、私は法を広め始めました」趙さんは法輪大法はあまりにも素晴らしいと何度も強調しました。「大多数の人々と同じように、法を得るのにたくさんの苦い経験がありました。私はこれまでに仏教、キリスト教などさまざまな宗教を信仰し、20種類以上の気功をしました。しかし、これらはいずれも私が探し求めていた法ではなく、気功はすべて偽物でした」と、趙さんは当時を思い出しながら語りました。

 大法を固く信じ、奇跡が現れる

 2011年1月、米国の神韻芸術団のアジア巡回公演が韓国釜山で行われる予定でした。神韻公演の主催元が韓国の法輪大法学会であるため、中共(中国共産党)による法輪功への迫害が海外にまで広まり、韓国での神韻公演も常に圧力と妨害を受け続けていました。公演間近になり、劇場側が突然、劇場の使用契約を一方的にキャンセルしました。「修煉してから1カ月後、私は韓国法輪大法学会の会長と知り合いましたが、彼から『あなたは弁護士ですので、釜山の神韻公演を助けてほしい』と頼まれました。しかし契約も締結したのに、なぜそう言われたの分かりませんでした」と趙さんは言いました。

 公演の2週間前、釜山市長が突然、釜山劇場による一方的な契約破棄を発表しました。3年前にも釜山劇場では理由もなく公演を取り消す行為があったため、趙さんは韓国法輪大法学会を原告として釜山市を提訴しました。

 「予想外にも、公演前日になると、裁判所は3年前と同じように、正当な理由もなく法輪大法学会の敗訴を決定しました。判決文を受け取った私はこの上ない圧力を感じました。同時に、100人以上の神韻芸術団の団員と韓国の大法弟子の無念さをひしひしと感じました。特に、会長は『釜山は今年の神韻アジア巡回公演の最初のステージなので、必ず成功しなければなりません』と言っていました。その当時、私だけで解決できるような簡単な法律的な問題ではなく、心底から失望と無力さを感じました」と趙さんは語りました。

 「しかし驚いたことに、その当時、ほとんどの大法弟子と神韻芸術団の団員の皆さんは全く動揺せず、常に正念を発していました。皆、釜山の公演は予定通りに実行されると確信していました。その時、私は修煉してまだ1カ月しか経っていなかったので、なぜ座禅して発正念するのか、それが公演の開催にどう影響するのか分かりませんでした(もちろん今は正念の威力を知っていますが)。ただ呆然と同修たちが発正念をするのを見ていた時、私は突然、お腹をナイフで刺されたかのように痛くなり、同時に、解決方法が脳裏に突然浮かび上がってきました」

 「公演当日の午前9時、私は釜山裁判所に抗議文を提出しました。そして昼ごろ、勝訴の判決を受け取りました。3時間で勝訴の判決を受けるとは本当に予想を絶するものでした。神韻芸術団の団員の皆さんは、劇場前のバスの中でこの勝訴の判決を待っていました。その判決を受けてから、団員たちは劇場に入り、ステージの準備をして、釜山での初公演は見事に開催されたのです」

 趙さんはこのことを通して、少しずつ法輪大法の内包と、師父と法を信じる重要性を理解できるようになりました。「解決する過程で、私は中共の在韓領事館が神韻公演を妨害するためにあらゆる手を使ったことを知りましたが、この事件は師父の力により、不可能を可能にしたのだと確信しています」と、趙さんは話しました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/23/250922.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/9/130604.html)     更新日:2012年3月4日
 
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