文/黒竜江省の大法弟子・幸子
【明慧日本2012年2月5日】
正念が十分に満たされ、恐怖心が消えた
2001年初め、私は北京へ法を実証に行き、連行されて2カ月後に家に帰ってきました。初めて真相資料を配るとき、とても怖くて、誰かがドアを開けと怖くてすぐ走って逃げました。私は大量の学法を通じ、真相を伝えて衆生を救い済度することが大法弟子の責任と使命で、やらなければならないことだと分かり、早く突破しようと決心しました。私はまず少量から始めました。しかし、その中の多くのことについて、人間の方法で安全の問題を解決しようとしました。法を正す進展が進むにつれ、師父は絶えず法理をはっきり教えてくださいました。私は真相を伝えて衆生を救い済度することが大法弟子の責任と使命であり、自分の衆生を引き取るのだと分かりました。しかし、恐怖心は最大の障害となっており、どうすればいいでしょうか? 私は法を多く勉強し、法で自分を満たし、トラブルに遭うと法を思い出し、師父を思い出しました。同時に実修に心をかけ、内に向けて探し、旧勢力に隙に乗じられないようにしました。また、同修の交流文を読み、正しい念で正しく行った同修の事例を思い出し、自分を励まし、困難だと知りながらも進んで行くことを決心しました。危険な仕事、危険な場所、危険なとき、私はできるだけ前に行き、徐々に恐怖心が正念に替えられました。
学法を通して、正念で旧勢力の按排を否定し、正念がさらに強くなったと感じました。私の家に来た警察に会うと、恐れず真相を話し、大捜索という噂を聞いても心が揺れず、法会に参加しても心配することはありません。資料配布や貼付けも怖くなく、敢えて対面で真相を話し、特に、対面で正々堂々と神韻DVDを配りました。
迫害される恐怖心だけではなく、あれこれを怖がる人心と観念も私たちの正念に影響していました。私は神韻DVDを配り始めるとき、まず邪悪の迫害を否定しましたが、1時間歩いても、1~2枚しか配れました。いらないと言われるのを心配し、悪口を言われるのを心配したのです。私はすぐに内に向けて探し、面子を重んじる人心と良くない観念を取り除き、いつも自分に、最も神聖である人を救い済度しているのだと戒め、何かに遭うといつも内に向けて自分の不足を探しました。
やっている間に知らずに正念が強くなり、心配がなくなり、またいろいろな体験もありました。数回の危険にも遭いました。1回目は、ある人が悪意を持って警察に報告しようとしました。私は緊張し、師父にお願いして追跡から逃れました。2回目は少し緊張していましたが、知恵をもって危険から逃れました。3回目はすぐ内に向けて探すと、その人は退きました。4回目は何も怖くなく、その人に真相を話そうとしました。まさに「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります。これは強いて行なうことではなく、本当に平然と放下することによって達することです」(『精進要旨二・最後の執着を取り除こう』)
自我を放下し、同修のことも自分のことと見なす
この数年、私は同修の救援活動によく参加しました。公安局、法院(裁判所)、検察院、弁護士事務所などによく入り、真相を話し、救援活動に協調し、救援の手紙を書きました。知り合いの同修でも知り合いでない同修にかかわらず、毎回主な役割を担当しました。最初は恐怖心が重く、自信があまりなかったのですが、できるだけ心を落ち着き、迫害された同修の家族の柱として、正念を加持し、家族たちに付き添って調査担当者、警察局長、裁判員、警察官、弁護士に会いました。
救えた同修は少なかったのですが、私はこの過程で内に向けて探すことを忘れず、正念がますます強くなり、また多くの経験を積み、どのように法律を用いて真相を伝え、迫害を制止するかをだんだんと身につけました。私は師父の教え「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『各地での説法二・二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』)、「ところが偉大な修煉者とは、すなわち、重大な試練の中にあって自我を放下し、さらに一切の常人の考えを放下できる人です」(『精進要旨二・位置』)をよく思い出し、自分を励まして自我を取り除き、全体を円融しました。
法の中で向上する
法を正す修煉の十数年の中で、同修と共に協調し、迫害に反対し、衆生を救い済度する中で、心性の摩擦とトラブルによく遭いました。ときには乗り越えられなくて涙を流し、協調したくなくなり、さらに他人のせいにしました。そのとき毎回、師父の法が頭の中にこだましました。「それは一種の洪大な寛容であり、生命に対する慈悲であり、全てに対して善意をもって理解するという状態なのです。人間の言葉で表現すると、相手のことを理解することができるということです」(『各地での説法二・二〇〇二年ボストン法会での説法』)「私たちは常人の団結を講じませんが、それは一種の無理に求められている表面形式です。皆さんは修煉者であり、さらに高い境地を持っています。ですから、多くの仕事に現れてくるのは、相手を理解すること、他人の意見に耳を傾けること、大法をもって正誤を判断することなどです」(『各地での説法二・二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』)。師父の法は暖かい太陽光のように私の不満と怨恨を解かし、私はますます他人を理解して寛容になり、他人のために考え、全体のために考え、衆生のために考えました。師父は私に、トラブルに遭ったら内に向けて探し、自分を修めるよう教えられました。私はいつも師父の教えを覚え、トラブルに遭ったら内に向けて探し、顕示、嫉妬、闘争、虚栄、名利など良くない人心を一つ一つ見つけて放下し、現れるとにそれをすぐに捕え、取り除きました。
十数年の修煉において、迫害の圧力の下、人間関係と心性の魔難の中で、人心と執着を放下する苦の中で、よろめきながらも歩んできました。私の毎回の向上と飛躍は、師父の偉大な佛法の導きと啓示のおかげであり、また同修の熱心な助けによるものでした。同修は鏡で、私の執着をよく照らし、努力して先頭に追いつくように促してくれました。
私はこの万古にも会えない高徳な大法を得て幸せです。偉大な師父の佛光の下で、自分を浄化し、さらなる高い境地に向上できました。一部の人は私が馬鹿で、自分の事業が最も輝いているときに高額の給与を放棄し(迫害による)、またいろいろな所からの圧力も受け、さらに連行されて自由を失ったと避難しました。しかし、私は分かったのです。失ったものを得たものと比べると、海の一滴にも足らず、大法の修煉は私に無比な幸福をもたらしました。
偉大な師父に感謝し、同修の皆さんに感謝します。
(完)
(第8回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/14/130084.html) 更新日:2012年2月6日