文/大陸の大法弟子 仙枝さんの口述、同修が整理した
【明慧ネット2011年12月19日】私は農村にいる普通の主婦です。1996年6月、畑で仕事をしていた時、一人のおばあさんがよく山のふもとにある家に行っていることを見ました。ある日、そのおばあさんに「そこに行って、何をしているのですか」と聞くと、「法を聞きに行っているのです」と返事されました。そしてまた「法とは何ですか」と聞くと、「法輪功を修煉します」とおばあさんは言いました。「私も行けますか」と私はすぐに聞いて、おばあさんは「いいですよ。でも今回の説法はもう半分過ぎたので、次回の時に来てくださいね」と返事しました。1996年7月1日、そのおばあさんからの知らせがあって、その日から法を聞きに行きました。
最初に師父の説法を聞いて結構良いと感じました。後で聞けば聞くほど、どんどん気に入ってしまい、内容に耳を傾け、心の中に入ってきたことが今でもまだ覚えています。その間、気付かずに近くの人をちらりと見ると、うとうとと眠り込んでいる状態でした。私は不思議に思い、師父の説法はこんなに素晴らしいのですが、どうして眠り込んでしまったのでしょうかと思いました。説法が終わってから、煉功の動作を習いました。そしてある日、昔身体に罹っていた幾つかの病症が、いつの間にか全く無くなっていると気付きました。特に頭が痛むと、十日や八日くらい床に寝付かなければいけませんでしたが、今は完全に治って、さっぱりとしました。このため、修煉に対する自信が強くなって、ついに後戻りのできない修煉の道を歩き始めました。
1999年7.20、中国共産党が大法への弾圧を始めました。大法のために公正なことを言うべきと思い、師父の潔白を取り戻すため、村の同修たちと一緒に北京に行くことに決めました。車はまだ百キロ程しか進んでいなかったのですが、警察に止められ、派出所に連行され、手錠で鉄窓に掛けられ、「保証書」を書けと言われました。私たちが書いたのは全て、修煉を始めてから身体と精神に恩恵を受けたことでした。所長はそれを見て激怒し、テーブルを叩き付けて怒鳴りました。そして、私たちは市中を引き回されました。七つ目の村、つまり私たちの村に着いたとき、お昼頃でした。うちの息子が学校から帰ってきて、お母さんが引き回されていることを聞いて、やって来ました。私を見付けて、息子が手で引っ張ると、警官に乱暴に地面に押し倒されました。そこにいた人々はこれを見て、皆怒りました。警官らは、自分たちが支持されていないことを知り、慌てて止めて、私たちを家族に返し、家へ帰らせました。帰る前、再び「保証書」を書かせようとしましたが、私たちは皆無視しました。
家に帰った後、息子が大声で泣きながら「お母さん、修煉をやめてください。私のことを考えてください」と言いました。「息子よ、私はどうしても放棄できません。誰から言われても変わりません。たとえ命を失っても、この道を引き返すことはしない」と私は返事しました。
2001年冬になって、北京へ法を守るために再び行きました。実は1999年の4.25に、一回北京へ行ったことがあります。中南海に着いたとき、同修たちが次々と帰っていく状況を見て、問題は解決されたそうだと聞きました。今回、北京で大法を実証してから一カ月間に、私と同修たちは毎日大量の真相を伝える資料を配っていました。ある時、昼に資料を配っていた時、警官に拘束され、北京の労働教養所に一年間不法に拘禁されました。
2002年のお正月が過ぎたばかりの時、私は家に帰って来ました。当時、義母が亡くなって二年が経ち、義父は一人で過ごしていました。夫は兄弟の中で3番目でした。2番目の兄は体が不自由なので、ずっと結婚していませんでした。兄弟たちはずいぶん前に各自で過ごしていました。修煉を始める前、夫の家族と喧嘩することは全くありませんでした。修煉を始めてから、いつも自分が修煉者であることを意識して、前より良くやらなければいけないと思いました。おいしい食べ物や飲み物があったら、よく義父の所へ送っていました。しばらくして、義父が「これから君の家でご飯を食べてもよろしいでしょうか? ご飯を作らなくてもいいからね」と言いました。「もし私が作るご飯で構わないなら、どうぞ家に来てください」と私は返事して、全然気にしませんでした。それから長くない間に、2番目のお兄さんも同じように、1日3回のご飯を家で食べるようになりました。今日まで10年近く、義父とお兄さんは家でご飯を食べていますが、私は一度も不機嫌なことがなくて、いつも快適な雰囲気でした。旧正月のとき、義理の姉妹は義父を家に連れて、世話をしようとしたことが数回ありました。しかし、義父はそこに行くと、腹を立ててやきもきして、帰りたいとおっしゃっていました。ある年の正月、私は実家に帰って数日延ばして滞在しましたが、義父を連れて帰ることが遅くなりました。義父は帰ってくると、病気になってしまって、数日休んでから治りました。それ以来、義父はどこへも行かずに、私の煉功もとても支持してくれました。同修から聞いた話ですが、時に義父は私のことを話すと、「こんなにいい人は世の中に本当に少ない」と言ったそうです。義理の姉妹からも「私たちはどこからの福か知りませんが、こんなにいい兄嫁に会うことができ、お父さんのことは一切心配していません」と言われました。
ここに2つのエピソードがあります。オリンピック期間中に私は警官に市の洗脳班に不当に連行されました。私が家に電話をかけると、義父が電話に出て「あなたは仙枝ですか? 本当に仙枝ですか? あなたがいなくて寂しいですよ」と言いました。私の側にいて電話を盗聴している警官と、もう一人の作業をしていた人はこれを聞いて、意地悪く笑いながら義父の年を聞きました。「義父はもう84歳です」と私は返事しました。これを聞いた二人は態度が変えて言いました。「大法弟子が良い心理状態を持っているから、きっと家ですばらしいことをした。もしそうでなければ、義父が嫁を想うことはないでしょう」 もう一つことは、町のある中共幹部が我が村に来て、誰が法輪功を修煉しているのかを調べました。村民は正直に私のことを述べ、全市でも私のような人はいないと言いました。町の幹部はそれを聞いて、「法輪功を修煉しては駄目だ。もし法輪功を修煉していなければ、彼女のこのような良い行いは報道されるだろう」と言いました。はっきり分かっていない常人には、私は法輪大法を修煉しているからこそ、このようなことができたのだと理解できないでしょう。大法の力は私を思いやりのある人に変えました。大法を習わなかったら、こんなに大きな度量を持つことは出来ず、大法は私を徹底的に変えました。私はここで心から、誠心誠意、師父に感謝いたします。大法に感謝いたします。
(続く)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/3/130487.html) 更新日:2012年2月20日