明慧法会|執着を放下したら、私はこの上なく幸せになった(一)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子・摯真

 【明慧日本2012223日】慈悲で偉大なる師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは

 師父と大法の偉大さを実証できるこの師父から頂いた交流の機会に感謝申し上げます。

 私は大法と大きな縁で繋がっていました。小さいときから、なんとなく自分が何かを待っていると常に感じていました。特に人生が思い通りにならない傷つけられたときは、何かを待っているという意識もさらに強くなりました。19977月、幸運にも私は大法を得ました。やっと自分が何を待っていたのか分かりました。

 修煉を初めてから、心身共に大きな変化が見られ、そして私は毎日幸せな日々を送りました。私はもともと寡黙で独りよがりな人だったのですが、修煉を通して、人に対して優しくなり、助け合うようになりました。おばあさんと一緒に十数年生活していましたが、おばあさんは人の前で私のことをほめたことが一度もありませんでした。しかし修煉を始めてから私は隣人からよく「この間、おばあさんからまたあなたをほめる言葉を聞いたよ法輪功を修煉してから体も健康になって、家事を積極的にするようになったとか」と言われました。そこで私はいつも、法輪大法の真忍が私を変えたのだと、答えてきました。

 14の修煉の中で、私はさまざまなことを経験し、たくさんの収穫がありました。交流したいこともたくさんありますが、今回の法会を通して師父に正念を持って正しく行うことについての体験談をご報告させて頂きたいと思います。正しくないところがあれば同修よりご指摘頂きたく思います

 一、異なる環境の中で法を実証する

 修煉を始めた当初の環境(仕事場と家庭)が非常に良かったため、私は学法励んでいました(早いときは2日間『転法輪』を一通り読みました)。師父のその他の説法も読んだり、暗記していました。たくさんの学法は、その後の、師父が法を正すことを助けるための良い基礎となりました。中国共産党は迫害当初、色々な虚言で大法を陥れましたが、私の大法に対する信念は一度たりとも動揺することがありませんでした。

 迫害当初、私はまだ理性に基づいて世人に真相を伝えることができなかったため、邪悪に隙に乗じられ、200010月に不法に身柄を拘束されました。他の同修と一緒に拘禁されていましたが、毎日法を暗記し、少なくとも2通り煉功し、会える人には全員真相を伝えていました。身は拘束されていましたが、心は軽やかでした。心性も向上したため、体も変化していました。2カ月留置場を出るとき、私が10代だと勘違いされたことすらありました(その時、実際は40歳を過ぎていました)。

 不法に拘禁されている間、邪悪による圧力、家族からの圧力がありました。ひいては母は私の前でひざまずき、私に修煉を放棄する旨のいわゆる「保証書」を書くように願ったこともありましたが、私は妥協しませんでした。その後、私は不法に労働教養を強いられました。その後、労働教養所の警官が私を転向させようとしましたが、私は彼女を見ながら、「私はこの仏法の修煉の道を選んだ以上は、必ず最後まで歩み通します。この先に何が起きようとも」とゆっくり一句一句聞かせました。これを聞いた彼女は一瞬を忘れたかのように無反応になりましたが、ハッとわれに返ったかのように世間話を言い出しました。それ以来2年間、労働教養所の中で私に対して転向の話を持ちかける人は一人もいませんでした。

 法をたくさん学ぶようにとの師父の教え、私は忘れませんでした。労働教養所の中でも、私は極力すべての時間を使って学法と発正念にあてたため、迷わず修煉者のすべきことを行ってきました。真相を伝えるためめった打ちにされたり、電撃されたり、吊り上げられたり、凍えさせられる等の拷問も受けましたが、心の中に師父と法があるので、これらの拷問には動じませんでした。

 警官らは定期的に、不法に拘束されてる修煉者に「感想文」を書くよう要求していました。もちろん私たちとしてはそのたび大法を実証し、真相を伝える内容を書いていました。共に拘禁されていた同修たちは私の書く内容を書き写すのが好きでした。時々内容が強すぎて「これで大丈夫?」と聞かれることもありましたが、「邪悪を滅する内容だから間違っているのでしょうか?と聞き返すと彼女たちも安心して書きました。このように、「転向に関する感想文」、大法を実証し邪悪を解体する武器となり、それ以来感想文を書くこと一度も要求されなくなりました。

 労働教養所を出た後、私はすぐに真相を伝える活動に戻りました。資料点の仕事重視して忙しかったため、修煉の最初の時期のように学法を重視しなくなり、執着心も増えたため23度不法に逮捕されましたが、いずれも慈悲なる師父のご按排によって釈放されました。

 洗脳の中で、私は決して警官らの指示に従いませんでした。ある日、私が横になっていた時、向かいに座ってい受刑者が私に法輪功を否定する内容のことを言い出しました。私は「聞かない」と一念を発し、それから相手が何を言っているのはっきりと聞こえなくなり、そのまま眠りに入りました。気付くと、受刑者が指先で私の額を強く叩いていました。法から考えてみれば不思議でもありません。師父は『転法輪』の中で「あなたはなぜ行ったのですか。聞きに行って、求めていたのではありませんか? 耳に入れようと思わなければ、それがどうやって耳に入ったのでしょうか?」とおっしゃいました。私「聞かない」と発した一念が法に符合したため、法の威力と正念の効果が現れたのです。

 洗脳の広場で、私は大声で「法輪大法はすばらしい」と叫ぶと、大地、木々、建物すら揺らいでいるように感じました。「転向しない」と叫ぶと、洗脳の関係者が走ってきて「もう叫ばないで」と言いに来ました。私を迫害する邪悪が我慢できなくなったため、師父のご加護のもとで数日後私は洗脳を出ました。

 留置にいたとき、私は心を静めて法を暗記し、執着心を取り除き、周りの人々に真相を伝えました。体はつらいですが、まだ我慢できます。なぜなら師父が常に私のそばにいらっしゃると感じているからです

 10、受刑者らの会話を通して、三日後に私が釈放されるとの話が聞こえてきました。それを聞いた私の心決して動じず、すべては師父のご按配に従うのみだと思いました。さらに私は自分の向けて探すと、神の部分がますます強くなっていくのを感じました。外に出るとか、生きるとか、まるで私と関係がないように感じました。執着を放下したら、私は本当にこの上なく幸せになりました。その間薬物を注射されたにもかかわらず体はとても楽でした。私の心は常に笑っていました。私は、この50数キロの私ではなく、私は宇宙であり、この刑務所は宇宙を拘束することなどできようか。

 その日の夜、私は夢を見ました。夢の中で私は功柱にのって上昇していました。だいぶ時間が経っても上昇が止まらないので、飛べればいいのに、と思った私は両腕を広げて飛ぶ姿勢になるとすぐに飛び出しましたが、時間が経つと疲れたのでやはり座ったまま上昇するに任せました。どれほどの時間がたったのかも分からずに、やっと山の頂に着きました。そしてさらに、私は長い桁の数字を見ました。ざっと見て27ですが、前と後ろにどれほどのゼロがあったのかわかりませんでした。12日後、師父は再び私を邪悪の巣窟から助けだして下さいました。

 続く

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/13/248934.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/28/129733.html)     更新日:2012年2月28日
 
関連文章