明慧法会|師父のご加護のもとで神へ向かう(三)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年2月23日】

 五、常に正念を持って法を実証し、すべてを師父に委ねる

 朝方、家に帰って、昼にシャワーを浴びましたが、お兄さんが常に私に後ろについていました(その後知らされたのですが、家族は私を24時間監視することに決めていました)。私が着替えるときですら、お姉さんがドアの外に立って、私に煉功をやめるように言ってきました。私は着替えながら、彼女に真相を伝えました。しかし彼女は突然、私に対して「これ以上修煉を続けるなら、トラの椅子に座って、スタンガンで電気ショックを受けて死になさい!」と言ってきました。私は驚きました。これはお姉さんの話でしょうか、と驚きながら、天目で突然、お姉さんの右肩にある生命が座っていることに気づきました。この生命は、四角い頭で半透明で、ちょうどそこにいました。私はその生命に対して厳しく、「それはあなたが言うことではありません。すべては私の師父が決めることです」と大きな声で言いました。その生命はすぐに消えてなくなりました。そして、お姉さんが外で泣き出したのに気づきました。お姉さんは邪悪にコントロールされていました。お姉さんは、私がその生命に言っていると知らないので、私は彼女を傷つけました。すぐに着替えて、外に出てお姉さんを慰めました。「すいません、お姉さん、強く言ってしまったのですが、気にしないでください」と言いました。その後、お姉さんは修煉を始めましたが、当時の話をすると、お姉さんは非常に驚いていました。

 私は、家に戻った翌日から会社に行きました。もともと私は3人分の仕事を1人でやってきました(私は小学校卒業程度ですが、他の2人の技術者の仕事をしています)。仕事場では賞賛されていました。師父のご加持のもとで、私はすぐに仕事を終わらせました。職場のリーダーも信じられないかのような目で私を見ていました。そこで、リーダーは「ある技術資料が見たいので、その図面はもうできましたか」と聞いてきました。私は「もうできました」と言って、その図面を渡しました。彼が「こんなに早いのか」と言うと、私は頷きました。また彼に「すべての仕事が終わったのですか?」と聞かれると、私は「終わりました」と答えました。彼は、驚きながら「本当にすごい」と言いながら、「神、本当の神だ! あなたは本を読んでいいですよ」と言いました。

 私の普段の仕事の態度が、すべて私を監視しようとする人を感化しています。ある日曜日、私は「大法が迫害されてから、私はまだ家の中で常人の生活を過ごしていません。今日は過ごしてみよう」と思い、ポップコーンを買いに行きました。帰ってくると、私を尾行していた人がちょうどいて、私は「ポップコーンを買いに行きました」と言いました。結局、私たちはベッドの裾に座りながら、一緒にポップコーンを食べました。彼は絶えず私を見ていました。私も彼を見ていました。彼は突然、「なぜあなたの運命がこんなに良いのか信じられません。なぜならばあなただけが予定外に、釈放されましたが、それ以外の法輪功修煉者はまだ拘禁されたままです」と言いました。そして彼はさらに、「長年警官をやっているが、こんな例外的な事例は見たことがない」と言い、さらに「あなたたちが拘禁されていた所の修煉者たちは、煉功の環境を獲得するため、皆断食していました。一人の修煉者が死にました。あなたに対する監視がすでに解除されているので、あなたは彼女たちを見に行ってもいい」と言いました。最後に彼は帰る時、「私はもう少しで退職します。気を付けてください」と言いました。「ありがとう」と私は返事をしました。師父に本当に感謝いたします。

 六、四回目の上京、法を実証し天安門広場で横断幕を広げる

 2002年は邪悪の迫害が最もはびこっている時でした。多くの世の人々に真相を伝えるため、世界中の人々に大法弟子が中国で迫害を受けていることを知らせるため、私は大量に法を学んだ後、生命をもって法を実証すべきだと思いました。

 ちょうど正月の16日の午前10時、私は同修と一緒に順調に天安門広場にたどり着きました。毛沢東の記念館が開設され、多くの人がその中に入っていくのを見て、私たちは記念館の30メートルくらい前のところ(人々が最も密集しているところ)に行きました。約40メートル程の、すぐ近くに警官が立っており、50メートル先にはパトカーが止まっていました。パトカーの中からは、警官が望遠鏡で周囲を監視していました。師父は「大法弟子は正しい目線で悪人を直視することができ、悪人はすぐその目線を避けてしまいます。なぜならば、正念によって悪人を操る邪悪生命が怖く感じ、逃げてしまい、逃げるとき少しでも遅くなったら、大法弟子の正念によって根絶されると彼らは分かっているからです。」(『北米での巡回説法』)とおっしゃっいました。私は無意識に1人の40代くらいの男性と目が合いました。彼はすぐに慌てだしました。もう一度この人を見ると、彼はすでに 人ごみの中に去っていきました。私は用意していた「真・善・忍は素晴らしい」と書かれた横断幕を両手で高く掲げて、力いっぱい振り絞って「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」、「師父の潔白を返せ」と叫びました。この時、少し離れたところから拍手が送られました。またある背の高い西洋人の女性は「OK!」と言いました。私はこれらの尊い人々に対して右手を挙げて、「さようなら」と叫び一気に戻りました。予定していた所で同修の帰りを待っていました。そして同修のために発正念をしました(三日後、同修が拉致されたことを知りました)。

 当日の夜1時過ぎ、私は順調に家に帰りました。夫は赤い目をして、心配した様子でうろうろしていました。両目を見ると、私は夫の目つきから、夫も大変な日々を送っていることを実感しました。夫は毎日、私のためにびくびくしています。私はは長年修煉しているので耐えられますが、夫は修煉していません。こう考えた私は、慈悲心が生じて、夫に対して「ごめん。心配した? 今戻ってきたでしょう。今後はできるだけ心配させないようにするから、安心してね」と言いました。夫はすぐに落ち着きを取り戻しました。しかし、目がうるんでいました。

 七、圧力に負けず、真相を伝えて衆生を救い済度する

 中国共産党大会が開かれる直前、警官は至る所で私を探していました。私は心を静めて、慈悲心に満ちた状態で公安局に手紙を書き、真相を伝えました。のちに、効果がよかったと知らされました。

 よそに住んでいるお兄さんは、親戚の家で私を見つけると、すぐにお兄さんの家で住むようにと誘われました。お兄さんは常人の方法で自分を守ろうとしていること、そして私に修煉を放棄させようと考えていることがわかりました。私は「行きたくない」と言いました。この時、ちょうど師父の説法を思い出しました。「修煉者のゆるぎない正念は一切の人間の認識を超え、一切の人心を超越しており、常人には永遠に理解できないものですが、同時に、常人には変えられないものです。それというのも、人間には覚者を変えることはできないからです。」(『精進要旨二』「強制は人心を変えられない」) 「確かに常人は私を変えることができません。私は彼らを変えなければなりません」と思った私は、「行きます」と言いました。私はお兄さんのジャケットのポケットの中に150枚のCDを入れました。私のポケットは小さくて、100枚しか入りませんでした。さらに旅行バッグの服の中に、約2000枚の真相資料などを入れました。お兄さんは怖くなりましたが、私たちはそのまま出ていきました。

 この大都市では真相資料はきわめて少なく、私は極力、軍人の居住地や学校などで資料を配布したり、ポスターを貼り付けました。東北の冬はどこでも、防犯を重視しているので、ドアが固く締まっています。しかし、私はそのような概念はなく、ドアを引っ張ってみるといずれも開きました。時々私は、ドアに対して発正念をしていました。「防犯ドアよ、あなたのもともとの目的は、盗人から家財を守るためですが、私は人を救っているので、あなたも含まれます。あなたの命も救わなければなりません」と発正念をしました。時々私が、閉まっている防犯ドアに対して発正念をし、「開け」と思うと開いてくれました。

 ある日私は、通りに面したビルの入り口に真相資料を貼っていました。ちょうど手で貼っている時に、ある男性がそれを見ました。私が貼り終えて少し歩いてから、振り返ってみると、男性はまだ身をかがめたまま、その姿勢のままでした。私が遠く離れてからも、ずっとそのままでした。「なるほど、神通力で動けなくなったのでしょう」と思って、私が「動け」と念じたら、その男性はやっとそこを離れました。

 時間があれば、私はお兄さんに真相を伝えていました。お兄さんは「大法の素晴らしさを知っているし、そしてあなたが正しいことを行っていることも知っています。ただ、どうしてもあなたのことが心配だ」と言いました。ある日の夜、正念を発した後、私が外出しようとしていたところ、お兄さんが私を呼び止めて、まだどのくらい配布する必要があるのかと聞いてきました。私は「もう多くはありません」と言いました。お兄さんは、「すべて配りましょう。配ってください」と言いました。不可解に思った私は、お兄さんを見ると、お兄さんは「お兄さんはすでにあなたの話で変わりました。しかし、お兄さんはまだできません。私は半月ほど、あまりよく眠れません。今日全部配って、いつ戻ってきてもいいけど、それまでは待ちます。急がなくて大丈夫です。安全に注意してください」と言いました。「お兄さん、ありがとう」と言って、私はその場を去りました。私はたくさんのところを回りました。足の裏にまめがたくさんできました。すごく痛くなりましたが、私はそれを全部我慢しました。ある大学にやってきた時、私は最後の真相資料を貼り付けようと思いました。しかし、遠くないところで、たくさんの学生が学校から出てくるのを見て、私はお兄さんの話を思い出してためらいましたが、しかし師父は私たちに名、利、情を放下するようにおっしゃっているので、衆生を救わなければと思った私は、ポスターを貼りました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/9/248918.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/15/129486.html)     更新日:2012年2月28日
 
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