文/中国の新しい修煉者
【明慧ネット2012年2月26日】師父、同修の皆様
明慧ネットが中国大陸の大法弟子に、このような交流の場を提供してくださったことに感謝いたします。
法を得る
2001年(まだ修煉と無縁だった頃)、母親は田舎から、都市で働いている私を訪ねてきました。母が言うには、私の実家がある村に住む親戚の法輪功修煉者が数年にわたって、2、3日おきに警察に連行されたり、不正に罰金を取られたりして、最近になって労働教養所に収容されてしまったそうです。麦を刈り入れる忙しい時期なのに働き手がおらず、親戚一族が頭を抱えて困っているそうです。そこで、私にコネを使って何とか親戚を収容所から釈放する良い方法がないかと相談に来られたわけです。翌日出社した時、親戚の件で秘書長にお願いしてみたところ、すぐに電話を入れてくれました。私は主任のところに行くようと言われ、すぐに主任のところに駆けつけました。そこで主任は、県委書記宛に自筆メモを書いてくれました。すぐにそれを持って、県まで駆け付けました。その日、私は親戚の釈放の為に走り回って力を尽くし、帰宅しました。また、2003年の初めに、実家近くに住んでいる法輪功修煉者が洗脳班に拘禁され、再び私のところに助けを求めに来ました。私は労働収容所の責任者(主任)と一緒に、洗脳班まで言って釈放を求めました。洗脳班の人達は来訪者名簿を見て、省からわざわざその為に来たと分かると、柔軟な態度をもって接してくれました。この件も無事に収まり、後で残りわずかの良知を最後まで捨てないでよかったと切実に思いました。師父に見捨てられていなくて、どんなに幸運だったかと後になって分かりました。
実際のところ、私の行為はすべて法輪功の為にやった訳ではありませんでした。ただの常人の人情による行為でした。真相を知らなかったため、「他にやることがたくさんあるのに、どうしてわざわざ自分の身に災いを招き入れているようなことをするの?」と不可解な気持ちで修煉者に聞きました。修煉者達は感謝の意を表しながら懸命に、私に真相を伝えようとしていました。私を救う為だと聞いたので、たわごとではないかと笑いました。私ほど快適に暮らしている人はなかなかいないでしょう思い、「衣食は政府から、高い地位も政府からいただき、暇があれば歌やダンスや旅行などを楽しんでいて、こんなに悠々とした生活は、あなた達は比べ物にならない程です。自分自身ですら守れないくせに、よくも人を救うなんてでたらめを言う人たちですね」と思いました。これから他人に迷惑をかけなければ何よりだと思いながら、何度もお礼に家を訪ねたいと言ってきた修煉者を断りました。法輪功を理解できませんでした。
ある日突然、その法輪功修煉者達が母親と一緒に家に来ました。また、とめどなく延々と法輪功を語っていました。もし他の場所なら私は「無駄話をやめなさい」と強く言えたかもしれませんが、自宅まで来てくれているので、礼儀上の関係で取りあえず会話にお付き合いしました。それだけに留まらず、深夜1時まで母に功法を教えたりして法輪功について語っていました。一向に終わる気配がなく、とうとう「よし、分かりました! 話はもうやめましょう。あなた達が薦めている本を一冊貸してください。どういうことなのかを読んでみますよ」と切り出して、話を終わらせました。しばらく、その本をどこかにしまったことすら忘れていました。ある日、亡くなった父が夢枕に立ちました。目が覚めて、よく考えてみるとそろそろお墓参りの日だと気づき、実家に戻りました。そこで母は、また法輪大法の本を取り出して読むように言われました。もうとっくに忘れていた本を改めて母から渡されて、何がなんだか分からないうちに読み出したら、もう二度と手放せなくなりました。
正法に溶け込む
あれ以来、実家近くの法輪功同修達と頻繁に付き合うようになりました。毎回帰省する時は、いくら忙しくても必ず私と交流に来てくれます。当時、私は五通りの功法と発正念を教わった後、ほぼ一人で煉功する状態でした。黙々と真・善・忍に従って自分の行いを正し、過去の良くない習慣も直しました。最初の頃は、辛い経験もありました。ある日、職場にまだ労働保険の景品がたくさん残っていました、いつものように人数分に均等に分けて、私の分け前は一箱分もありました。その中の台所用品の調理包丁だけでも70~80元の価値がありました。終業時間になり、同僚たちは自分の分け前を持って帰りましたが、取り残された私は持って帰るかどうかを戸惑っていました。どうせ皆が持って帰っているからと、自分も景品を抱えて外を出ようとしていましたが、大法の本に良い人になるなら皆と同じ行いでは駄目だと書いてあるのを思い出しました。しかし、師父のお話によると常人の中での修煉は、常人の状態に符合しなければならないと自分に言い聞かせ、また、私がこの景品を持って帰らなければ、どうせ不正な所に処理されてしまうだろうと思い、景品を抱えて外に出ようとしました。このように何度も繰り返し戦っていましたが、最終的にとうとう手ぶらで帰宅しました。翌日になって、同僚たちは私の気持ちを理解できませんでした。段々、私が毎回そうしている内に、同僚達も驚かなくなり、私の行為に慣れてきました。ある日、職場で模範代表の選出が行われました。私は真・善・忍の法輪大法を修煉しているので、一般人より度量のある態度をとらなければならないと、内心では思っていました。ところが皆が私に一斉に投票し、予想外に私が当選しました。家に帰った後、「平和っていいな」と思いつつ、「江沢民は暇すぎて他にやることがないの? どうして北京へ請願に行く同修達をあんな酷い目に合わせるの? もし機会があれば私もぜひ一度、北京の天安門広場に行ってみたい」と思いました。驚いたことに翌日、上司が「今年の模範代表の親睦旅行は北京だ」と発表しました。それを聞いた私は、夢が叶ってとても嬉しかったです。
翌年、再び模範代表を選出する時期になりました。私は「去年みたいにまた模範代表に当選されたらいいな」と密かに思い、自分に一票を入れました。今回は意思と反して誰も私に投票しませんでした。隣に座っていた上司がこっそりと私の投票を見て、終わった後、大ホールで私を睨みながら「なんと、自分で自分に投票した人がいるのよ」と大声で言いました。それを聞いた皆が驚いた様子で、ホールは一瞬にして静まり返りました。私はすぐその場で自分の非に気付き、誠意を込めて「私の事を指していると分っています。確かに自分で自分に一票を入れました。また北京に行きたったからです」と素直に話しました。皆はそれを聞いて堪えられずに笑い出しました。上司はその光景を見て、もうそれ以上話を続けませんでした。気まずい場面は、自然と終わりました。
(続く)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/20/130236.html) 更新日:2012年2月28日