明慧法会|大法から命を頂き、私は戻って来ました(一)
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中国東北地方大法弟子 仙枝

 【明慧日本2012227日】最後は起きて座る力さえなくなりました。1年間着替えず、24時間同じ服を着て、靴を履いており、帽子をかぶったまま寝ました。生活は完全に寝たきりで、大小便さえ老母世話をしてもらい、毎日十数種類の薬を飲んでいました。病気になる前の私は食べ物にとてもこだわりがあって「これも食べない、あれも食べない」と言いましたが、病気になってからは「これが良い」と言われたらそれを食べました。豚の胆汁も1たらいぐらいは飲みました。その結果、様々な方法で治療すればするほど病気の種類は増えていく一方でした……妹を通じて私は大法の奇跡を目にしました。妹が煉功し始めてから7日目、私は自分も煉功したいと話しました。妹は「そこで誰があなたを知っているの? 無理して人を引っ張ってこないよう言われたよ」と答えました。私は、私も強く引っ張ってほしいと言わなかったなと思いました……煉功を始めて私は二度と薬を飲まず、身体も毎日良くなっていきました。7日目になって、私は長い間たまっていた汚い衣服を全部洗い、自分自身もきれいにすることができました。3年間大病で廃人同然になっていた私が、7日間煉功して新しく生き返り、喜びを得るようになりました!

――本文の作者より    

 慈悲で偉大なる恩師、こんにちは! 全世界の同修の皆さん、こんにちは!

 3年間重病を患廃人同然の私が7日間煉功して生き返り、喜びを得る

 私は中国共産党の歪んだ理に深く毒害されました。少女時代はちょうど文化大革命の時期で、3年生の時から教科書を学ぶことができず、覚えたのも、読んだのも、歌ったのもすべてが中共の道理でした。私の人生はとても運に恵まれなかったので、天に向かって数え切れないほど尋ねたことがあります。なぜ良い人に良い報いがないのですか? 私は円満で幸せな生活を渇望していました。

 夫と私の性格はとても大きな差がありました。夫は荒々しい性格で、口を開くと人を罵り、手をあげると人を殴りました。私はよく夫から殴られて全身が傷だらけになりました。1995年、長年生活が思いどおりにならなかったためか、積もり積もった恨みが病気となって、肝炎、胆嚢炎、膵臓炎、脾腫、両側腎結核、胃潰瘍、心筋炎、偏頭痛などにかかりました。私は夫に横っ面を殴られて鼓膜に穴が開き、当時私の身体は良いところがほとんどありませんでした。また夫に押し倒されて肋骨を2カ所骨折したこともありました。このようにして私は病気で倒れてしまい、仕事ができなくなりました。

 ある時私は診療所で点滴を打ちながら寝てしまいました。夢の中で、人の高さと同じぐらいの仏像がたくさん川の中に座っていて、真ん中には特別な仏像がいるのを見ました。目が覚めた後、私は医師にこの夢を話しました。医師は「夢の中で佛様に会うことは吉兆です」と言ってくれました。私は聞いた後、とても嬉しく安堵して「そういえば私はまだ死んでいないでしょう」と独り言を言いました。

 私が病気で倒れた後も、夫は依然として毎日腹立たしいことばかりしてきました。私は病気がだんだん重くなり、点滴を打って少しよくなったとしても、家に帰ると夫に腹を立ててしまい、病気はもっと重くなっていきました。私は仕方なく1人で遠く離れた実家に帰りました。実家の老母はその時すでに72歳でしたが、私の世話をしなければなりませんでした。私は収入がなく、夫も私に全く関心を持たず、私が家を離れた後、夫は外から女を家に連れて来て暮らし始めました。息子は17歳の頃から仕事をしてお金を稼ぎ、私に病気の治療をさせてくれました。娘もわずか15歳で、ある店で見習い工になりました。こんな家庭に生まれてきて、二人とも自活するしか仕方ありませんでした。初めの頃、私はまだ歩けたので自分で薬を買いに行くことができ、病院の敷居私に踏まれて平らになるのではないかと思うほどでした。私は薬を買う度に、これが最後の薬であってほしいと心の中でお祈りし、病院に行く度に、病院に通うのもこれが最後になってほしいと望みました。息子の月500元の給料は全然足りず、その後息子は将来のため故郷へ商売に帰りました。私の元々大変だった生活は、さらに希望がなくなりました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/11/248921.html)     更新日:2012年2月28日
 
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