明慧法会|大法から命を頂き、私は戻って来ました(四)
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中国・東北の大法弟子 仙枝

 【明慧日本201231日】集団学法の環境がなく、私は心性をよく守ることができず、衆生を救い済度することも全然知りませんでした。しかし誰かがもし「法輪功は良くない」と言うと、私はその人達に法輪功はテレビで放送しているようなものではなく、私は重病で3年間倒れていたにもかかわらず、まさに法輪功のお陰で良くなったと伝えました。誰かが良くないと言ってきた時、私は『転法輪』を持ち出して、その人達に1段落を読んであげると、その人達は照れてしまい、そして私に安全に気を付けるべきだと忠告してくれました。

――本文の作者より    

 人心が起きて落伍し、慈悲なる師父から何度もヒントを頂く

 状勢が急変して1999720日、中国共産党は天地を覆い隠すよう弾圧を始めました。彼らは大法と師父を汚し、法輪功修煉者達を迫害し、捕まえました。当時、私はちょうど田舎で新しい学習者達の面倒を見ているところでした。新しい学習者達はこの状況を見てどういうことかがわからず、みなやめていきました。その村の責任者は私達の名前を全部上に報告し、ブラックリストに載せました。私は同修の家に住んでいました。その村の責任者が来ると、私はその責任者に私の3年間続いた重病がどのように法輪功の修煉を通じて良くなったかを話すと同時に、その人達に重病でどれほど大変であったかを次のように言いました。私の弟は当時本当に、私の顔に紙1枚を被せるだけで泣くところでした(それは私がもう少しで死ぬところだったという意味です。続けて私は、法輪功はテレビで放送されていることと全く違い、私つまり受益者であり、私は身をもって体験し、私は大法から2回目の命を与えて頂いたと話しました。その村の責任者はしばらくして帰ってしまいました。

 迫害が起きてまもなく、息子はまた他の都市に店を引っ越しました。この新しい地区に来ると1人の同修も接触できませんでした。なぜならある同修迫害によって捕まえられ、他の学習者達はみな外に出て煉功しなくなったからです。私は自分で学法と煉功するしかありませんでした。健康になってから私は再び仕事を始めようとしました。ずっと子供達に養ってもらうわけにはいきません。私は小さい店を開きました。これで仕事がある時は働き、仕事がない時、私は学法し煉功しました。集団学法環境がなく、私は心性をよく守ることができず、衆生を救い済度することも全然知りませんでした。しかし誰かがもし「法輪功は良くない」と言うと、私はその人達に法輪功はテレビで放送しているようなものではなく、私重病で3年間倒れていたにもかかわらず、まさに法輪功のお陰で良くなったと伝えました。誰かが良くないと言ってきた時、私転法輪』を持ち出してその人達に1段落を読んであげると、その人達は照れてしまい、そして私に安全に気を付けるべき忠告してくれました。

 ある時、女性2人が私に「あの人を見なさい、口うるさい言い方は法輪功をやっているようじゃない?」と話しました。当時私は、法を実証する勇気が私にあるかどうかの師父からの試練だと分かり、次のように言いました。「私がすなわち法輪功の修煉者です。私が口うるさいと思われますか?」

 その時私は、「天安門焼身自殺事件」は中共中国共産党)の自作自演であることをまだ知らず、ただ真に修煉している弟子なら「そうしない」ということだけを知っていました。師父は弟子にそうさせるはずがありません。なぜなら本には「自殺は罪なのです」「シドニー法会での説法」と書かれているからです。大法弟子はハエ蚊さえ殺そうとしないのに、自分の子供の首をしめつけて殺すことはあり得ず、そして王進東が話したこと大法の中には全然ないと私は話しました。私の話を聞いてから、その女性2人はその場を離れました。

 隣人は私の話を聞いて私に、これからはこのように話さないほうがいいとアドバイスをしました。隣人私の安全のためにそう話してきたのを知っていましたが、私には師父からの加護があり、誰も私を害することができないのを知っていました。この新しい環境の中で同修もおらず、師父の消息もありませんでした。私は出て行って法を実証すべきであることを悟っていなかったのです。

 ある日省都に住んでいる同修から、北京へ法を実証しに行くので一緒に行かないかと電話が来ました。人心の障害のため、私は答えませんでした。電話を切った後私はとても苦しくなりました。その晩私は煉功をしながら涙を流しました。師父に申し訳なく、大法に申し訳ありません。大法は私にそこまでたくさん与えてくださったのに、大法と師父が無実の罪を着せられ、侮辱を受けているのに私は出て行って公平な話さえしていません。私のような者も大法弟子であると言えるのでしょうか? その後その同修と私の妹は一緒に北京へ行き、中共によって迫害を受けました。妹は1年以上迫害を受けてから帰って来ました。帰ってきて1年後、とても遠く離れた所から我が家に来て師父の新経文、そしてポスターと資料を渡し、私に発正念をする口訣を教えてくれました。その後私は夜9時に1人で出かけて資料を全部貼りました。私は師父が守ってくださることを知っていました。私はいつも発正念を重視せず、12回発正念をした後、発正念をしなくなりました。時間が経つと妨害が生じ、心性を守ることができなかったのでだんだん落ちていきました。風の吹くまま流れのなすままの状態に陥り、修煉もするかしないか、煉功をしなかった時期もありました。ある朝目が覚めたら、目を閉じてベッドの上に横になったまま金色に輝く法輪が回転しているのが見えました。中にある4つの太極もとてもはっきり見えました。時計回りをしたり逆時計回りをしたりしていました。その時私は、これは法輪ではないか? 金色にピカピカと光り輝き、本当に美しい!と思いました。私が煉功しなくなってから結構日数が経ったのに法輪が見えるのではないか、自分は結構素晴らしいと感じました。師父が私に修煉を続けるようヒントを与えられたとは全然悟っていませんでした。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/11/248922.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/5/129867.html)     更新日:2012年3月2日
 
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