文/中国・江西省の大法弟子
【明慧日本2012年3月2日】偉大なる師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。
師父が大陸の大法弟子に再び交流の機会をくださることに感謝しています。去年の法会のことを思い出すと、まるで昨日のことのようです。時間が経つのは本当に早かったと深く感じており、時間を把握して、三つのことをしっかりと行わなければなりません。昔のことを振り返ってみると、心の中に数万語がありましたが、どこから書けばいいのかが分かりませんでした。幾つかの方面から、数年来の修煉の過程を述べ、師父に報告し、同修の皆さんと交流します。
大法に出会うことは非常に難しいと私は思います。もし、慈悲なる師父が守ってくださらなかったら、私は今でも常人のぬかるみの中で遊んでいたはずで、それが汚いことだとも知らなかったでしょう。中国共産党によって全面的に洗脳されていたので、私は小学校に入る前には無神論者になりました。しかし、師父が用意してくださった様々なことから、世の中には神様が存在するということを認識しました。そのため、困難の中、大法に入りました。
1980年代、故郷では気功が非常に流行っており、新聞や雑誌、各種の出版物などに特殊な能力のことがよく載っていました。父は体がよくないので、気功の書籍を買って、本に書かれていることを学んで煉功すると、実際に体が良くなり、これを見た私は、気功がすばらしいと思いました。1990年代半ば、法輪大法が全国各地に広がり、ある同僚はよく職場で大法の書籍を読んでいました。暇なとき、私も本を借りて読み、読んだのは『法輪功』、『転法輪』と『轉法輪(巻二)』でした。しかし無神論の観念に妨害されたため、大法の内涵を認識しませんでした。しかし、「避難」という言葉と「三千大千世界」の内容について、深い印象が残りました。同僚が大法を修煉しようと勧めてくれましたが、真剣に受け止めませんでした。
師父は私の無神論の観念を取り除くために、1994年に叔父さんから漢方医を学ぶことを按排してくださいました。当時、叔父さんが患者を診る方法は漢方医の他に、祝由科の方法もありました。進化論や唯物論から説明できないことをたくさん見て、私はすごいと感じました。最後に、世の中には神様と幽霊はいるということを、私は認めました。おかしなことに、叔父さんは漢方医の知識は教えてくれましたが、祝由科のことは、私がいくら頼んでも教えてくれませんでした。今思い返すと、それは師父が保護してくださったからです。
1997年の時、私はひどい不眠症になり、近所の人の勧めで大法の修煉を始めました。煉功してただ数日の間に、私は夜にぐっすりと寝られるようになりました。私はとても喜んで、大法はすばらしいと思い、病気治療の効果はすごいと思いました。もう一つ喜ばしいことに、父も他人の勧めで大法の修煉を始めました。しかし、悲しいことに、私は大法に出会うことが出来ましたが、大事にしていませんでした。『転法輪』は、ただ思い出した時に少し見るだけで、煉功も取り組んだり取り組まなかったりしていました。近所の同修が呼んできたときだけ、煉功に行きましたが、第五式の功法はほとんどやりませんでした。それにもかかわらず、慈悲な師父は私の体を浄化してくださいました。愚かな私は世の中の偽りの情を放下できず、1998年に修煉を止めました。1999年、邪党が大法への弾圧を始めた時、意外にも大法への中傷を信じてしまい、大法と対立しました。
修煉を止めた後、間もなく以前の病状が再発したのみならず、新しい病気にも罹って、どちらも難病でした。更に、私の闘争心が強かったので、同僚たちとの関係が悪化し、内外ともにつらい状況で、心身共に疲れ果てて、非常に惨めな状態でした。絶望的な生活を過ごしていた私を、慈悲なる師父は放棄なさりませんでした。転勤の機を通して、私を巧妙にある非常に精進していた同修と同じ職場に配置してくださいました。同修の導きで、私は2006年に大法の修煉に復帰しました。あの時、出版されていた全ての大法の書籍を読み終わった私は、あまりにも後悔して、ずっと泣き続けました。大法を離れたことは痛恨の極みであり、愚かでたくさんの時間を無駄にしてしまいました。もし、あの時大法を離れていなかったら、今の私はもっと良く修煉できていたでしょう。もし、あの時大法を離れていなかったら、私が救い済度した人々はもっと多かったでしょう。もし、あの時大法を離れていなかったら、私は同修である父親と共に困難を乗り越え、2002年に父が早めに死んでしまうことはなかったでしょう。もし、あの時大法を離れていなかったら、私は叔父さんに祝由科で人を診ることは悪いことだと言い、叔父さんを大法の修煉に導き、叔父さんが激しい苦痛の中で亡くなることはなかったのでしょう。もし、あの時大法を離れていなかったら、もしかしたら…。私は非常に後悔して、痛恨の極みだと同修に言いました。同修は「転んだら、すぐに起きればいいんです。後悔ばかりしても無駄なことですよ。これから、時間を大切にして、三つのことを頑張ってよく行い、以前に無駄にした時間を償いましょう」と慰めてくれました。
ここまで書いた私は、また涙が出てきました。まだ成り行きを見守っている同修に、大法は千万年にも出会えないものであることを分かるように、心からお祈りいたします。大事にしなかったら、将来は後悔する機会もないでしょう。
(続く)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/8/130584.html) 更新日:2012年3月3日