文/中国・東北地方の大法弟子 仙枝
【明慧日本2012年3月5日】ある日、私は先生達も救い済度すべきであると思いました。毎年夏休みと冬休みの時、一般的に一部の補習クラスが開かれるため、学校の大門は開けられているのです。その機会に私は学校に入って、一番上の階から一階ずつ下りながら資料を配り、真相資料をドアの下から入れました。この学校は私が何回も行って配ったことがあり、今年の休みの時もまた行って資料を配ろうと思いました。学校に着くと、ドアの両側に学生が1人ずつ立っているのが見えました。学生達は肩に赤いマークを付け、建物の入り口の両側に立っていました。これを見て私は多く考えず、ただ誰も私が衆生を救い済度することを邪魔してはいけないと思い、歩きながら発正念をし、入り口についても学生達を見ず、(同時に私は建物の中で、ある男性が廊下を歩いているのを見ましたが、その人は私に気付きませんでした)建物に入り、直接一番上の階に上がって資料を配り始めました。ドアごとに資料を入れました。資料を配る途中、先生達が部屋の中で会議を行っているのが見えました。しかし誰も私に気付きませんでした。2階に着き、ちょうどこの前に配った所と繋がることができました。ちょうどこの時、先程入り口に立っていた学生の1人が上がって来て、私を見て目を大きく開き、とても驚いた様子でした。多分いつの間に入ってきた人なのかと驚いたのでしょう。階段を下りる時、先ほどの男性はちょうど入り口に立って中庭の方を見ているところでした。ですから、私はその人の背後から出て行きました。師父の助けの下で順調に資料を配り終えました。私は知っていました。このすべては師父がなさったことです。
学校から出た後、かばんの中にまだ配り終えていない資料があったので、私はまた他の学校に行きました。その学校も、以前数回にわたって資料を配ったことがあります。その学校にも門に2人の学生が立っており、建物の中にも女性が立っているのが一目で見えました。私はしばらく見てから体を回し、家へ向かいました。私は歩きながら、なぜだと思いました。2つの学校の状況は全く同じなのに、なぜ帰ろうとするのでしょうか? 内に向けて探してみると、1つ目の学校に行った時、私は正念に満ちていましたが、その後2つ目の学校に向かう時、正念が弱くなったので、その学校には入れなかったのです。私達大法弟子は、行うたびに正念が満ちてこそ、よく行うことができるのです。私達はいつでも、どこでも正しい念を持って正しく行ってこそ、師父が按排された道をよく歩むことができるのです。
大衆向けの資料は同修達と一緒に広範囲に配りました。ある時、私は2人の同修と一緒に平屋が集まっている区域へ資料を配りに行きました。大通りの両側には、家の門が並んでいました。毎回私達は、2人が片側ずつ責任を持って真相資料を配り、残りの1人が少し離れた後ろから小さいポスターを貼って一緒に行動しました。しかししばらくすると、瞬く間に他の2人が見えなくなりました。日が暮れて人が分かりにくくなってきました。私は急いで同修達を探し始めました。他の街で2人を見つけましたが、同修であるかどうかは分かりませんでした。私は後ろからその2人を追いましたが、その2人も見えなくなりました。このように私1人で片側だけ配り、逆側は配る人がいなくなりました。向かい側はどうすればよいか、次回この場所を思い出せる可能性もほぼなく、私は、どうして彼らはいないのか? ということばかり考えました。私は調子が悪くなって資料を持って家に帰り、配らなくなりました。しばらくして同修2人が資料を配り終え、帰って来ました。私は機嫌が悪くて、同修達が良くないと言いました。実は自分がすでに間違っていたのです。その夜座禅をしている時、モップの雑巾が絞られた形になるのを見ました。私は、同修達とよく協調せず、我がままになったことへの師父からのヒントであると悟りました。しばらくすると穴が4、5個開いている石けんが見えてきました。私に漏れがあると師父が暗示なさっていると悟りました。またしばらくすると、折られた物差しの2つの部分が再び1つになり、完全な形に戻るのを見ました。師父は私達がお互いによく協力し、1つになることを願っていらっしゃると私は悟りました。師父の慈悲なる暗示に感謝致します。自分の多くの足りなさが見えてきました。そして私は本当に、師父はいつもどこでも私を加護してくださり、私が悟るようヒントを与えてくださることを体験しました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)