【明慧日本2012年3月6日】黒竜江省ハルビン市阿城区の法輪功修煉者・黄富軍さんは、5年前に中国共産党に迫害され死に至った。黄さんの両親は遠く広西省に住んでいて、しかも年を取って体が弱かったため、黄さんの妻は一人でこの苦痛に耐えて、夫の訃報を両親に伝えていなかった。そして、死因の真相を明らかにするためずっと遺体の火葬を拒絶している。しかし、黄さんの両親が再三問い詰めたため、黄さんの妻はやむを得ず夫の訃報を両親に伝えた。
生前の黄富軍さん
2011年11月、70歳を過ぎた黄さんの母親は病気がちだが、死んでしまった息子を一目でも見たいという思いで、遠くから娘と一緒にハルビン市阿城区へ向かった。黄さんの妻は、姑を連れて市阿城区の610弁公室を訪ねた。610弁公室の呉は「葬儀場の館長の許可さえあれば面会できる」と言った。黄さんの家族は市街地から離れた葬儀場まで行き、館長を探し当てて来意を説明したが、館長は必ず610弁公室の許可がなくてはならないと言ったため、家族はまた戻って呉を訪ね、呉は「私が上司に言っておく」と言いながら、逃げてしまった。
このようにして、数日間、列車に乗って広西省から黒竜江省に来た黄さんの母は、残念な思いを残して黒竜江省を離れた。
黄さんの遺体が解剖されてから、610弁公室はずっと家族の面会を禁止している。黄さんの遺体に、何か人に知られてはならないことでも残っているのか。それとも、すでに黄さんの遺体を火葬したのだろうか。
現地の610弁公室は数年来、何度も黄さんの遺体を火葬するように家族を強制し、そして、「巨額の遺体安置費用を相殺する」という条件で脅したりした。2011年末、さらに卑劣な手段で、610弁公室は葬儀場に表に立って黄さんの家族を起訴させた。
1963年にハルビン市阿城区の松峰山鎮に生まれ、山の中で育てられた黄さんは、素朴で善良であった。黄さんは徴兵に応じて軍隊に入った後、10年間苦しみに耐えて、自ら代価を払っても相手から何も求めず、急速に兵士から副連級に昇進し、かつて1987年の大興安嶺の消火救援をする中で軍功を得た。復員した後に会社で勤め、法輪大法の修煉を始めてから、心身ともに恩恵を得た。
1999年7月、中国共産党は法輪功を迫害し始めた。黄さんは修煉を堅持したため、何度も連行され、拘禁され、かつて不当に3年間の労働教養を強いられた。2007年7月24日、黄さんは自分の郷里で法輪功の資料を配っていた時、松峰山鎮派出所の所長らに連行された。同日の夜、黄さんは派出所から脱走しようとしたところで、足首を骨折して歩けなくなり、派出所の警官はいかなる手当もせず、黄さんを阿城区の第2留置場と第1留置場に相次いで拘禁した。
阿城区の第1留置場で、黄さんはひどく暴力を振るわれ、灌食され、人事不省になって病院に運ばれた。緊急措置をとっているにもかかわらず、人間性のない警官は手錠と足かせで黄さんを病床にはめた。手を尽くしても助からないため、ようやく留置場は家族に、骨と皮ばかりに痩せこけた黄さんを迎えに来させた。3日間後(11月6日)、黄さんは自宅で、無実を晴らせないままこの世を去った。享年44歳。
黄さんが亡くなった後、家族は阿城区の公安支局を起訴したが、中国共産党がコントロールする裁判所によって家族の敗訴が判決された。家族はさらに、ハルビン中級裁判所(高裁にあたる)に上訴したが、再び理不尽に却下された。黄さんの妻は訴訟費用として、苦心して借りて来た6万5千元を不法な弁護士に騙された。黄さんの妻は、すでにその不法な弁護士を法廷に訴え、裁判を待っている。
現在、黄さんの妻は、娘を学校へ行かせるため各地でアルバイトをしており、生活はきわめて困難である。