【明慧日本2012年3月18日】宋慧蘭さん(60歳女性)は黒竜江省・鶴崗市新華農場に住んでいた。2010年12月13日、宗さんは法輪功を修煉しているという理由で地元警察に不当に拘束され、拷問を受けた。本来健康だった宋さんは、湯原県留置場で成分不明の薬物を注射され、2カ月という短期間で記憶が曖昧になり、足は黒く壊死して切断の危険に晒された。
迫害を受けた宋慧蘭さん
中共が法輪功を迫害するなか、宋さんも繰り返し迫害を受けた。2002年3月、宋さんは不当に労働教養1年を科された。2003年3月、宗さんは再び拘束され、労働教養3年を科された。2008年4月、彼女は再び拘束された。留置場で宋さんは、冷たいコンクリートの床に2昼夜座り続けることを強いられた。留置場の警官らは、高齢の宋さんの髪の毛を引っ張りながら、壁にぶつけた。2010年7月1日、宋さんは湯原県の9名の法輪功修煉者と共に、湯原県吉祥鎮守望村で法輪功の真相資料を配っていた時、不当に拘束された。湯原県留置場に拘禁された宋さんは、断食で迫害に抗議し、危篤状況に陥った。警官らは彼女が死亡すれば責任を負わされると恐れ、宋さんを釈放した。宋さんは家族に運ばれて帰宅した。
宋さんは法輪功の修煉をはじめる前は多くの病気をもっていた。腎盂腎炎(じんうじんえん)・腎臓結石・リューマチ・関節炎・肝炎などを患っていて、また子宮筋腫のためよく出血し、その苦しみは言葉で語り尽くせないほどだったという。また宋さんはよく夫と口喧嘩をしていた。宗さんは1997年に法輪大法に出会い、修煉を始めたことを幸運に思っていた。宋さんは道徳的に向上し、僅か数カ月間ですべての病気が治り、家族との関係も睦まじくなった。
不当に連行され、殴打される
2010年12月、宋さんは横頭山(地名)に行き、法輪功修煉者の左秀文さんの自宅に泊まっていた。
12月13日の午前9時頃、横頭山派出所長の王訓傑、警官の于木春、樺川県国家保護大隊の董洪生・賈友・チョウらが、左秀文さんの自宅にやってきた。彼らは塀を乗り越えて庭に入り、左さんの家に押し入った。当時、部屋の中には樺川県から訪ねてきた法輪功修煉者・王丹さんと彼女の母親がいた。警官らはプリンター2台・パソコン1台・消耗品・および法輪功の資料を持ち去った。また宋さん・左さん・王さん親子を不当に連行した。
樺川県派出所で、警官らは尋問を行い、宗さんに繰り返し名前と住所を聞いた。不当に拘束されたため、宋さんが返答を拒否すると、警官らは激怒して、宋さんの頬を2回酷く叩いた。宋さんは目眩をおこし、目の前が真っ黒になった。その後、宗さんは午後1時から夜まで拷問され、その後、警官らは宋さんをパトカーで樺川県刑務所に送り監禁した。
樺川県刑務所で残酷に迫害される
樺川県刑務所で宋さんは断食を行い迫害に抗議した。警官は彼女を樺川県病院へ連れていき、毎日成分不明な薬物を点滴した。その間、樺川県国家保護大隊と留置場の警官、および樺川県病院の医者らは宋さんに対して強制的な食物注入(灌食)を行った。樺川県留置場の所長・厖をはじめとする十数名の警官らは、交代で宋さんを拷問した。毎晩、宋さんは両足に足枷をはめられ、両手は手錠でベッドの四角に固定され、四肢を四方へ引っ張られ続けた。毎回、十数名の警官が宋さんに対して強制的な食物注入を行った。警官らはノミで宋さんの前歯をこじ開け、太い管を鼻に入れたが失敗した。すると警官らは更に太い管を持って来て、宋さんの口の中へ挿し込んだ。毎日二回管を挿し込み、三回食物を注入した。宋さんはトイレに行くことを禁止された。そのため、宋さんの綿のズボンと布団は尿で濡れてしまった。宋さんはずっと尿でびしょ濡れになったズボンを履き、濡れた布団をかけるしかなかった。
拷問の実演:強制的な食物注入(絵画)
チョウという警官は、宋さんに「おとなしくしないと、お前を片づけてやる」などと脅かし、また革製のパイプで宋さんの頭をきつく縛り、両手は手錠、両足は鉄の鎖でベッドの四角に固定して、少しも動けないようにした。
拷問の実演:四肢を四方へ引っ張る
12月31日、宋さんは湯原県留置所へ送られて引き続き迫害を受けた。
湯原県留置所で成分不明な薬物を注射される
湯原県留置所の所長・閻勇は、すでに極度に衰弱していた宋さんを監禁することに同意した。
零下20~30度の冬の夜、宋さんは冷たい床に寝かせられ、薄い布団しか与えられなかった。宋さんは毎晩、極度の寒さで全身が震えた。宗さんの子宮は脱落し、子宮が陰部から垂れ下がり、両脚の間に挟まれたため、宗さんはひどく苦しめられた。しかし、湯原県留置場の警官らは、まったく気にしなかった。
宋さんは引き続き断食で抗議した。所長・閻と、数人の警官は宋さんをベッドに押し付け、宋さんの手に手錠をはめて動けないようにした後、強制的に成分不明な薬物を点滴した。この薬物を注射された宋さんは、まるで心臓をえぐられたように苦しくなり、床でのたうち回り、話すこともできなくなり、極度の苦痛を強いられた。
拷問の実演:毒物を注射される(絵画)
極度の苦痛の中にいた宋さんは、夜まで眠ることができなかった。夜になると、宋さんは右脚の膝の下部分と右足が全て黒色に変色し、しかも膝より下の部分の感覚が一切失われ、身体が硬くなって歩けないことに気づいた。医者がやってきた。警官もその場にいた。刑務所の医者は宋さんの脚と足を見て、「この脚はもう駄目になった」と言った。宗さんはさらに注射され、それから頭の反応が鈍くなり記憶が途切れ途切れになり、舌が硬くなった。身体は思い通り動かなくなり、右脚は黒くなり膝以下の部分の筋肉は、鉄板のように硬くなり壊死した。宗さんは何を食べても吐き、大小便も失禁した。
黒くなり壊死した宋さんの脚と足
約1週間後、湯原県留置場の警官らは、宋さんを2カ所の病院へ連れて行き、検査を受けさせた。医者はみな「この患者は治療できない」と言った。警官らは宋さんを留置場へ連れて帰った。当時、宋さんはすでに非常に危険な状況で、生命の危険に晒されていた。湯原県留置場は、宋さんが留置場で死亡してしまえば、責任を問われることを恐れ、2011年3月1日、宋さんの家族に電話をして宋さんを迎えにくるように伝えた。
病院は受け入れ拒否、留置場は言い逃れ
宋さんの家族が留置場から宋さんを自宅に連れて帰った時、宋さんは非常に危険な状態で、身体が硬直していて目の焦点は定まっていなかった。彼女は話すことができず、両手と脚は硬直し、曲げることができず感覚もなかった。帰宅してから、宋さんの家族は彼女の右足と、足の指が全部壊死して黒くなっていて、黄色の水が滴っていることに気づいた。足を触ってみると、鉄板のように硬かった。
宋さんの家族は宋さんを運んで、ジャムス市の2つの大型病院に行き、医師から診断を受けたが、受け入れを断られた。家族は医師から「もはや治療の見込みはなく、脚を切断することしかできず、依然として生命の危険がある」と告げられた。宋さんの家族は怒りのあまり、湯原県留置場へ行き「あなたたちは彼女を迫害して、何の薬物を注射したのか!」と問いただした。喬所長はおびえながら「別に…。ただ心臓を治療する薬を注射しただけだ」と答えた。
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/4/12/124364.html) 更新日:2012年3月19日