明慧法会|保護者に真相を伝える(二)
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文/東北の大法弟子 常存

 【明慧日本2012319日】200110月、私の勤め先の学校では教師の審査が行われ、私が教鞭をとる授業、多くの他の教師が見学することになりました。しかし私は、予定されてい講義内容に多くの問題があると感じ新たに講義内容作り直したいと申し出たところ、教育主任は賛成せず、原案に基づいてやるようにと言われました。仕方なく私は問題に気づきながらも、教育主任に従って原案通りに授業に入りました。

 結果は予想したとおり講義の最中、上司も講義内容に問題があと、教育研究員ともめ始めました。講義の、私はもともとこの講義内容には反対だったと言いました。普段から私はこの教育研究員の得意満面な態度を嫌っていたので、話し方が良くありませんでした。教育研究員は私に反抗の気持ちが強いと言い出し、上司彼女を擁護するかのように私を攻めました。結論からして、私の講義は失敗でした。

 表面的に私は落ち着いていましたが、心の中では大変苦しくなりました。私のどこに問題があったのでしょうか? 自分の行いを振り返ってみました。大法弟子が衆生を救うためには、その人の執着に合わせる必要があり、人間の負の側面を刺激するべきではないとの師父の説法を思い出しました。

 まず、私は大法弟子であり、責任は衆生の救い済度することです。ならば、この前提の下で行ったすべてのことは必ず自分の存在意義のため土台を作っており、私は慈悲をもって周りの人々と接すべきですが、私は自分の意見を言うとき相手の気持ちを考えず、一方的に自分の意見を言だけで、特に教職員とは敵対する気持ちすらありました。

 私は教師であると同時に、大法弟子でもあるのです。私が提案するものは異なる次元の法理に符合すべきであり、衆生にとって価値のあるものでなければなりません。しかし実際の仕事の中で、問題があると分かっていながらそれを変えなかった私は良い教師といえません。大法弟子による衆生の救い済度とは程遠いものでした。

 また、大法弟子としてはすべてのことは法をもって図るべきであり、常人の見解は人心によって常に変化するものです。修煉者はそれにこだわるべきではなく、時間を大切にして三つのことをしっかり行うべきです。

 認識がしっかりしてから、すべての問題も自然と消えました。このことを通して、大法弟子は必ず自分の見解を持つべきであり、他人に同調したりすべきではないと悟りました。そして自分の見解も法理から来るものでなければならないと分かりました。

 20117月、再び教師の審査活動が行われ、私の学校の他の教師たちは色々な理由をつけて審査に参加しないと言い出しました。そのため上司は私に参加して穴を埋めて欲しいと言ってきました。助けを必用とされた時は、大法弟子は身をもって示すべきであり、さらによく行うべきです。これは、師父が私に与えてくださった、大法弟子が法を実証し大法弟子の威徳を樹立するためのチャンスなのです。

 私は講義の教材や学習内容をしっかり見直し、もともとの原案にあった問題をすべて解決しました。全く新しい教育方式を導入し、教科内容も細心に調整しました。社会の公共道徳とモラル教育も導入し、知識の習得と同時にモラルの向上も図れるようにしました。

 学校の管理者が私の名前で申請したとき、以前私にマイナスイメージをもっている関係者がそれに同意しませんでしたが、学校の管理者が今度は上手くいく、何度も説得を試みました。私は人の態度を気にせず、とにかく生徒のため、そして一教師として、一人の大法弟子としてしっかり行うことに集中しました。授業は大変順調でした。生徒たちもきわめて落ち着いて、時々見学する先生たちから賞賛声が授業の最中に聞こえてきました。

 授業が終わってから、私の参加に否定的な意見を出した関係者も含めて、「授業は想像性あふれ、授業に対する態度から学ぶべきことが多い」と話しました。そこで学校の管理者は関係者全員に私が法輪功を修煉していることを話しました。この講義は、一等賞をもらいました。

 自分の授業のみならず、同僚たちは問題があればいつも私に相談しにきます。対外的な活動の際、学校の管理者も私に相談しますが、いずれも極力力になれるように振る舞いました。

 大法弟子は歩む道が正しければ、いたるところ法を実証する舞台となれます。学校の授業以外でも、同僚に困難があればいつも私に言ってくれるし、私もできるだけ力になれるようにしてきました。同僚の悩みについてはいつも大法の法理から提案しました。時には同修の書いた修煉体験を読ませることもありました。あなたは信仰があり、良い人ですから一緒に仕事ができて本当に嬉しいです、と同僚に言われました。

 学法と修煉を通して私は、上司の顔色を見て行動する人から、堂々とすべてを法をもって量る修煉者になりました。同僚と上司は皆私に敬意をもっているし、特に私の説得により脱党した同僚たちも実の兄弟のように仲がよくなりました。

 今になって分かったのですが、大法弟子になれることは宇宙中の神々が嫉妬すほど偉大なことです。しかし、しっかり行えないと神々もその人を許しません。なぜならば私たちの向上は、神々が救われるかどうかと関わっているからです。まさに師父が「それでそれらはあなたに挫折を味わわせ、苦を嘗めさせ、あなたの執着を取り除いて、あなたの威徳を打ち立てて、あなたがある次元まで修煉してから、その生命を救うことができ、すべてこのように行なっています(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』」とおっしゃっているように。

 そのため、やっていることが異なる次元の法理に符合して初めて異なる次元の衆生に尊重されます。大法弟子も師父のおっしゃられたように行い、初めて自分の未来の次元に達するのです。

 (完)

 (第八回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/14/249020.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/5/129868.html)     更新日:2012年3月20日
 
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