【明慧日本2012年3月19日】四川省成都市の竜泉駅川西女子刑務所で拘禁されていた法輪功修煉者・李暁宇さんは、10年の重刑を不当に下され、刑務所で心神喪失状態に陥るまで壮絶な迫害を受けてきた。2012年4月9日に刑期満了で出所する予定だが、その前に610弁公室は、李さんに不明な書類に署名させるよう李さんの母親を脅した。
李暁宇さん
生徒や保護者に信頼されていた小学校の元優秀教師・李さんは、2001年初めに、法輪功を学ぶ自由を求めて北京へ上京したことで、2カ月にわたって強制的に身柄を拘束された。当時、李さんは子供を生んだばかりで弱った体にもかかわらず、氷の上に立たされる拷問を加えられた。また、食事すら与えられなかった。さらに、勤め先の学校から給料の支払いも停止された。
2002年4月に強制連行に遭った李さんは、無実ながらもほぼ1年拘禁されていた。2003年7月に裁判所の法廷で信仰を訴え、外界を騙す当局の卑劣な手段を非難したことで、10年の実刑判決を宣告された。
川西女子刑務所で李さんは、転向を強いられ、受刑者による集団暴行を受けて歯が抜け、顔がぼろぼろになった。拘禁されていた間、命の危険に晒される重篤状態まで迫害されたこともある。2007年、李さんの母は娘と面会し、わずか30代の李さんの惨めな姿を見てショックを受けて心を痛めた。しかし、施設側は、李さんの家族による一時出所の治療申請を何度も無視し、拒否し続けた。
以下は、成都市に在住の一部の修煉者が地元の政府により受けた迫害状況。
2006年5月、四川大学の元教授・楊靖霞さんは、四川簡陽市女子刑務所で3年の不当拘禁を加えられた。しかし、刑期満了で家に戻ったものの、610弁公室によって新津洗脳班へ送り込まれ、拘禁された。
2006年10月11日、小学校の元優秀教師・劉暉さんは、川西女子監獄で4年にわたる獄中生活を強いられた。その後、新津洗脳班へ移送され、3年にわたる不当拘禁の中、拷問によって命を失う寸前となった。
2008年4月、樊英さんは4年の不当拘禁を被った。刑期を終えたものの、新津洗脳班へ移送された。
2010年11月13日、黄香玲さんは、簡陽市養馬河女子刑務所で3年の不当判決を受け、さらに新津洗脳班で収容され続けた。
2011年5月1日、尹思栄さんは、重慶西山坪労働教養所で1年9カ月の刑期をさらに9日間延長された。釈放を許されたあと、新津洗脳班へ連れ去られた。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)