文/中国遼寧省の大法弟子
【明慧日本2012年3月25日】第八回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会の機を借りて、慈悲で偉大な師父に最高の敬意を表します。慈悲で偉大な師父こんにちは。同修の皆さんこんにちは。
十数年来の修煉を振り返って見ると、全てのことは大したことではないと感じて、忘れたように思えました。ただ師父の恩恵はいつまでも続いていて、師父は本当に佛恩浩蕩(仏の恩は広くて大きい)です。たくさんの事やたくさんの話は、どれほどの文字を費やしても表現できませんでした。1998年は私が一生忘れられない年であり、その年夫は亡くなってしまいました。それに加えて、私は多数の病気に罹って、にっちもさっちもいかない絶望的な時期でしたが、家族の人(同修)が私を導き、1998年9月初めに幸運にも修煉を始めました。私の命は師父から与えられたもので、大法に救われたので、私は2回目の生命なのです。それでは、私が修煉の中でのわずかなことを述べ、師父に報告いたします。
修煉を始める
幼い頃から、私は勝気な性格で、とても自己中心的でした。何をやっても、どんな仕事でもいつも無理をして他人よりよくでき、負けないようにしていました。そのため、たくさんの病気に罹っていました。農家ではたくさんの仕事があり、私はいつも、昼間は仕事をして夜に点滴をして、薬を飲むことは当たり前のことでした。ずっとこのままの状態でした。1998年の春、我が家の天は崩れ落ちました。夫が急病で亡くなったのです(夫は以前、何の病気もなく、体は非常に健康でした)。その時、私は気絶しました。目が覚めると、子供たちが私の側で大声で泣いていました。私は病気に罹っていたため、生きていく勇気はなく、死にたくなり、死ねば全てのことが終わりになると思っていました。しかし最後は子供たちのために、私は無理やりその日の生活を過ごしました。
ちょうど私が生死の境目をさまよっていた頃、ある親戚(同修)が家に見舞いに来ました。彼女は「大法を学んでみたら」と言い、私は「大法なんて、私はそんな考えはないよ」と返事しました。しかし、彼女は「李洪志先生の法輪大法に限って、あなたに何でも分からせますから」と言いました。彼女は大法のすばらしさを紹介してくれて、私はうっとりとしました。その日の夜、私は学法チームに行きました。十数日の学法で、私は何の幻想も持たず、ただ人がたくさんいれば楽しいと思っていました。しかし私の全身にあった、いくら治療しても治らなかった多種の病気が全て治りました。私は真に無病で身体が軽い状態を体験しました。
しかし良いことは長く続かず、1999年7.20、その日私は本を読んで学法しているところでしたが、弟から電話が掛かってきました。「姉さん、早くテレビを見なさい。政府は法輪功を学ぶことを禁止したって」と弟は話しました。悪人の江XXは全てのことを変えて、一切の嘘を駆使して中国の民衆を騙し、煉功と学法を禁止し、全面的な弾圧はまるで、暗雲が隙間なく垂れ込めたかのように法輪功修煉者たちを迫害しました。当時、私はどうしてこんな状況になったのか、いくら考えても分からず、学法と煉功の環境がなくなり、こんなにすばらしい功法が禁止され、私は数日も泣いて、同修に会うといつも泣きました。また、邪党は法輪功を修煉している私たちを監視していました。そのため、私はひそかに家の中で煉功と学法を続け、止めたことはありませんでした。
法を実証する
2000年、同修は北京へ陳情に行き、私は行かなかったので、心の中でとても辛く感じました。そして私は、自らの体験で法を実証しようと思いました。その時はまだ真相を伝えることは分かりませんでした。私は人に会うと大法はすばらしいと話しました。2000年、同修が不当に連行され、その影響は私にも及びました。それは6月のことでした。私は経文を読んでいたところ、派出所から十数人の警官がパトロールと称して家に来て、家の中を不法に捜査しました。警官らは「情況を調べる必要があるので派出所に来てください」と私を騙して派出所に連れて行こうとしました。その時、私は経文を腹に隠していたため、派出所へ行くことに同意しました。服を着る機を利用して、私は経文を子供に渡しました。彼らは派出所で「法輪功を修煉する人は他に誰がいますか」と私に聞き、私は「知りません」と返事しました。そしてまた「どうして法輪功を修煉しているのですか」と聞かれ、私は「法輪功を修煉することで病気の除去と健康保持ができ、人は良い人になることができます。私が病気に罹った時、子供を学校に行けなかった時、あなたたちは無視しました。しかし私が法輪功を修煉して病気が治ると、かえってあなたたちは私のことを気遣ってきました。私は真善忍を学んでいますが、どこが間違っていますか。あなたたちは誰も私を学法と煉功を止めさせることはできません。派出所の所長はどうしようもなく、法輪功の迫害を担当していた町の副書記を呼んできました。彼は来ると、恐ろしい態度で「あんたは法輪功を止めないのか」と私に言いました。「私は病気に罹っていただけではなく、家の生活も苦しいです。私は法輪功を修煉して病気が治りました。良心に反して嘘をつくことはできません」と私は言いました。私は続けて「私の煉功を見ませんか」と言い、そして法輪功の第一式「佛展千手法」を彼らの前でやってあげました。彼らは何も言えずに去りました。そして、私は正々堂々と家に帰りました。
2001年、ワシントンDC国際法会が開催され、師父はそこで説法をされました。その説法の経文をまだ読んでいなかった私は(当時邪悪は非常に凶暴だったため、経文はただ一冊だけしかなく、皆で順番に読んでいました)大変喜びました。私は「どうしよう? 世の人々に師父が無実であることを分からせなきゃ」と考えていました。師父はその情勢と圧力の中、自分の安全を顧みず、心の中に弟子のことだけを思われ、弟子のために説法をして道を指し示してくださいました。どのような形式で大法を広げて、師父の偉大さを証実するのかを考えていた私は「師父がワシントンDC法会での説法を円満に成功させられたことに、熱烈なお祝いを申し上げます」という手紙を数十枚も書き、各政府機関および企業に送りました。その後、邪悪の弾圧はますます凶暴になり、私たちの地域の同修と他地域の同修との連絡が失われました。不当に連行された同修もいました。
2002年夏、私は用事があって瀋陽市に行きました。師父の導きで、そこで私達の県の同修と知り合いました。当時、私は月に3回の「明慧週刊」を、百キロ以上も離れた他県に取りに行きました。初めて取ってきたポスターは百枚位の小さな紙でした。しかし、同修の恐怖心が重かったので、受け取った人はいませんでした。そこで私は一人で全てを一晩で貼り終えました。翌日、「法輪功はすばらしいですね。昨日までなかったのに、今日は道のいたるところに法輪功の標語があります。まるで天からの兵士と将校が降りて来たような感じでした」との常人の話を聞きました。
以前、私は外に旗を掛けに行ったことがあります。そこは学生たちが通い、常人が仕事や買い物に使う大通りでした。私はここに旗を掛ければどれほど良いかと思っていました。しかし、そこにはただ一本の木だけがあって、木の下には何もなく、枝葉も生えていませんでした。しかも、旗を掛けた時は真っ暗な夜で、何も見えませんでした。私は正念を発し、法を正している神様が私を守るようにお祈りしていました。師父の加持があったため、私は簡単に木に登り、旗を掛けました。どれほどの高さを登ったのかも分からず、下を見ても何も見えませんでした。旗を掛け終わり、下に降りた時はとても喜んでいました。腹の皮と足に擦り傷ができて血が出ていることに気付きましたが、痛みは感じませんでした。これは歓喜心が出たから起こったことだと私は思いました。
(続く)
(第八回明慧ネット中国大陸大法弟子修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/1/130434.html) 更新日:2012年3月26日