明慧法会|農村の60歳の大法弟子が資料点を作る(二)
■ 印刷版
 

文/中国遼寧省の大法弟子

 明慧日本2012326日】もう一つ、私は地板革(訳者注:ガラス繊維を主とする、硬質の床材)に法輪大法はすばらしい」真・善・忍はすばらしい」と穴を開け、それを持って行き電柱に縛り付けてスプレーしました。ある夜、12時の発正念をした後、道路沿いの電柱にスプレーをし続けて、10キロほど行きました。曲がり角で電柱に地板革を縛っていたところ、猛スピードで走ってきた車が、私の5メートルぐらい手前で停まりました。すでに走って逃げても遅すぎるので、どうしようかと思い、私は目を閉じてそのまま地面に伏せて、ずっと「大法(たいほう)(み)を離れずして 心に真善忍存す 世間の大羅漢 神鬼は十分懼(おそ)れる」(『洪吟』「威德」)を心の中で暗誦しました。また、私は発正念して師父にご加持をお願いして、大法を迫害する邪悪が早く退参するように念じました。私は全く怖くありませんでした。10分程過ぎて、車は行ってしまいました。慈悲なる師父のご加護の下で、私はペンキ2本分を順調にスプレーし終ました。

 その後、月3回発刊の「明慧週刊」が4回に増え、週1回の発刊になりました。同修は私がバスで最寄りの県まで資料を取りに行くのは大変だと思い、資料を20キロ先の同修の家に移してくれ、自転車で取りに行くことができるようになりました。家では農作業の仕事が多く、農繁期にはいつも早朝や夜中に取りに行きました。一度、秋の農作物を収穫し終わった頃、私は早朝3時に自転車で行きました。その日は曇っていたので何も見えませんでした。途中「論語」と『洪吟』を暗誦し続け、同修の家に着いた時、日はまだ出ていませんでした。どの家も寝静まっていて、ただこの同修の家だけに明かりがついていました。ドアをノックすると、同修は「すごいですね。これは本当に師父が按排してくださったことですね。私たちは今日早起きして、数人で農作業の仕事をする予定でした。出かけようとしたら、空がまだ暗いので、もう少し待つことにしました。それはあなたを待つように、師父が按排してくださったのです。そうでなければ、あなたが来ても無駄になります」と言いました。私の家はその同修の家からは遠く、10キロもあります。

 ある時、私は旗を掛けるために外出しました。それは秋の収穫期前のことでした。夜中の2時に起床し、空はまだまっ暗でした。帰る時、数日前に透明のテープで電柱に貼った旗の上半分が垂れ下がり、下の部分が隠されているのをみつけました。旗は高い所にあり、私は小枝で上に押し上げて、旗を元通りにしようと師父にお願いしました。丁度その時、声が聞こえてきたので、後ろを振り返って見ると、誰かが私からわずか数歩手前のところまで歩いて来ていました。私は急いで角を曲がり、道路の側にある農地に走りました。私の片足はまだ畔(あぜ)に掛かったままでした。その人は私の目の前、23メートルの道路沿いの溝の傍に立っていました。息さえ聞こえてくるほどの近い距離でした。彼はすでに先ほど私を見つけていたので、独り言を言いながら「おかしいな。さっきまでここにいたのに、どこに行ったのかな」と地面に座り込みました。彼は「不思議だ。私は夜明けまでここに座って、いったい誰なのか見きわめる。それまでに出て来るか、来ないか」と独り言を言い続けていました。私は彼を無視し、発正念に集中して、大法を迫害する悪人が早く立ち去るよう師父にお願いしました。この膠着状態が40分くらい続いた後、その人は諦めて行ってしまいました。慈悲なる師父のご加護で、私はまた順調に家に帰ることが出来ました。

 この10数年間の修煉の過程で、慈悲なる師父が守ってくださったこのようなことは言い尽くせないほど多く、言葉ではっきり表現することができません。

 資料点を立ち上げる

 現在、同修たちはみんな時間を切り詰めて、三つのことをしっかり行い、できるだけ多くの人を救い済度しています。我が家でも小さな花が満開になるとはその時、想像することもできませんでした。それは2007年のことで、協調人が私にも花を咲かせることができると言いました。私にもそれができるのかと考えました。私は60歳近くで、小学校に通ったのは4年生までで、学校で学んだことは全部忘れてしまっています。パソコンを学んで資料を作ることが出来るのかと考えました。協調人は「あなたの意志さえ固ければ、師父は何でもお出来になり、あなたの知恵を開いてくださいますよ」と言って立ち去りました。

 それを聞いた私はとても興奮し、これは師父が按排してくださったことだと思い、これは正法のために必要なことで、私は決して師父を失望させません。私たちの地域は以前よく「待つ」、「頼る」、「求める」で、いつも別の地域の同修が作った資料をもらい、同修に多くの負担をかけていました。人に出来るのに、私に出来ない訳がありません。修煉の道では年齢の区別はありません。

 数日後、協調人は私のために全てを用意してくれました。偉大な師父は、弟子のためにどんなに細かいことでも用意してくださると、私は感動して泣きました。断固とした心さえあれば、師父はいつでも側にいてくだるから、何でも出来ると私は思いました。数日間パソコンを扱っただけで、何も分からなかったお婆さん資料作れるようになり、とても嬉しくなりました。技術指導担当の同修もあまりの速さに驚いていました。普通の人は長い時間がかかりますが、私は数日の内にできました。しかし、同修は私に歓喜心が出るのを心配して、このことを言いませんでした。師父が私の知恵を開いて下さったので、私はこの全てのことができ、すべてのことがよく出来たのです。

 この数年来、私は毎日インターネットでメールを読み、そしてすぐに情報を同修たちに伝えています。技術面のこともできるだけ自分でして、同修に頼らないようにしています。家では農作業の仕事がたくさんあり、30ー(約2万平方メートル)の畑は全部私がします(この年齢の一般の人にはできません)。しかも、同修たちは毎週、定刻に資料を必ず手に入れることができます。

 私は文章を書いたことがありませんでした。話したいことはたくさんありましたが、どんなに多くの言葉を尽くしても、師父の私たちに対するご恩を言い尽くすことはできません。師父からの恩恵は本当に山のように高く、私は決して師父の期待に背きません。最後に、私心の奥底から叫びます。「師父、ありがとうございました。弟子は必ず師父のおっしゃったことに従い、しっかり三つのことを行い、着実に自分を修煉し、人々を救い済度する神聖な歴史の使命を果たし、自らの神聖な誓いを果たします」

 慈悲なる偉大な師父ありがとうございました。

 適切でないところがあれば同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/6/249449.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/1/130434.html)     更新日:2012年3月27日
 
関連文章