文/重慶市の法輪功修煉者
【明慧日本2012年4月21日】2008年6月から、重慶市元副市長で元公安局長の王立軍は、元重慶市市長・薄熙来と徒党を組んで悪事をし、多くのでっち上げと冤罪事件を引き起こしたことを私たち法輪功修煉者は自分の目で見た。重慶市では文化大革命式の思想コントロールが行われ、数億元を使って、革命歌を歌い暴力団を撲滅するという「唱紅打黒」運動を行い、「真善忍」を信じる法輪功修煉者に対する迫害はますます残酷さを増した。
薄熙来は自分の昇進のために、「法輪功修煉者を死ぬまで苦しめろ」という極秘命令を出した。その命令に従って、王立軍は重慶市公安局の全ての支局に迫害の達成目標を設定し、法輪功修煉者を違法逮捕、監禁、刑罰、裁判にかけただけでなく、罪のない法輪功修煉者に懲役刑を科した。多くの法輪功修煉者が傷つけられ、殺された人もいた。重慶市は法輪功修煉者を残酷に迫害する拠点になった。
明慧ネットが集計した不完全な統計に基づいても、2008年の北京オリンピックの前後、違法な監禁や、不法に連行された法輪功修煉者は240人を超えた。
2009年に不法に連行され、迫害を受けた法輪功修煉者は188人である。その中で、6人が死ぬまで迫害され、18人が不法に懲役を科せられ、76人が不法に労働教養を強いられ、5人が精神病院で迫害を受けた。
2010年に迫害を受けた法輪功修煉者は193人である。その中で、2人が死亡、13人が不法に懲役を科せられ、50人が不法に労働教養を強いられた。123人が不法に連行され、嫌がらせを受けたのは5人である。
2011年から今まで、重慶市で不法に連行され迫害を受けた法輪功修煉者は324人である。死ぬまで迫害されたのは8人、不法に懲役を科せられたのは5人、不法に労働教養を強いられたのは23人、不法に連行されたのは243人、不法に財産を没収され、嫌がらせを受けたのは45人で、ほとんどの法輪功修煉者が警察に私財を強奪された。
邪悪な思想コントロールを実施するために、重慶市政府は多くの警官を雇用し、彼らが重要だと思う法輪功修煉者を24時間監視し尾行した。警官らが不法に連行した法輪功修煉者は主に60~70歳の高齢者である。
不法な連行と恐怖から、ある法輪功修煉者は精神に異常をきたし、ある者は強制的な灌食の拷問を受けて意識不明となり、ある者は神経を破壊する薬を注射され、ある者は死ぬまで拷問され、ある者は長期間監禁され、ある者は家があっても帰る事ができず、ある者は精神と肉体の両面を迫害されて死亡した。多くの法輪功修煉者は日常生活と法輪功書籍の学習において重大な妨害を受け、心身ともに損害を蒙った。
以下はその一部の例である。
例一:重慶江津市地税局の退職者・江錫清さん(68歳男性)は、生きたまま火葬された
2009年1月28日、重慶市西山坪労働教養所で江さんが迫害されて死亡したと発表されてから6時間後、江さんの娘が冷蔵室に置かれた父の身体に触れると、まだ、胸やお腹や足が温かいことに気づいた。江さんの娘は「お父さんはまだ生きています。助けてください!」と叫んで、人工呼吸をしようとしたが、その場にいた労働教養所の警官に制止され、救命措置を禁止され、そのまま江さんは火葬された。
例二:重慶市合川区の法輪功修煉者・徐真さん(46歳女性)は残酷な拷問を受けて、窒息死した
徐真さんは2012年9月20日に不法に連行され、9月26日、重慶市内の女子労働教養所で迫害された。
徐さんは警察による迫害に抗議したという理由で、第四大隊の隊長によって独房に監禁された。警官らは粗暴な受刑者に命令して、徐さんの口を封じて、足を縛って繰り返し殴打させた。徐さんが意識不明になると、冷水をかけて目を覚まさせた後、さらに殴り続けた。麻薬常習犯の唐紅霞、周憶(音)などは、紙の塊を徐真さんの尿道に入れ、無理やりしゃがませたり立たせたりしたため、徐さんは大出血して、もう少しで死ぬところだった。
警官の喩暁華は迫害に協力した受刑者に褒美として果物を配り、受刑者たちを褒め、迫害はいくら厳しくしてもよいと言った。徐さんは法輪功の信仰を放棄せず、夜になると、「法輪大法はすばらしい」と叫んだ。当番の警官の陶新(音)、楊怡はそれを聞いて、「徐真は狂った。労働教養所は合法的な暴力機構だ」と言った。警官の朱晏は「迫害の程度が足りないので、もっと強化せよ」という指示を出した。具体的には徐さんを夜1時に寝かせ、朝5時に起こして、暴力と体罰を加えるという残酷な刑だが、警官の喩暁華はわざわざ書面を作って、受刑者らを褒めた。
警官と受刑者たちは10月20日の午前、徐さんを繰り返し殴打し、麻薬常習犯の秦芳は布団で徐さんを窒息させて殺した。それから1週間後、徐さんの迫害に参加したもう1人の麻薬常習犯は「大丈夫だ、喩暁華が一切を隠したから、もう追及はない」と喜んで語ったという。
例三:小縁圓さんは二度不法に連行され、今も行方不明
張縁圓さんは、重慶市潼南県梓潼鎮に住んでいた。父(張洪旭さん)と母(呉詠梅さん)は2人とも法輪功修煉者である。2003年12月下旬、小縁圓さんのお母さんは潼南県国安大隊長・張良に不法に連行され、留置場で拷問を受けた。母の呉さんは迫害に抗議して断食を行い、もう少しで死ぬところで留置場から離れることができた。
2004年1月1日、潼南县第一公安局は当時4歳の張縁圓さんを強制的に連れ去った。
重慶市潼南県の数人の警官は2010年8月7日午前11時頃、数人の法輪功修煉者を不法に連行した、その中に11歳の張縁圓さんがいた。警察は小縁圓さんを独房に拘禁し、脅迫した。その後、警官らは小縁圓さんをある親戚に引き渡した。2011年、父の張さんは再び拘束され、西山坪労働教養所で迫害された。11歳の小縁圓さんは不法に連行されることを恐れて、やむを得ず家を離れた。小縁圓さんは今も行方不明で、家族はとても心配している。
例四:身体に麻痺のある年配の教師、中共の迫害により死亡
重慶市の法輪功修煉者・顧志毅さんと娘の劉之蘭さん、婿の張全良さんは数回、中共(中国共産党)当局により不法に監禁され迫害された。顧さんは2000年に不法な懲役3年、娘は2005年に懲役1年、婿の張さんも2000年に懲役3年を科せられた。刑務所で彼らは、様々な拷問を受け、何度も瀕死状態になった。2006年、顧さんは再び不法に懲役5年を科され、重慶永川区の刑務所で迫害された。顧さんの娘は精神病に罹っていたが、法輪功の修煉を始めてから、病気はどんどん良くなり、薬を飲まなくてもよくなっていた。しかし、1999年7.20以降、家族は長い間迫害され、顧さんの病気も重くなった。顧さんのご主人は心理的に大きなショックを受けて2000年から、ずっと体が不自由になりベッドに寝たきりになっていた。
2011年8月3日午前7時40分頃、重慶大渡口区新山村の610弁公室は娘の劉さんを連行しようとしたが、失敗した。10月11日午前8時、張さん、劉さん夫婦が一緒に会社へ行く途中、警官らは2人を強制的に連行した。劉さんの父で、身体に麻痺のある79歳の劉建華さんはショックで危篤状態になった。11月の初め、治療を受けていたとき、九竜坡区の610弁公室の十数人が劉さんの家に許可もなく押し入り、劉建華さんの面倒を見ていた顧さんを連行し、保証書にサインを強要した。79歳の劉さんは耐えられなくなり、11月下旬に亡くなった。
以上は、重慶市の法輪功修煉者が受けた迫害のごく一部の例であるが、実際の迫害の状況はさらに酷い。