明慧法会|人に与えることを学ぶ(三)
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——大法の要求に従って大法のことを行う

 

文/中国遼寧省の大法弟子 心净

 明慧日本2012426日】

 四、学法こそが修煉の根本である

 私は15年間の修煉の過程を振り返ってみて、やはり学法が最も根本的で、最も重要なことだと実感しました。

 私が過酷な迫害を受けていた時期、動揺することなく乗り越えられたのは、すべて大法の威力によるものでした。私たちが直面した問題に対して、師父は説法の中で説かれました。問題に出遭った際に、法さえ思い出せば、どうすべきかが分かってきます。特に邪悪の嘘偽りを打破するにあたって、どうすべきかが明白に分かってきます。

 しかし、私はその後の修煉で気を緩めてしまい、学法の量ばかりを重視し、法が心に入らず、真に自分を修めていませんでした。その結果、邪悪に隙に乗じられ、受けるべきでない迫害を受けてしまいました。実際、それは学法と修煉の機縁を重視しなかったことによるものでした。最近、師父の新経文『大法弟子とは何か』と『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』を勉強し、私は大変恥ずかしく思いました。今日、私たちが大法弟子になることができたのは、この上なく幸運で、本当にあまりにも幸運なことです。師父は私たちの手を取って教え導いて下さっているにも関わらず、私は歩いては止まり、時には後退し、常人が求める目先の利益に惑わされ、常人の心を手放そうとはしませんでした。

 最近、私は学法を通じて、師父の要求に従って内に向けて探す中で、問題を発見しました。私はいつも大法のことを口にし、表面では非常に精進しているように見えますが、実際は自分の気に入らないことがあればすぐに怒り出し、他人のせいにして、それを機に自分を修めようとはしませんでした。師父は経文の中で説かれています。「あなたの考えがある種の生命と一致すると、その生命はすぐさま作用を働きますが、あなたは自分の考えの根源がどこにあるのかが分からず、自分がそうしたいからだと思ってしまいます。実は、あなたの執着はそれらに作用を働かせたのであって、それによってあなたの執着を強めたのです」(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』)元は私が自分の修煉を重視せず、後天に形成された観念や執着を放任し、邪悪に隙に乗じられてしまったのです。

 さらに今最も重要なことは人を救い済度することです。自分はこの方面がよくできておらず、人に真相を伝える際、相手が聞きたくなければ私もすぐに諦めてしまいます。今から、私は時間を無駄にせず学法し、自分をよく修め、それと同時に、人に真相を伝える過程で自分の不足を見つけ、形式的ではなく真に人を救い済度しなければなりません。そして、師父の要求に従って多くの人を救い済度すべく頑張りたいと思います。真に法を良く学び、自分をよく修め、自分の使命を全うします。

 以上はの体験したことであり、不適切な部分があれば慈悲ご指摘をよろしくお願いします。

 師父に感謝します。

 同修の皆さんに感謝します。

 合掌

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/3/249512.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/21/130253.html)     更新日:2012年4月27日
 
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