法輪大法を修煉して、炭鉱で難を逃れる
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 【明慧日本2012429日】私は中国の東北地方出身で、19981020日に、法輪大法の修煉を始めました。1021日の夜1時過ぎ、私は炭鉱の同寮と一緒に大法の奇跡を目の当たりにしました。当時、私は夜勤をしていました。抗道に入る前、抗道長が私に「切り場(鉱山や炭鉱で、採掘をしている坑道の最先端)回収するので、十分注意するように」と言われました。切り場への斜面は30、深さ30mの所から縦1.8m、 横1.6m、高さ1.6mの坑道で木板を回収する作業をします。天井は採堀の際に掘り出され屑石炭と石があり、回収するのに危険が伴うので、私は経験のある2人の同寮を行かせることにしました。

 私は仕事の指示をしてから、危険度を考えると、同僚の周さんの代わりに私が行った方が良いと思いました。大法の修煉をしていなければ、相手のことを考えなかったと思います)私は、周さんに「私の方が若いから、私が代わりに行きます」と言いました。周さんは遠慮していましたが、私の気持ちが変わらないと分かり、周さんが辞退しました。鉱山でよく見られる事故ガス煤塵(ばいじん)の爆発と、落盤事故です。今回の場合も事故が起きやすく、現場にいる人の命が非常に危険です。鉱山で仕事をする人は、抗道に入る時は皆気まぐれで入るわけではなく、長年の経験上から危険度が少ないだろうと判断した時に入ります。

 中に入って間もなくすると、落盤が起きました。目の前が真っ暗になり、顔が下に向きになって体も動かせません。私は、崩れ落ちる石がぶつかり合う音を聞いて、すぐに「劉さん」と呼びました。彼が近くで返事したのが分かりましたので、「大丈夫か」と聞くと、彼は「動けない」と言いました。上から崩れ落ちる石の音を聞きながら、彼は「私達はもうお終いです。どれぐらいの石が崩れ落ちているのか? 窒息して死ぬかもしれない」と言いました。私は「大丈夫だ。私が法輪功の修煉をしているから、師父が見守ってくださる!」と彼に言いました。

 周さんは下の方で崩れ落ちる石の音を聞いて、事故だと分かり、ぐに上の人達と連絡を取ってくれました。しかし彼らは、私達が生きていることはあり得ないだろうと思っていました。3時間後、救援隊の人が私達の返事の声を聞いた時、彼らの「死んでいない、生きてるぞ・・・」と言う声が聞こえました。

 私達が救出された時、私は傷ひとつありませんでした。しかし劉さんは、腕を伸ばした状態で引っ張られたので、神経を傷つけられ、仕事復帰までに1年間もかかりました。私は炭鉱長や抗道長、他の人たちから「病院へ行くように」と言われましたが、私は「法輪功の修煉をしているから、大丈夫です。もし私が修煉をしていなかったら、2人とも命はなかったでしょう」と言いました。

 現場にいた人達の皆が不思議がっていました。これほどの大事故で、落盤した石の厚さは3もありました。2軒屋分くらいもある石と煤塵が落盤したのに、2人は傷ついておらず、皆が「奇跡だ」と言っていました。

 事故後、私は事故現場を見に行きました。本来なら私達が倒れている所に石が落下するはずなのに、なぜか私達が倒れている所の上には、石壁が積み上げられ、落下した石を受け止めてくれていたのです。自然の法則から考えると、狭い作業場で、しかも30度の斜面、救援する人たちも危険度が増します。普通なら石を爆発させる方法しかないのです。しかし、爆発の方法を取った場合、人命が危ないのです。今回の事故は救援しやすいように石が積み上げられていたので、そこが、常人が一番不思議に感じる所です。抗道長が私にこんな話をしました。「救援をしている時にどこから出た力なのか、100キロほどもある石を私は一人で動かせたのです」すべては師父がして下さった事だと私には分かっています。

 ある夏の日の夕方、こんな事もありました。妻とバイクに乗って友達のために薬を買いに行きました。帰りが夜の10時過ぎになってしまい、真っ暗で何も見えませんでした。雨が降り始めたので、私はバイクの速度を70キロ以上に上げました。妻が後ろで「ゆっくり!」と言いましたが聞きませんでした。速度が速すぎて、曲がり角を曲がれなくなりました。私は潜在意識で「師父、私を助けて!」と叫びました。バイクは深さ2m位の溝の中の木に衝突しました。(そこは都会から田舎へ通じる道で、溝の中に木植えてあります)

  その時、私はなんらかの力によって後ろに押され、思わず地面に座りこみました。妻も同じような感覚でした。私は妻に「大丈夫か?」と聞くと、妻は「どこも怪我をしていないよ、大丈夫だよ」と言いました。私は心の中で師父に命を助けてもらったお礼を言いました。妻が友達に電話をかけて、バイクを引っ張り出すのを手伝ってもらいました。友達が、懐中電灯を照らしながらバイクを見ると、前がぐしゃぐしゃでライトも消え、ハンドルカバーも何処かに飛んでいました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/22/256022.html)     更新日:2012年4月30日
 
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