明慧法会|無明の迷いの中から大法の大切さを知る(一)
■ 印刷版
 

文/広東省の大法弟子 浩然

 【明慧日本201251日】偉大なる師父にご挨拶を申し上げます。同修の皆さん、こんにちは。

 これまで明慧法会にも投稿しましたが、掲載してもらえませんでした。文章はその人を表すかのごとく、つまり自分の心性がまだ要求に達していないからだと思います。では私の大法を修煉する体験談を書きますので、お願いします。

 一、迷いの中で帰路を知る

 私は青年の大法弟子です。8歳のとき母と一緒に修煉を始めました。始めた当初は結跏趺坐ができて、『洪吟』も暗記できました。迫害が始まってから家の状況も変わり、共産党は理不尽な迫害を行い、私たちは家財没収されました。ちょうど私が11歳の時でした。騒ぎの中、私は大法の本を1冊草むらの中に隠しました。また、警官が師父の写真を出して私に「これは誰だ?」と聞かれると、「僕の師父です」と正々堂々と応えた記憶があります。

 中共が時折自宅に侵入したため、日々が落ち着かず、理解を示さない父は母との離婚を言い出しました。母は圧力のため出稼ぎに出て行ったため、私は修煉の環境を失いました。歳月が経過するにつれ、大法が良いと理解していても、世人に囲まれる中、大法を少しずつ忘れ去り、小学校からテレビゲームに夢中になり、私は食料を持参してネットカフェに泊り込みました。母それを知ってから、「人間として恩義を忘れてはいけません。あなたが13歳の時に師父が救ってくださったことを忘れたのでしょうか? 師父があなたについていた憑き物を払ってくれたのではありませんか? 師父がいたからこそ、今日の私たちがいるのです」と話しました。それ以来、私は母と暮らすようになりました。母は出稼ぎに行きながら私の学費を捻出してくれました。師父のご加護のもとで、私は大学に入学し、奨学金も貰えました。

 10数年にわたる修煉の道の中で、私は一度迷いました。中学校のに大法を否定する署名活動に参加し、大学のに中国共産党組織に加入し、まるで常人になり、自分の歴史的使命を忘れてしまいました。幸いその後同修の助けのもとで目覚め、共産党組織から脱退しました。卒業後、仕事を見つけました。かなり大変ですが、心の中に法があり、師父がいるので、ずっと落ち着いていました。

 二、大法を修め、家族が福音を得る

 20096月下旬、私の勤め先では356人の集団食中毒事件が起きました。私はちょうどその日会社にいなかったので災いから免れました。これは師父によるご加護だと私には分かっています。父それを知ってから神によるご加護を感謝しました。

 父は退役した軍人です。これまでに複数の戦争に参加して共産党のために戦ってきました。私たちの戸籍は農村にあるので、退役後、父は政府から仕事の手配を一切されず、生活困窮し、陳情しても相手にしてもらえませんでした。このことを通して父は、息子が法輪功を修煉しているのは良いこと、災いが来たら命を救ってくれる。また、中国共産党の中には出口がなく死ぬだけだ、と言いました。

 その後、父は中国共産党からの脱退を決意し、部隊から受領した毛沢東の像を自ら壊し、大紀元ネットで厳正声明を発表して脱党しました。それ以来、父は大法を賞賛するようになり、自分も縁のある人に脱党を薦めるうになりました。

 去年の10月、アルバイトをしていた父は別の同僚と一緒に仕事をしていた際に、梯子に登って木の枝を切り落とそうとしていました。すると突然、大きな枝が落ちて来て二人共その場を離れようとした瞬間、不思議な出来事が起きました。

 父は全くの無傷でした。事件が起きた瞬間、真っ先に被害を蒙るはずの父は本能的にその場をとっさの判断で離れましたが、同僚大きな枝が落ち胸を強く打ちました同僚はそのまま地面に伏し、血が流れました。それを見て父は直ちに他の同僚を呼び、枝の下にいる同僚を助けようとしましたが、声を聞きつけてやってきたの労働者は自分の責任ではないと言いながらその場を離れました。仕方なく、父は救急車を呼び同僚を病院に運びました。

 父共産党から脱党していたため、救われたのです。その結果、このように全く異なる結末になったのです。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/28/249030.html)     更新日:2012年5月2日
 
関連文章