【明慧日本2012年5月6日】中共(中国共産党)当局は法輪功修煉者を迫害するため、数万人以上の健康な法輪功修煉者を精神障害者として扱い、強制的に精神病院へ収容し、長期にわたって中枢神経を破壊する薬物を投与した。それにより、中共は法輪功修煉者を「精神病」にするという目的を達成した。しかし、その手段はきわめて陰険で残虐である。
河北省邯鄲市に在住の法輪功修煉者・楊宝春さん(30)は、精神障害者として扱われた一人である。
楊さんは邯鄲市錦航綿フランネル工場の従業員である。1999年9月1日、楊さんは法輪功への迫害の停止を求め、北京に陳情に行ったが、警察に身柄を拘束され、地元に送還された。その後、楊さんは地元の派出所に、不当に労働教養2年を宣告され、同市の労働教養所に収容された。楊さんは教養所で繰り返し各種の残酷非道な拷問で苦しめられた。
教養所側は楊さんと家族との面会を許さなかった。2000年の冬のある日、警官は楊さんが法輪功の功法を行ったという理由で、履いていた冬靴を屋外に捨て、裸足のまま雪の上に立たせた。その後、警官は楊さんを部屋に呼び戻し、両足を熱い湯に入れさせた。そのため、楊さんは凍傷の上に、さらに火傷を負った。足は急速に潰瘍状態になり、悪化し、患部はますます広がっていき、楊さんは紡織局病院に送られた。医者は傷の状態があまりにも酷く、命に危害を及ぼす可能性があると判断し、右足を切断してしまった。
労働教養所側は責任を負うことを恐れ、「楊宝春は精神に障害がある」と偽って、手術を受けて半月も経たない楊さんを安康精神病院に移送した。
精神病院では、楊さんを本当の「精神病患者」にするため、不明薬物を毎回の食事に混ぜた。そのため、楊さんはよだれが流れて止まらず、舌が固くなり、はっきり話すことができなくなり、全身の力もなくなった。
しかし、楊さんは意識がはっきりしており、精神病院から逃れようと考えていたが、病院側に24時間監視されて屋外には出られず、何回も電気ショックや殴打を加えられた。
2004年、楊さんの妻は関係者らにお金を支払い、4年近く精神病院に拘禁されていた夫を自宅に連れ帰った。しかし家に帰った楊さんは毎日24時間、会社の保衛科の担当者に監視された。
2005年6月、楊さんは再び北京に行き、国家身体障害者連合会、国務院陳情局、弁護士事務所などを訪ね、自ら受けた迫害を訴えた。関係者らは楊さんに同情はしたが中共を恐れているため、楊さんの肩を持ち前に出て法輪功修煉者への迫害を非難する人はいなかった。
楊さんは北京に半年いて、2005年末、北京で再び警察に身柄を拘束され、地元に送還された。勤め先のリーダは「もうすぐ正月だから、楊宝春をしばらく永康精神病院に入れておこう」と言って、楊さんを精神病院に拘禁した。
2008年2月17日午後、楊さんは病院から逃れ出る機会をやっと探し当て、粘り強く片足で歩き、2年以上拘禁されていた精神病院から逃げ出した。
しかし、当日の夜11時ごろ、精神病院の関係者達が楊さんの自宅に押し入り、暴力を振るって楊さんを強引に精神病院へ連れ戻した。
妻は楊さんの勤め先の責任者を訪ね、楊さんを家に戻すようにと要求した。しかし、責任者は「楊のことは私と関係ない。610弁公室に聞け」と言った。家族は610弁公室を訪ね、そこで警官に「1万元の保証金を払えば、楊を釈放する」と恐喝された。家族はお金を払えず、楊さんは引き続き精神病院で中枢神経を破壊する薬物を投与され、迫害を受けている。
長期にわたって精神病院での迫害を受けた楊さんは、ついに精神に異常をきたしてしまった。2009年1月20日、帰宅した楊さんに精神障害の症状が現れていることに家族は気づいた。家族は悲しく思いながら、ようやく家に帰ることができた楊さんを、治療のためにやむを得ず、精神病院に連れて行くしかなかった。楊さんはいまだに精神病院に入院しているという。