明慧法会|三つのことを実行する中で心性を修める(一)
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2012512日】偉大なる師父 こんにちは! 同修の皆さん こんにちは!

 このような大陸大法弟子オンライン交流法会という、貴重な機会を提供してくださいました慈悲なる師父に感謝いたします。修煉体験を書く過程は修煉と心性を向上させる過程そのものであります。今回は四回目の投稿になりました。投稿を書く過程は常人心を取り除く過程でもあります。例えば教育水準が低い為きちんと書けるかと恐れる心、出しゃばる心、発表後の歓喜心などがありました。今回こそ、雑念に邪魔されずに最も純真気持ちを込めてよく法を学び、よく「三つの事」を実行しているわずかながらの修煉体験を慈悲なる師父ご報告させていただきます

 一、すべては修煉を実行する過程

 7.20の弾圧が始まって以来、大法の仕事を熱心にこなしている地元の同修Aを見ていつも羨ましく思っていました。彼女はたくさんの事に携わりきっとよく修めていると思っていました。ところがA同修は病業の難関を乗り越えられず、帰らぬ人となりました。私達は非常に悔しくて残念でしかたありませんでした。当初、何回にもわたって彼女と一緒に法を学び、正念を発し、相互交流し、内に向けて探していました。A同修はたくさんの法を学びながらきちんと正念を発していましたが、しかし内に向けて探すとなると「難しいな! 迫害される根本的な執着は何なのかが見つからなかった。これ以上どうたら心性を向上させればいいか分からない。もう手遅れだ」といつも口にしていました。A同修最期遺憾な気持ちのまま逝ってしまいました。

 同修の死は私を目覚めさせてくれました。改めて修煉の厳粛さなどを深く考えさせられました。きちんと法を学自己修めることを実行した上で、内に向けて探すことが本当の修煉だと分かりました。法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」(『洪吟』「実修」)と師父おっしゃいました。また、高次元の法を必ず徹底的に学んで、どのように修煉するか分かるようにならなくてはいけません」(『転法輪』)師父のお言葉がありました。学法は修煉の根本だと悟りました。ただ勉強するだけではなくきちんと学ばなければなりません。実際に法に沿って実行しなければなりません。それは本当の学法になります。

 師父に按排された「三つの事」は私達修煉者通らなければならない修煉の道そのものです。私達の責任、使命、衆生を救うこと、各種の執着心、常人心、欲望を取り除くなどはすべてその「三つの事」をしている中で実現しなければなりません。佛はすごい力を持っているではありませんか。一人の佛が手を振れば、全人類の病気が消えてしまいます。これは間違いないところです」(『轉法輪)師父は新宇宙の創始者なので、師父が何かをしたければ一念で出来てしまいます。なぜ師父いつも「三つの事」を行うよう、衆生を救うよう私達に要求されているのですか それは私達を全うさせようとしているからです。それこそ師父の偉大なる慈悲と浩瀚なる佛恩の所在です。このことを理解するようになってから、私は修煉の機縁を大切にして更に学法精進すると決意しました。ただやっているだけでは修煉とは言えません。こなしている中で実際に修めること大事です。真相資料を配布している時も、同修と組んで他のプロジェクトに携わる時も、現れてきた不正な常人心が見つかれば、直ちに法に沿って正します。「三つの事」を行う過程はまさに修煉する過程です。

 二、資料を配布る中で自分を修める

 ある日、4人の同修と協力し神韻DVDを配っていた時でした。2人ずつ2チームに分かれ四つの村を回ることになっていました。年配の同修と一緒になった私のチームが担当る村は割と規模が大きかったです。道は全て舗装されていない泥道でした。二つ目の村までは(未舗装の道は非常に歩き難くかったけれども)、神韻は師父が自ら制作されたプロジェクトなので衆生を救う法器そのものだと神聖なる使命感が体中に充満し、心はまだ穏やかでしたが、3つ目の村になると心中では不平不満が湧き上がって来ました。年上の2人をもう2つの村も歩かせたのだから3つ目らいから交代してもいいじゃないかと同修に愚痴をこぼしてしまいました。

 翌日同修がわざわざ自宅まで来て「もう怒らないで」言いに来てくれました。「もう終わった事なので人を怨んだりしないでね。誰かに見せる為にやっているわけではないから」とその話を聞いた私「足りないところがあったら是非ご指摘とご意見をお願いします」と口先でいましたが、内心では刺されているかのようにチクチク痛かったです。同修が帰った後、私考えれば考えるほど納得いきませんでした。「その日泥道を歩いたのは私、タックシー代を払ったのは私、それでも私を責める訳?」とり切れない気持ちでいっぱいでした。ちょうどその時「これに対して、われわれはねらいを定めて、本当にその心を指摘し、その心を取り除くわけですから、修煉がきわめて速いのです」(『転法輪』)と師父のお言葉が頭に浮びました。その教えがまた、私を目覚めさせてくださいました。

 内に向けて探しみたら、確かに怨み、利己心、惰性、安逸心、耳に痛い意見を受け入れない、利益心などたくさんの常人心が見つかりました。不快を感じて嫌がっているのは真の自分ではなくまだ取り除けていない常人心が痛がって苦しんでいると悟りました。そうであれば私は惜しむ理由もなく師父示された不正な常人心をどんどん切り捨てま

 人に見せる為に法の事を行わないでください同修に指摘された2つ目の事に対して、本当に出発点正しいかどうか、心はきちんと法に沿っているかどうか、見せびらかす気持ちがあったかどうか、自己実現の顕示心が働いていたかどうかについて深く反省してみました。自己顕示心なかったようでしたが、神韻DVDの配布において私達はただ師父に派遣された親善大使に過ぎないと分かっていたので出発点はまだ正しいと言えるでしょう。しかし、少なくとも同修に指摘されたので、自分の気づいていない顕示心、自己実現、見せびらかす気持ち、ひけらかす心がまだどこかに潜んでいるということです。常人心が一日も早く取り除けるよう師父が同修の口を借りて私に教示してくださっているこ分かりました。実行している内に不正な常人心を取り除き、良くない物質を体内から駆除し、段々心性を向上させていくことで、本当神聖な事をやっていると言えるようになります。

 今まで何故、私は他人が何を言っているのか、また何をしているのかが気になりやすく自己感情の主張が強すぎるのかについて分かりませんでしたが、実は自我を放下できておらず根っからの利己心で自分本当の意味では法に溶け込んでいないと悟りました。同時に旧勢力は衆生を救う為の神韻DVDを配らないよう妨害する目的で私の利己心を利用して仲間割れさせようとしているのが分かりました。師父への誓約を心に刻み込み、同修に何を言われようが私はすべての自我を放下するよう努力します。決し同修と対立して師父を失望させたり、邪悪の思う通りにさせたりする事をしません。後に、私は誠意を持って同修に謝りました。あれ以来ずっと問題なく同修と協力し合うことができていました。私を助けた同修の無私と率直さに感謝いたします。

 (続く)

 (明慧ネット第七回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/29/249201.html)     更新日:2012年5月13日
 
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