【明慧日本2012年5月20日】福建省三明市沙県に住んでいた建築デザイナー・楽声着さんは、1998年に法輪功の修煉を始めた。楽さんが修煉を始めてまもなく、1999年7.20に中共(中国共産党)による法輪功への弾圧が始まった。しかし楽さんは、依然として法輪功の法理に基づき、修煉に励んでいた。2000年、楽さんは北京へ法輪功のために陳情しに行った際、当局に身柄を拘束された。続けて2001年、法輪功の真相資料を配布したという理由で、懲役5年の不当判決を宣告された。
2003年5月4日、閩西刑務所の第2大隊で、楽さんは監守らの暴行に抗議するため、8日にわたって断食を行ったが、病院へ運ばれて灌食の拷問を受けた。その後、楽さんは他の修煉者に、皆で迫害に反するよう呼びかけたことで監守の恨みを買い、重体になり入院するまで殴打された。2カ月後、楽さんは依然として迫害に決して屈せず、再び灌食の拷問を受けた。
拷問の実演:狂暴な灌食
2008年元旦、楽さんは妻とともに密告され、警察に不当に逮捕された。楽さんに3年、妻に5年の労働教養が科された。
拘禁中、楽さんは常に修煉者として振る舞い、「法輪大法は素晴らしい」といつも口にしていた。楽さんに対する監守による迫害は、日に日にエスカレートし、面会も禁止され、楽さんへの迫害状況は深刻化した。結局、2009年、度重なる迫害の末、楽さんは重病を患ったと診断された。同年7月23日、楽さんはやつれて見る影もなく、自力で生活できないほどの危篤状態に陥り、治療も受けさせられずに家へ帰された。
出獄後、楽さんは苦しい獄中生活や残酷な拷問を繰り返し受けたことで、心身共に大きなダメージを受け、その上、後遺症の重病による健康悪化で、日に日に体が衰え、重度の病気にずっと苦しめられていた。極度に体が衰弱した楽さんは、2012年5月3日、冤罪を晴らすこともなく倒れ、そのまま死亡した。享年わずか38歳であった。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)