文/ニューヨークの大法弟子
【明慧日本2012年6月7日】以下に、私は神韻宣伝の重要なポイントを皆さんと交流したいと思います。
一、集団学法の重要性
師父がワシントンで説法をされてから、私は続けてニューヨークの集団学法に参加し、とても勉強になりました。毎回学法と交流をして生まれ変わったように感じました。同修との交流はとても良く、私の修煉、神韻への認識に大変よい影響を与えました。集団学法をしてから私は、「時間がない」、「能力が足りない」などのネガティブな心がだんだんと「絶対に行く」、「自分なりの方法を探そう」、「良くなる」というように変わりました。交流を通じて、私の神韻への認識も次第に深く、正しくなりました。
二、全体の力
神韻の宣伝はそもそも、地区の学習者全体の修煉、全体の向上、協力し合う過程であり、その結果が自然に反映されます。
神韻を宣伝する全過程で、参加できることを誇りに思っています。この過程は非常によい修煉のチャンスで、私の参加は遅かったので、特にこのチャンスを大事にしなければなりませんでした。毎年神韻を宣伝する時期は自分の一番幸せな時だという同修もいれば、神韻の宣伝に参加した間に、自分の修煉の向上が早かったので、師父に、このチャンスを下さって大変感謝しますという同修もいます。このような発言はとても私の心を打ちました。私は神韻を宣伝している間に認識も高まり、同修と一体になり、同修との隔てもなくなりました。
同修と協力し合うことは非常に重要です。説明会を主宰する同修と行動を共にするとき、いつも自分の不足を感じます。この同修は数年もの間、心身ともに神韻の宣伝に関わり、とても変わりました。中国の伝統文化を紹介する時、とても説得力があり、たくさんの道理を簡潔に言い表しました。大紀元の神韻に関する報道を隅から隅まで読んでいるため、いろいろな人に対し、それぞれ違うやりかたをすると、心をつかむことができると教えてくれました。
三、神韻を鑑賞すること
神韻を宣伝している間、私もよく大紀元の関連報道を読みました。この中で、私は神韻への理解、神韻を鑑賞する認識も深くなりました。報道は芸術家や見識のある人たちの話が多いのです。この人達の話から、舞踊、振り付け、衣装、音楽などの各方面で、神韻は芸術のトップレベルに達したと分かりました。
以前私は、神韻公演を見るときは、いつも前の席に座り、細かい部分まで観ていましたが、全体の内包を感じ取ることがなかなかできませんでした。今回は、同修が真ん中あたりの座席を選んでくれました。それにより舞台の設計、バックスクリーンとの関連を理解し、芸術家たちの論点もよく理解できました。
4月の公演が終わりましたが、私はまだ神韻を宣伝しています。神韻を宣伝すること自体がとても有意義なことであると思い、説明会をいくつも予約しました。展示会にも行って、出店の各社に神韻のことを紹介して、縁のある人に出会いました。今、神韻のすべての公演が満員だったことを紹介しながら、10月にニュージャージーで公演を行うことを進めています。今年観られなかった人には、来年の公演に誘っています。公演の直前にあわてて活動するのが苦手な私は、今からチケット販売に着手して縁のある人を一人一人連れていきたいと思います。
神韻は幅広く愛好されており、社会のすべての業界に宣伝しても構わないと思います。多くの場合、人と接するたびに私は神韻の話題を出しています。こうして、私の生活はすべて有意義になりました。神韻宣伝の中で、師父の無辺の法力がすべてを掌握しておられると感じました。そして、私たちは師父が法を正す進展についていくことができるならば、師父は一番良いものを与えて下さり、能力も与えて下さると思いました。
このすべては師父が行われるので、大法弟子は絶えず自分を浄化して、三つのことをしっかり行い、師父が望まれることを圓容するだけです。
修煉について言えば、私はまだまだ足りないのです。これからの神韻を宣伝する中で、私は同修と「比して学び比して修し」、共に次元を突破し、成熟したいと思います。
師父、ありがとうございました!
皆さん、ありがとうございました!
(完)
(2012年ニューヨーク法輪大法修煉体験交流会発言原稿)