文/吉林省の大法弟子 水袖
【明慧日本2012年6月11日】
(六)自我を放下し、私心を解体する
この間、私の家族(同修)が不当に連行され、私は手元の仕事をしながら重い気持ちで家族の救援にも努めました。国家安全局の圧力に耐え、悪人と向き合い、これをチャンスに真相を伝える事は出来ても、そして、家族に対して結果を気にせず過程を大事にするようにと励ますことは出来ても、内に向けて探す中で気づいたのですが、私は口先ではこの過程で迫害を否定し、自分を修め、衆生を救い済度するとは言いながらも、内心では情にとらわれ、強い正念を持てず、結果に強く執着していました。私心が私の最大の執着心です。
自己を反省するうちに分かったのですが、私の真相伝え、私の努力、自分を修める事、迫害を否定する事の全ては、家族が戻ってくることの為でした。自分がすべき事をやれば、師父は必ず助けて下さると思い、自分にこんな大きな私心があるとも知らず、これは師父が仰っていた二人の癌患者のうちの一人と、どんな違いがあるのでしょうか? 「私がこれらのことをやれば、先生は必ず私を守ってくれます。私は本を読んでおり、煉功をしています。他の人に修煉するようにと教えています。先生は必ず私の病気を取り除いてくれます」と考えて、これは彼の本当の目的です。ですから、表面では彼は薬を飲まず、口でもこのように言っており、表面では私の煉功に対する要求にしたがってやっていますが、実質上煉功者としての基準に真に到達していません。」(『北米第一回法会での説法』)
以前のある同修の話を思い出すと、彼女は不当に連行されていた時、途中でずっと真相を伝え、ずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫び続けましたが、結果的に刑務所に入れられました。その後、彼女は反省して気づいたのですが、表面では師父のお教え通り、真相と大法の良さを伝えていますが、内心ではこの方法で家に帰れると思っており、私心があったのです。また最近、全国各地での洗脳班が増えていますが、なぜ邪悪はこんなにはびこることが出来るのでしょうか? 発正念以外、私達は本当に師父のおっしゃる通りに出来たのでしょうか? 「捕まえられたら、帰ることを考えたこともありません。ここに来たからには私は法を実証します、という情況です。それで邪悪も怖くなります。」(『大ニューヨーク地区法会での説法』)また、邪悪の巣の中に入ったならば、そこで邪悪を解体しようと実行できる人は何人いるのでしょうか? 師父は『米国フロリダ法会での説法』の中でおっしゃいました。「同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです。」これを実行出来れば、邪悪は必ず自滅します。
旧宇宙の理は「私」であり、私達は新宇宙の大覚者に成就しようとしているので、旧宇宙の「私」をそこに持ち込めますか? ある日、私のMP4プレーヤーはうまく動かず、いくら操作しても駄目だったので、私は内に向けて探し、自分の私心を見つけました。その私心はあらゆる場面で現れていました。同修を救出する時、真相を伝える時、全体と協調を取る時、また、普段の考えや言動の一つ一つにも現れていました。私は深く反省し、自分が未来の宇宙の護衛者の一人として、未来の宇宙の大覚者の一人として、いつになったら自分を放下し、完全に他人の為を思い、自分の意見に執着せず皆と協調を取り、いつになったら完全に衆生の為に出来るのかと思い、突然内心の奥底に響きを感じ、耳元に二つの言葉が聞こえてきました。「自分を放下し皆と協調を取り」、「自分を放下し衆生を救おう」もう一度MP4プレーヤーをつけてみると、全てが正常に戻りました。
(七)真相を伝える
真相を伝えることは、口下手な私にとって少し難しく感じますが、実行すべき三つの事の一つとして、私は他の同修のようにどこでも伝えに行く事をせず、出来るだけチャンスを逃さず、接する全ての人に真相を伝えています。例えば、買い物をする時、電車に乗る時、道を尋ねる時などの相手は、全てが真相を伝える対象になります。
ある日、私は用事でB市を訪ね、帰りに三輪タクシーで駅に戻ろうして三輪タクシーを探しましたが、普段ならいくらでもある三輪タクシーは、その日に限って滅多に見つけることができませんでした。折角三輪タクシーを見つけて呼んでも、途中で他人に横取りされたり、運転手さんに私の声が届かなかったりして、私はがっかりして、今日はどうしたのだろうと不思議に思いました。しかし偶然はないので、今日は冥々のうち、私は誰かを待っているような感じをしました。予感通り、次に呼び止めた三輪タクシーの運転手さんは、どうもどこかで見たような気がして、私は思い出してみました。前回、私がB市に来た際も、彼の三輪タクシーに乗り、その時彼に真相を伝えましたが、彼の反応は悪く、「今日は何故あなたみたいな人に会ってしまったのか、本当にもう・・・」とブツブツ言われました。当時、私は彼の態度に動揺し、うまく真相を伝えられませんでした。彼とはどういう縁なのか、師父の慈悲により、私はもう一度彼に真相を伝えるチャンスが与えられました。私は暫く発正念し、彼に声を掛けました。「この間、乗車人に三退を勧められた事を覚えていますか?」「はい、そのような人がいましたね」「それが私ですよ。縁がありますね」私は彼の態度に構わず、今日は必ず彼の三退を成功させようと思い、大法が受けた迫害から、天安門焼身自殺事件の真実、大法が広く伝えられている事、そして三退により平安を得られること等などを言い始めました。最初の頃、彼は緊張して、「やめて、人に聞こえたら連行されますよ。」と言い、その後「声を小さくして」と言い、徐々に彼は三輪タクシーのスピードを落としました。彼は聞いているように見えましたが、三退はしたくない様子でした。私はこう言いました。「人生において、誰もが自分に危険や災難が来ない事を保証できません。この九文字を心で覚え、偽名で三退し、災難などが来たらこれを使えば良いですよ。お金も使わない保険ですから良いじゃないですか? 私が良い偽名を付けてあげるから三退しましょう」彼は静かに頷きました。私は下車の際、彼に尋ねられました。「九文字の“法輪大法好”の後は何でしたっけ?」「“真善忍好”ですよ。」と私は答えました。「これで完璧に覚えました。ありがとう」と彼は言いました。表面では私は真相を伝えていますが、実際、真相が伝えられている一人一人の縁のある人は師父の苦心の按排です。
また、ある日、私は子供のカバンを買いにある専門店に入りましたが、店内は閑散として、私はこれが良い真相を伝えるチャンスだと思い、店員の女の子に真相を伝え始めました。しばらくして、もう一人の女の子がスタッフルームから出てきました。二人とも無神論の影響で私の話を信じず、聞きながらくすくすと笑っていました。私は悪党の腐敗から法輪功への迫害による罪悪まで、そして秦の始皇帝の際に現れた「亡秦碑」から貴州に現れた「蔵字石」までのことを二人に伝え、心の中では「良知は必ず呼び戻される」(『洪吟三』「済世」)を思っていました。最後に私は言いました。「今の世の中の人々は、何をしても何かの求めがあるはずです。名誉のため、利益のため、自分に不利益になる事を絶対にしませんよね?」彼女たちは頷きました。私は続けて言いました。「私にも一つの求めがあります」彼女たちは一斉に目線を私に集中しました。この時、私は涙が溢れ出そうとして、巨大な慈悲に包まれ、心の中では純粋な一念しかありませんでした。「貴方達の平安を望みます」と私は一文字一文字をはっきりと伝えました。この時、彼女たちはもう笑っていませんでした。私の巨大な慈悲に感動したのか、一人の女の子が頷いて、三退の意思を表明しました。私は早速二つの良い偽名を薦めてあげて、もう一人の女の子も三退すると言いました。私たちは真に自我を放下し、真に相手のために思うとき、相手はそれを感じ取れるはずです。
真相を伝える願望があれば、師父は縁のある人を私たちのところに遣わされます。長年会っていない友達や、連絡の途絶えた同級生、隣人に次々と会ってしまいます。ある時、15年も会っていない友達と百貨店で会い、私は早速三退のことを伝え、彼女は、「冊子などを見て、私はわざわざアメリカまで脱党の電話をしたけど、繋がりませんでした」と言いました。私は彼女に、もう電話する必要がなく、私の方で偽名をつけて処理してあげることを告げると、彼女は喜んでお礼まで言ってくれました。またある日、狭い路地で長年会っていない同僚と会い、二人とも不思議に思ったのですが、長い路地の中に私たち二人しかおらず、しかも知り合い同士でした。彼も簡単に三退をしました。また、数年前までの隣人と他の都市で偶然にも会いました。このようなことが偶然とは言えるのでしょうか? 全てが師父の按配ではないでしょうか?
私は小さい頃から内気で口数が少なく、行動も少なかったのですが、真相伝えを始めてから、私は積極的に人に声をかけ、時には真相を伝え終えたところ「あなたは本当に口がうまいですね。大卒ですよね?」と相手に言われたこともあります。私は笑いながらこう答えました。「私は口がうまいではなく、私がお伝えしたことの全てが真実ですから」心の中で、「彼には知るすべもないでしょうが、これらの全てが大法に与えられた知恵によるものです」と私は思いました。
私は普段、自分に似合う服装をし、お洒落を追求せず、家では主人と子供の面倒を見ることを心がけ、完璧を追求しません。他所では、私は他人と同じく仕事に専念し、しかし利用できる全ての条件と環境下で真相を伝え、自分を修めます。夜、私は学法、発正念とネットを利用し、夜中十二時の発正念を終えてから床に就き、早朝の3時50分に起きて煉功します。主人はこの点において私に敬服しています。
時には一日が本当に忙しく感じます。毎日、学法、煉功と発正念をしなければならず、また如何にして真相をよりよく伝え、メッセージを多く発信し、真相をきちんと編集できるかを考え、家事、仕事、そして子供(大法小弟子)のこともいい加減になってはならないので、1日を2日に変えて使いたいほどです。師父はおっしゃいました。「私は皆さんが非常に苦労しているのを知っています。仕事も勉強もしなければなりませんし、また家庭生活や、社会活動もあり、同時に家の面倒も見ながら仕事をきちんとしなければなりません。更に法もよく勉強し、煉功し、また真相をも伝えなければなりません。難しいのです!時間的にも経済的にも結構、難しいのです。難しいからこそ、威徳を体現出来るのです。難しいからこそ、威徳を樹立する良い機会なのです。素晴らしいことです。皆さんは修煉者だから、難しくても更によく行なわなければなりません。」(『二〇〇一年カナダ法輪大法法会での説法』)
十数年の修煉を経て、述べる事が無いわけではなく、述べたいことがあり過ぎる程ありますが、しかしその全てを人間の言葉で言い切ることはできません。万難を経て、師父に従って世に下り、私は当初の誓いを忘れる訳にはいきません。宇宙の変動に神々が注目している中、私は自分の一つの考え、一つの念を良く修めなければなりません。私は自分が大法弟子であることを思い起こす度に、内心に無限の喜びを感じ、師父の見守りと無量の慈悲を思う度に、私は涙を堪える事が出来ませんでした。当初の変わらぬ誓いのために、衆生の期待に応える為に、私は精進し続け、宇宙の第一の称号に恥らないようにしていくつもりです。師父の心労を減らし、喜んで安心できるように頑張っていきます。
(完)
(明慧ネット第七回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/12/5/121787.html) 更新日:2012年6月14日