「太平村」と呼ばれる村のストーリー(一)
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文/内モンゴル 一蓮

  明慧日本2012年6月21日】人生において、誰もが家庭生活が平安で幸せであることを望んでいます。特に、生活条件がますます良くなった現代人は、「どのように生活を楽しむか」が日常の主な話題になっています。しかし、ご承知の通り、人間は自分の運命を左右することも、生老病死から逃れることも、不慮の災難を予側することもできません。しかし、法輪大法が世に伝え出されて20年来、法輪大法は、数え切れないほどの修煉者の家庭に幸福と無事平安をもたらしました。各地に九死に一生を得て、危険を安全に転換させた事例は、枚挙にいとまがありません。

  内モンゴル多倫県のある田舎に20戸あまりの村があります。この村は、どの家にも法輪大法の修煉者がいて、大法のご加護により、平穏で、災難もなく、「太平村」と呼ばれています。これはその村で実際にあった出来事です。法輪大法が世間の人々にもたらした、生命の奇跡を次にいくつか述べてみたいと思います。

 その1:再び修煉をして命が再生

 諺にあります、「天災は忘れた頃にやってくる」「禍福は糾(あざな)える縄の如し」。1996年のある日、この村の50代のある女性が野良仕事中、うっかりして転倒し、 腰椎を骨折し、脊髄神経が傷つけられました。それ以後、半身不随になり、寝たきり生活の状態がもう2、3年続いています。1998年の冬、その女性はある大法弟子から法輪功を紹介されました。彼女は至宝を手に入れたかのように喜んで、すぐさま修煉を始めました。3日後、彼女はベッドから床に下りられるようになり、その感激を言葉では表現することができません。

 瞬く間に1999年7.20になり、中共(中国共産党の)江沢民集団は法輪功への弾圧を開始しました。ある日、彼女の息子が、郷政府の役人が家を軒並み回って、法輪功の関連書籍を没収しているのを見て、大変恐れ、直ちに大法の書籍を全て焼却してしまいました。大法の書籍がなくなり、そして恐怖心を覚えた彼女は次第に修煉を諦めてしまいました。

 2003年、新型肺炎(サーズ)が流行していた時、彼女は胃病を患いました。最初は胃下垂と言われ、再検査後、胃がんと診断されました。絶望状態の時、彼女は法輪功を思い出しました。かつて大法の恩恵を受けたことがあり、再度大法により必ず救われると固く信じていました。しかし、かつて女性は恐怖心から修煉を放棄したので、師父がこんな意気地のない弟子を受け入れてくださるかどうか分かりません。

 ある日、彼女は『転法輪』を借りて来て、開きました。師父の写真に向かって心の中で「師父、まだ私を受け入れてくださいますか?」とお尋ねしました。その時、師父の法身が写真の中から出て来て、目の前に立っていらっしゃるのが見えました。彼女は非常に感動し、「ああ、師父は私をまだ見守ってくださっている」と分かりました。それから再び修煉を始め、しかも、さらに精進しようと決意しました。

 煉功の第1日目、彼女が第二式の「法輪椿法」を煉功していた時、右の脇腹から胃が、麻袋などを縫う時の大きな針を刺し込まれたかのように感じて、痛くてたまりませんでした。師父が身体を浄化してくださっているのだと、我慢して煉功動作をそのまま保ち、最後まで堅持しました。煉功終了後、衣服が汗でずぶ濡れになっていました。

 翌日、また第二式の功法を煉っていた時、今回は左の脇腹から胃に刺し込まれたように、同じく痛くてたまりませんでした。3日目になると、全身が軽くなり、無病の状態を自覚しました。彼女の変化を目撃した親族数人も修煉を始めました。夫は修煉していませんが、彼女を懸命に支持しています。夫は「おまえが煉功すると、すぐにとても心地良くなるよ」と伝えました。確かに、夫の体調が悪い時、夜、煉功中の彼女の傍にしばらくいると、翌日、必ず体調が回復しています。本当に1人が煉功すれば、家族全員が恩恵を受けます。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/15/256670.html)     更新日:2012年6月22日
 
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