――使命に背かず 誓約を果たす
文/湖北省の大法弟子 洪微正
【明慧日本2012年6月23日】
三、同修を助ける中で向上する
私は喜んで他人に手を差し伸べる性格で、いつも親身になって相手のことを考えています。私の人当たりの良さは常人に受け入れられやすく、常人社会で良いことを行なっている分には、他空間からの妨害は少なかったのですが、修煉となると全く違う状態になりました。
身近にいる古い同修は、息子さんと家庭内での不和がしばらく続いていました。私は「修煉者にあるまじき状態」、「息子さんも例外なく私達が救う対象」、「積極的に話し掛けるべき」などと、先輩の同修と交流しました。同修は私のアドバイス通りに行いましたが、依然として息子さんに無視されました。しばらくして、結果がどうなったのか、気になって聞いてみたところ「相変わらず口を聞いてくれない」と答えました。私が「どこでつまずいているのか、内に向けて探してみましょう」と言うと、同修は「息子にひざまずいて許しを求める母親がどこにいるの!」と怒り出しました。その日の夜、同修は怒りで一晩中眠れなかったそうです。
その夜、私は考えました。同修を助けるつもりだったのにますます事態を反対方向に走らせてしまいました。これは同修を助けるどころか、突き落としていたのです。内に向けて探したところ、問題の解決を急がせる執着心が見つかりました。いつも同修を上からの目線で見ていたことに気づきませんでした(同修はほとんど字が読めず10年余り師父の説法の録音を聴いて今日まで修煉してきた)。実はどんな事に遭遇しても、それは自分を向上させる機会です。それに気づいた後、すぐに良くない心を取り除こうと発正念をして、大法弟子を仲間割れさせようとする邪悪を取り除きました。翌日会った時は、いつもの同修に戻っていました。
ある時、7.20以降に修煉を始めた同修に重い病業状態が現れました。家庭環境もよくありません。ある同修から、この病業状態にある同修の家に行って一緒に発正念をしたり交流したりするよう誘われました。初めてそのお宅を訪問するので、私はお孫さんにと、手土産を買って行きました。
行く途中で正念を発して全ての邪悪による妨害を取り除きました。また師父のご加持もお願いしました。同修の家に着いたとき、ちょうどお客さんが見えました。そこですぐ、真相を伝えて環境を正すべきだと意識がはっきりしました。真相を伝える事を通じて、お客さんと家族の皆が真相を理解して「三退」を承諾しました。それから同修と交流したり一緒に正念を発したりして、その日は終わりました。翌日の午後、私達3人はまた、病業の同修の家にお邪魔しました。病業の同修の状態は大分よくなり、それを見て私達は歓喜心が生じました。同修とあれこれ話をして交流しました。
ところが3日目に、病業の同修の家族から状態が変わったと電話が入りました。それを聞いて、私は内心で焦り始めました。すぐ師父の肖像の前でご教示を仰ぎ、心を静めて座り、内に向けて探しました。同修が異常だと聞いた、私の第一の反応は「焦り」で、修煉者としてあるべき状態ではありませんでした。すべての良くない状態は虚像ではないでしょうか。その「焦り」からさらに探してみると、表面的な変化を強く求める執着心が見つかりました。数日来、毎日のように同修の家を訪ねて、心がその虚像に動かされていました。同修と交流をしに行った時は、皆が順番に自分のものを、一方的に病業の同修に押し付けて、まるで現代医学と漢方の治療が混じっているようでした。
はじめて訪問した時は、ちょうど縁のある人と居合わせ、真相を伝えて衆生を救うという正しい基点だったので、虚像はありませんでした。同修達が心を静めて一緒に座り、病業の話をしないで、どのような執着心が存在していたかを話して一緒に正念を発し、それらの良くないものを解体しました。大法弟子が隙に付け込まれないように、虚像を否定しました。「後になって法を得たので、とにかく法を多く学ぶべきです。邪悪がどんな手を使っても、私達は気にしないでやるべき事をやりましょう」と言い残して帰りました。
それから他の事に忙しくて、病業の同修の事はだんだん記憶から薄れていきました。同修から、病業の同修はとっくに農作業を始めたと聞いた時「表面上では同修を助けているように見えても、実質的には、目の前に現れた事を見て聞いた自分自身にとっての修煉であり、遭遇した全ての事から全体で向上するチャンスを逃してはならない」と悟ることができました。
四、大法弟子は必ず「三つのこと」をしっかり行わなければならない
師父は「三つのこと」を行うように要求されました。つまり「学法、発正念、真相を伝える」ことです。法を正すことが今日まで進んで、もう最後の段階になりました。大法弟子なら誰でも「三つのこと」を行っているはずです。しかしきちんと真に「三つのこと」を行うのは、なかなか容易い事ではありません。きちんと「三つのこと」を行うことが、一歩ずつ着実な修煉につながります。真に法を学び実際に修める事は、大法弟子のすべての基本です。
私は今まで学法をずっと重視してきました。修煉を始めた頃は、自分が遅く修煉を始めた事が悔しくてたまりませんでした。先輩の同修達に追いつきたいと、他の同修より学法に倍以上の時間をかけました。一日に師父の説法録音を数講も聞き続けました。時には一日に九講を一気に聞き終える事もあります。しかし全く疲れを感じることはなく、とても元気でした。十年来、毎日のように経文と各地での説法の学法を続けてきました。「明慧週刊」は1冊も漏らさず読みました。どんな時でも自分の思惟を法に溶け込ませて、学法の時は良い状態を保つことができました。
最も邪悪の多い留置場にいた時も、毎日繰り返し数十篇の経文と『洪吟』の暗唱を続けました。師父は「皆さんはいくら忙しくても、法の勉強をおろそかにしてはいけません。これは、圓満成就に向うこと、そして大法の仕事をしっかり行なうことの根本的な保証なのです」(『精進要旨二』「北ヨーロッパ法会の全ての学習者へ」)と説かれました。
発正念に関しては、個人的な見解とやり方があります。毎日、全世界の四つの時刻の発正念以外に、私はまた別に夜の三つの時刻を増やしました(毎晩12時まで学法チームの全体学法と集団煉功があります)。私は自分自身にある良くない物を取り除くことを特に重視しています。正念を発して取り除く時間を10分、20分、30分まで延ばしました。その後、自分の外の良くないものを取り除くと、より効果的なのです。普段私は、何か考え事をしていない限り正念を発し、あるいは正念を保持します。出会った全ての人や物、他空間の目に見えない生命体に「誠心誠意に『法輪大法は素晴らしい』、『真・善・忍は素晴らしい』と暗唱すると素晴らしい未来がある」と告げます。その後に必ず、『衆生が必ず救われるよう、一切の邪悪の要素を取り除く』と一念を発します。大法弟子の全ての念は衆生を救う基本です。この一念を発するのは難しくありません。しかし、きちんと心を修めていなければ、頭が何も考えていない時でも、その一念はなかなか思い出せません。大事なのは続けることです。
私にもう一つの習慣があります。寝る前に必ず自身の邪悪を取り除いて、正法の口訣を暗唱してから寝ます。邪悪が妨害しにきたら、すぐに取り除けるようにしておくのです。昼間に縁のある人と出会ったら、夜、夢の中で真相を伝えます。自分の考えを常に正念の中に置いておくように心がけています。ある日、留置場で深夜寝ていた時に2匹の大蛇が両側から挟みつけるように私を襲ってきました。私は息苦しくなりましたが、意識の中で正法の口訣を暗唱しました。すぐに立掌したら2匹の大蛇は解体されました。とても美妙な感覚でした。目が覚めたとき、手は立掌していました。この空間での現れは、二人の「監視役」が体の上に乗りかかるというものでしたが、正念を発するとそれらは逃げて行きました。しばらくして、拘置される部屋が変わり、また同じような現象が現れました。もっと発正念をして邪悪を取り除くようにという師父のご教示だと分かりました。2002年当時の「黒い巣」は邪悪がとりわけ多い時期でした。ベッドに入ると、まず発正念をしました。毎晩たくさんの邪悪を取り除かなければなりませんでした。また、元神が離体する経験もしました。ほんの数秒間でしたが、大変素晴らしい体感でした。それ以来、ずっと強い執着心をもってもう一度と求めましたが、二度と同じ現象は起きませんでした。しかし正念だけはずっと保ってきました。
師父は「実のところ、大法弟子の一人一人に、みな能力がありますが、ただ表面の空間に現れてこないため、功能がないと思っているのです。しかし、たとえ表面の空間に現わすことができてもできなくても、真の念が生じるときには、みな威力は強大です」(『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」)と説かれました。私は邪悪を取り除くことも衆生を救うことだと悟りました。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/8/129910.html) 更新日:2012年6月24日